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NEOCAのブログ一覧

2012年10月20日 イイね!

兵庫県立考古博物館

#このエントリーは以前にアップしていたものです。
#諸事情により公開を見合わせていましたが、一部分をカットしたうえで再公開します。



昨日、神戸市内のアポが午前中と五時半と、中途半端に空いてしまったので、半休にして、以前から気になっていた播磨町(明石市と加古川市の中間)の兵庫県立考古博物館へ行くことに。


朝、出発するときに、あわてて標準ズームをカバンに放り込んだつもりが、現地で鞄の中から出てきたのは、FishEye…確かにサイズ的にはよく似ているのだが…
(まあフィッシュアイは、面白いレンズではありますが、旅やお散歩の記録には向いていませんね…)


午前中のアポを終え、神戸駅にて



先ずは地下街で食事をして


JRで土山駅へ移動し、「であいの道」という遊歩道を通って、お目当ての博物館へ。
(※復路分の写真も一緒に紹介しているので、日の傾き具合など、一部おかしな所もあります)




このブログを見ている方の中には、きっと何か「ピン」と来られた方がいるかも知れませんが…
そう、この遊歩道は1984年に廃止になった、別府鉄道土山線の線路跡を整備した遊歩道。


そしてフィッシュアイレンズも使い方次第では、“ちょっと樽型収差の強いオールドレンズ”で撮った画像にも見えなくはないような…



橋を渡って



線路跡は公園の中へ



ここは「大中遺跡」という遺跡で、「播磨大中古代の村」という公園として整備されている。


そして遊歩道はここで終わり、この先は道路に転用されているのだが…廃線跡探訪ではないので、これ以上の深入りするつもりもなく、園内施設の見学を開始。


先ずは播磨町郷土館


展示そのものは1部屋だけの質素なもの。


そして敷地内に別府鉄道の車両が保管・公開されている。



先ずは機関車





次に客車




そしてようやくお目当ての兵庫県立考古博物館へ


エントランス


屋上


遺跡公園内に在ることから、周囲の景観にも配慮した施設…との事。
確かに「建物」というより、「山」に近い存在感ではあるのだが…ちょっと微妙な気も。


更にここの博物館は、開館当時から「工夫が凝らされている反面、偏った史料や学説に拠っており…」と、展示そのものにも賛否両論ある施設。

とは言え、先ずは見学してみないことには何も言えないわけで、館内へと進む。



発掘現場を模した展示で、子どもたちが“発掘気分”を味わえるようなコーナー。



みんカラ的には何とも解りやすい例え…



そしてメインの常設展示では、自然の中で生きた時代から、シャーマニズムの発生、そして戦乱の中で権力が生まれ、王が誕生し、権威の象徴として古墳が作られ、更に権威の象徴が古墳から寺院へと変化し、船を使った交易で富と権力が更に…といった流れを紹介している。(但し船云々は、復元船を展示の目玉にしたいという意図と、平清盛と無理矢理にこじつけた感も…)






まあ考古学や史学に関して、私はド素人なので、学説云々について批評することは出来ないのだが…
文献が残っているわけでもない時代の歴史を、考古学から紹介しているわけで、どうしても「どの学説を採用するか」という問題が発生してしまうのは仕方が無い話だとも思える。

ただ個人的には、教科書では大雑把にしか学んでこなかった日本の先史時代の流れを(学説や客観性云々と言った細かな事は別にして)解りやすく紹介しており、今まで意識することが少なかったような時代の歴史を、解りやすく新たな概念で見ることができ、少し目から鱗だったかも知れない。


ただ個別の展示が凝っている反面、こうした全体的なテーマや流れが捉えにくい感じは否めない。

私もド素人とはいえ、“展示を作る側の意図”や“史料が少なく、文献もない時代を扱うことの難しさ”などは理解できるのだが…
何も知らずに子どもたちが見学に来ても、目先の工夫・趣向ばかりを楽しんで「ただ楽しいだけ」に終わってしまわないか心配になるのもまた事実である。
もう少し全体的なテーマを意識し、展示に“流れ”を意識した工夫が欲しいところである。

また「評価が定まっていること」と「まだ推測の域であり、一つの考え方にすぎないこと」を区別し、そこから考古学そのものの役割について考えるような工夫が欲しいところ。

(楽しい趣向が多い反面、それらが“考古学の成果に基づいている”という実感が薄い。折角“考古学体験”的な趣向のコーナーがあるのだから、もう少し他のコーナーとの有機的な繋がりが欲しいところ。体験と展示が分断してしまっている気がしてならない。)


そして地下にビデオコーナーもあるのだが…


博物館のメーキング映像などもあり、学芸員をはじめとする「作り手」が楽しんで作り上げた博物館であることは強く伝わってくる。

ただ枝葉の部分に凝るのも良いのだが、もっと広い視野で展示が作れなかったのかと、とにかく「“おしい”博物館」だというのが、私の個人的な感想。

(但しこれは“ド素人”の感想であり、見る人が見ればきちんとした評価になるのかも知れないのだが…)
Posted at 2016/05/24 20:55:06 | コメント(8) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2012年) | 日記
2012年07月23日 イイね!

