2017年10月21日
先日知人と話をしていて、ある時、その知人が高速道路の追越車線を走っていたら、
後ろに貼りつかれたので、アクセルを踏み込んで引き離してやった、というような話がありました。
知人の乗っているクルマは300馬力近くあるターボ車であるので、高速でアクセルをグッと踏み込めば、一般的な車ではついてこれないような加速をすると思います。
さて今回なんでこのネタを挙げようと思ったかと言うと、そういえば最近、私自身はそういう感覚がなくなったと気づいたからです。そういう感覚と言うのは、運転中にほかの車と張り合うような精神状態を指します。私が例えば高速を走っていて後ろから煽られたとしたら3秒で道を譲ると思います。現実的には急に譲ると危ないので、後続車や隣の車線の状態をチェックしてからというのが本当の所ですが、とにかく譲る気満々です。
私の上記の対処の方が一般的に常識的でありベターであるという事は認識していますが、
なにもここで「良い子の正論」を振りかざしたいわけではありません。
私は18歳で自動車免許を取ったのですが、たぶん21歳くらいまでは他の車と張り合おうとするような精神状態になることがありました。いわゆる運転すると性格が変わる状態というやつでしょうか。でも大学生の頃から徐々に運転中に好戦的な精神状態になる事が減っていき、前回の免許更新では、当時毎日のように車を運転する生活でありながら、ゴールド免許を取得しました。
大学生の頃は、ちまちまと軽微なスピード違反などを重ね、つねに免許停止一歩手間をさまよいながら日々を送っていたので、ゴールド免許を所有できるなど自分としてもビックリです。
さて、なぜ私の運転中の精神状態はそれほど変わったのか。それには大きく ①身の程を知った ②嫌な思いをしたこと ③いつのまにか冷静になった があります。
①身の程を知った
大学時代はレンタカー屋でアルバイトをしていたのですが、私の周りの方々はみな運転が上手な人たちでした。車庫入れの車両感覚も優れていましたし、先輩が運転する車の助手席に乗っているときも、私よりも運転は速いのに乗っていて安心という事を幾度となく経験しました。
中には日常的にサーキットを走っているような先輩もいて、やはり隣に乗せてもらうと上記と同様の事を思うとともに、明確に私自身の運転技術のレベルの低さを認識しました。
またこれはオートバイにおいても同様です。オートバイはクルマと同じようにエンジンの排気量があるわけですが、ある時私は750ccの自分のバイクで秩父を走っていました。下りの峠道で私の前には、125ccのスクーターが走っていました。地元のおじさんという感じの風貌でしたが、コーナリングがとてもスムーズで、私はその何倍もの排気量のバイクに乗っているにも関わらず、ついにそのペースについていけなくなりました。この時は純粋に自分のライディングの技術の低さに落胆するとともに、謙虚に走ろうという想いを抱くのでした。
個人的に思うのは、オートバイは街中を走るだけでも、本当にライダーの腕前が物を言う世界で、排気量が小さいバイクが大きいバイクより速いという事などよくある話です。だから私は750という一般的には大排気量のバイクに乗っていながら、虎の威を借りたような高慢な精神状態になる事はなかったように思います。
②嫌な思いをした
過去に車の運転中あるいはバイクのライディング中に、好戦的な興奮状態になったことは何度もあります。エンジン音の回転音が自分の精神状態とリンクして上昇していくような気分です。
だけど、そういった時と言うのは、目の前の事しか見えていません。非常に視野の狭い状態です。
例えば、私はスピードを出しすぎた時に、後々になってその道にオービスがなかったかと調べるような事が度々ありました。その調べる気持ちはとても不安で不快なもので、こんな思いをして調べるくらいなら、そもそもスピードを出さなければよかったと思う事が何度も何度もありました。
また、テンションが上がって、ペースが上がり、結果カーブではらんでヒヤッとしたことも何度もあります。結果的にいままでケガすることなくここまで来れていますが、あの時突っ込んでいたらどんなことになっていただろうと思う事は色々あります。
③いつのまにか冷静になった(冷めた)
①②のような経験を経て、落ち着いた状態で車やバイクに乗るようになりました。正確にいうと興奮状態になるようなシチュエーションを事前にすべて避けるようになりました。そんな目線から今までを振り返ってみると、公道でほかの車と張り合う事が如何に割に合わないかという事を冷静に見つめられるようになりました。一時の興奮に身を任せて、ペースを上げたことで、もしほかの車に接触するようなことがあれば、そのあとの処理がどれだけめんどくさい事になるか。人間との接触はいわずもがな、そのせいで免許を失えば、自分の好きな乗り物に乗れなくなってしまう。公道で車を飛ばすには、かかるリスクが大きすぎるのです。
街中で時間の稼ごうと少しくらいスピードを出してみたって、赤信号で帳消しになってしまうこと。街中で早く走る人と言うのはスピードの速い人ではなく、いかに抜け道や信号のタイミングを知っているかということ。それは運転技術の戦いではなく、知的な情報の戦いであるという事。
また高速で追い越し車線をぶっとばせば、確かにエンジンの回転音なども相まって楽しいかもしれませんが、経験上ハイスピード巡行は疲れます。そこで良識のある人間は安全の為にPAなどで休憩を取ります。これは正しい判断ですが、結局ハイペースで飛ばして疲れるのであれば、時速100km/hでマイペースに走った方が最終的に走行距離に対する消費時間は同じ位になるように思われ、だとすると、ハイスピードで飛ばした分の燃料などが無駄な消費に思えるのです(空気抵抗は速度に乗じて増えるらしいので飛ばせば飛ばすほど無駄に燃料等を消費します)。
もちろん、高い速度を出さないと使えないエンジンの回転数域というのもあると思いますが、非常識な速度を出してそれを試すのはスマートだとは思えず、そんな速い乗り物を買う金があるのなら、サーキットと言うクローズドコースで出した方が、安全なように思えます。
さてなんだが長々と書いてしまいました。「そんなことは言われなくてもわかってるよ!」なんて声が飛んできそうな気もしますが個人的な思う所を書き連ねてみました。現在の私は我ながら本当にマイペースに車やバイクに乗るようになりました。私の心の声は「別にとばさなくなって運転は楽しめるよ」と私自身に言ってきます。
都内に住んでいると1000万以上するようなスポーツカーが街中を度々走っていて、時に高回転のエンジン音を轟かせているような場合もあります。私はスポーツカーは好きなので基本的には良い音だと思いますが、夜の住宅地でやられたらただの騒音です。
本人はイケていると思っていても、周りからみるとイタイという事は、クルマ関係の話ではたびたびあると思います。他人に迷惑をかけない範囲で楽しむ分には良いと思いますが、私は冒頭の高速で張り合ったという知人の話を聞いて、その知人に対して残念な感情を抱きました。クルマと言うある種の「チカラ」は自分で「使う」からこそ素晴らしいのであって、チカラに「使われ」ないようになりたいものだと思います。長文ご覧いただきありがとうございました。
Posted at 2017/10/21 22:46:31 | |
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