半年の検討を経て,ついに新車購入契約! 押印!!
SUBARUよ,22年間,運転する喜びをありがとう!!!
新車で購入してから8年半になる現在の愛車SUBARU IMPREZA GT(GH8 5MT)。
現在オドメーターは26万2千㎞超え。来年(平成30年)の2月には4回目の車検を迎えることになります。
ScLabo(のHさん)との出会いで,すっかり虜になってしまったカスタマイズ。パーツを取り替えるたびに自分好みに近づき,愛着も強くなり,乗り方もいたわるようになって,いつしか自分の手足のように扱いやすく感じるところまでたどり着きました。
次々と発表されるニューモデルに対して,関心は芽生えても購買意欲はさらさら感じず,この愛車にずっと乗り続けたいと思うようになって数年が過ぎ去りました。
しかし,ついに今年の2月,私はある決意を胸に抱きました。次の車検までには車を乗り換えよう,と。そして半年の検討を経て,ついに本日の契約にたどり着いたのであります。
他人からすれば,「だからどうした?よくあることだろ」という話でしょう。でも自分にとっては大事件なので,契約して帰宅すると,この記事を作らずにはいられませんでした。
なぜ大事件なのかというと,SUBARU歴22年,IMPREZAを新車で3台も乗り継いできた自分が,SUBARUから離れることになったからなのです。スバリストでなくなる日が来るなんて,夢にも思っていませんでした。
そんな訳で,契約への道のりやSUBARUへの思い,今回契約したメーカーへの期待,これからのカーライフへの希望など,このあふれる思いを忘れないうちに,だらだらと,長々と綴ることにしました。
迷惑なことに,この記事は読み手への配慮に欠けるものになるに違いありません。
この先は,読み手が望んではいないであろう私のディープな思いがあるだけですので,読み進めるかどうかはここでお決めください。
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きっかけは,半年前(今年の2月),ディーラーでの点検までさかのぼります。
22年間ずっとお世話になっているディーラーのIさんも,もうご高齢となり,時折体調を崩されているご様子でした。愛車の点検中,ディーラーのロビーでコーヒーをいただいて待っていると,「走行距離も伸びていることだし,そろそろ新車購入を検討しませんか」と,ニコニコしながらBRZのカタログをIさんはもってきました。
Iさんは,私の好みも経済力もよくご存じです。IMPREZAを3回連続で購入している私に対してBRZのカタログをもってきたのは,私がマニュアルトランスミッションにしか興味を示さないことをよく知っているからです。
今のIMPREZAのトランスミッションは,全グレード「縦置きチェーン式無段変速機リニアトロニック」なるCVTなのです。IMPREZAやLEGACY,LEVORGのCVTは試乗車や代車で味わいましたが,私はどうしてもあの息継ぎのない感覚に馴染めませんでした。
ちなみに私は,素人ながら音楽の世界に足を踏み入れていて,小学生の頃から現在までトロンボーンという金管楽器を40年近く演奏し続けています。思い込みかもしれませんが,マニュアルトランスミッションのクラッチを切って変速する瞬間は,管楽器演奏のフレーズとフレーズをつなぐブレス(息継ぎ)によく似た感覚だと感じています。
管楽器の演奏でブレス(息継ぎ)するとき,直後に演奏するフレーズの流れや表情を意識した息の吸い方でフレージングにエネルギーをもたらすものです。ゆったりとしたフレーズの前にはゆったりとした深いブレスを,リズミカルで軽快なフレーズの前にはスピード感のあるブレスを,という感じです。ブレス(息継ぎ)のスピードや深さ,長さなどの質が直後の表現に与える影響はとても大きく,ブレスでフレーズをコントロールしているとも言えるくらいです。
MTの操作で,ゆったり加速する場合でも,合流の時に流れを乱さないようにグイッと加速する場合でも,その流れに合ったクラッチ操作,シフトレバー操作,アクセルペダル操作のスピード感や力加減などがあると思うのです。自然な流れというか,エンジンの息吹というのか。生き物のような感覚で,私はMTの操作を捉えているところがあるのです。
そこにきて,あのCVT。無段階に最適なギア比を選択する変速ショックのない滑らかな乗り心地。同乗者に与える安心感や快適性を考えれば文句のない性能です。でも私の場合,エンジン回転が上昇していくと「そろそろ息継ぎがしたい・・・」という衝動に駆られてしまうのです。染みついた感覚のせいで,息継ぎしないオートマチックトランスミッションのエンジン音を聞いていると,なんだか息苦しさを感じてしまうようなのです。
車を自在に操ることを楽しみたい面が強い私は,ずいぶん距離も走らせてもらいましたが,次第にイライラが募り始めます。MT禁断症状で,意味もなく左手をATセレクトレバーの上にのせてしまうし,マニュアルモードを無闇に使おうとするし,左足がフットレスト上でピクピク反応してしまいます。
つまり,私はオールドタイプで,支配欲が強く,自動と名の付く装備が嫌いで,自分の思い通りに動かすことに喜びを感じているドライバーなのだと,ATに乗るたびに思い知らされます。
自動が嫌と言っても,ABSや横滑り防止装置なら,一般の人間の感覚や運動神経ではフォローしきれない部分の安全機構だから導入にも納得できます。訓練を積んだプロドライバーのような人間でもなければ,緊急制動時にロック寸前のブレーキングを自在にコントロールができるとは思えませんし。
ただ,別に存在を否定するわけではありませんが,自動運転だとか,MTの坂道発進アシスト機構などは,プロでなくても出来なければいけない操作です。そこに使う神経を安全面に向けるという負担軽減の目的も分からなくはありませんが,私は頭が固いので,どうにも受け入れがたく感じてしまいます。
自動ブレーキも,私にとっては微妙な存在です。自分が気付いていなくても障害物にぶつからないことは,とてもありがたいことだと思います。気付いたら目の前に,というぶつけた側の人間のコメントがよくあるのは,障害物の接近に気付かないミスが人間にはよくあることの証です。そもそも,ミスのない人間なんていない訳ですから,自動ブレーキの恩恵は計り知れません。
しかし,自動ブレーキがあるので安心だという前提で運転することが,私には恐くてなりません。そりゃ,ちゃんと作動するのでしょうけれど。この辺は何が飛び出すか分からないから,いつでも止まれるように注意して運転しよう,という事故予防の意識を低めているように感じてなりません。
危険を敏感に察知する能力を,機械が代わりにやってくれる状況。これが人間の感覚を衰えさせる,そう感じるのです。人間の感覚の退化につながるものとして,ドライビングプレジャー重視の私のカーライフにとって,自動がつく装備は,驚異の存在とさえ思えることがあるほどです。
もちろん,自分の運転技術や安全意識を過信しているわけではありません。むしろ私のような考えのドライバーが,かたくなに先進の装備を拒絶することで事故が減らないという側面もあるのかもしれません。そこは,自覚しているつもりです。
それに,そもそも「自動車」という呼び方がある以上,どうやら自動を受け入れようとしない私の考えは矛盾しているようでもあります。
まあ,私としては,「自分で運転するなら,バスやタクシー,電車に乗っているような感覚にはなるな! どんな車に乗っていても,その動きの責任は運転手であるあなたにある。装備を過信するな!」と,自分勝手に言いたいのです。もちろん自分自身にも。
随分話が横道にそれましたが,つまり,私の購入条件を満たすSUBARU車(スポーツタイプのMT)が,今となってはBRZしかないということを,ディーラーのIさんは十分理解しているという話です。WRX STIも6MTですが,私に購入できる価格の車ではないと言うことさえも,Iさんは知っています。
そしてIさんは,苦笑いをしながら,穏やかにこう語りかけてきます。「あまり先ですと,私がここにいられるかどうか・・・」
今までとても良くしてくれたIさん。走行距離もだいぶ伸びたし,もう8年も乗っているんだし,そろそろ考えてもいいかな。「カタログ,いただいてもいいですか?」
こうして,次の車検前に新車を購入する体制に踏み込んでいく私。
そろそろ,疲れてきました。
その2へつづく・・・。 近日中に,契約したメーカーに傾いた理由などについて触れます。
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2017/07/30 21:37:18