赤村トロッコ油須原線と直方焼きスパ

#これは対馬の旅の往路、大分~福岡で寄り道をしたときの話です。


中津から行橋へと移動



行橋駅前に保存されているC11の動輪



行橋からは一日乗車券を購入し平成筑豊鉄道に乗車



のどかな雰囲気の中を走り



そして九州最古のトンネル・石坂トンネルへと進んでいく。どちらも車両最後部(行橋側)から撮影

第一石坂トンネル


第二石坂トンネル



しかしコレはダメでしょ…



そして赤駅で下車



駅前にはこんなトロッコが

(中判GS645Wにて撮影)


実はこの赤駅、かつて計画され工事が進んだものの、国鉄合理化の波により中止され幻の路線となった油須原線との分岐点付近に設けられた駅。(赤駅そのものは2003年とごく最近の開業)

そして工事が進んでいた油須原線の施設を活用する形で、地元のボランティアにより月に1回程度トロッコ列車が運行されているのである。



¥300の乗車寄付金という名目の切符(正規の鉄道では無いため)を買ってトロッコに乗ってみることにする。

少し待っていると、乗客を乗せたトロッコがプッシュフルで赤駅へと戻ってくる(このトロッコは赤駅を起点にした往復コースとなる)



両側に機関車、そして中間に手作り感満載の屋形船風客車2両というのが基本


しかしこの日は午後からの乗客が少ないこともあって、前半分(機関車+客車1両)のみを使用し、復路は機関車の付け替えなどは行わずプッシュフル運転で対応している様子。


またその他に傷みの感じられる客車2両も留置されているが、こちらが実際に使用されているかは不明



機関車に取り付けられたヘッドマーク



いよいよ乗車



そして出発


道路の片隅にオマケのように敷かれている狭い線路を走っていくのだが、元々はこの道路自体が油須原線の敷地だったのだとか。

あと車掌さんが携帯をいじっているのだが…切符に鋏を入れたり、案内放送を行うなど、完全に車掌さん風ではあるのだが、あくまで案内役のボランティアスタッフなので、まあ携帯をいじっているからどうこうという話ではないだろう。


しばらくは平成筑豊鉄道に沿って走行



桜や菜の花など、春の花々を眺めながら進んでいく



そして道路と別れ、しばらく進むと鉄道らしく、道路と立体交差している箇所も


「なんだか鉄道にしては道路側の橋桁が低いぞ!!」と思った方は大正解。

実はこの油須原線跡は水道管ルートとして再利用されており、本来の路盤の上に水道管が通っているため、その上に嵩上げされた形でレールが敷かれている。
それゆえ立体交差やトンネルでは天井が低くなっており、通常の鉄道サイズの車両は運行できず、こうしたトロッコしか運行できないのだとか。


そして遮断機(?)のある踏切を経て、トンネルへと突入






そしてトンネルが連続するのだが、トンネルの直前からトンネル内にかけての部分だけが水道管敷設のため嵩上げされているのがよくわかる。





そしてトンネルとトンネルの間では、遠くに平成筑豊鉄道の内田三連橋梁を望むことができる


単線の線路と少しずれてはいるのだが、これは元々は炭坑で栄えた筑豊地方ということで、田川線(現:平成筑豊鉄道)も将来の複線化を見据えての予備工事が行われていたためとのこと。

またこの橋脚は「国土の歴史的景観に寄与」しているとのことで、文部科学省の登録文化財、経済産業省の近代化産業遺産、更に国土交通省のA級近代土木遺産に指定されている。


そして2つめのトンネルに突入



しかしこのトンネルの途中に柵があり、トロッコはここで折り返すことになる


実はこの柵をもって村境であり、この先は赤村にあらず。
それゆえ大人の事情で、この「赤村トロッコ」はここで折り返しとなる。


そして折り返しの停車時間などを使って、トンネルに住み着いているコウモリ探し



で、帰路はプッシュフル運転となり、機関車に乗っているスタッフと、客車最前部に乗っているスタッフで意思疎通を図りながら運行




こうして油須原線トロッコ乗車体験を終えて、平成筑豊鉄道で1駅戻って「源じいの森」駅で下車



駅裏の高台にある温泉でひとっ風呂


まあ最近よくある「田舎の近代的な公営日帰り温泉」で可もなく不可もなく

ちなみに平成筑豊鉄道利用者は、下車時に割引券を貰えるのだが…実はトロッコの切符売り場で売られている割引券の方がお得


そして平成筑豊鉄道を乗り通して直方へと到着



駅前のバスターミナル



駅前の商店街を歩き



選択肢の少ないなか、「フィガロ」という店に入店



昼は喫茶店、夜はバーといったお店なのだが、今回のお目当てはコレ


直方のB級ご当地グルメ「焼きスパ」

焼きそばの麺がパスタになったもの…と思いきや、ソースが微妙にトマト味だったりと、なかなか凝ったお味

そして夜の部の雰囲気は完全にバーなので、カクテルも一緒にオーダー

丁寧で誠実なマスターのいる、地元の常連さんが集うお店で、ほどよく非日常感を醸しつつ、それでいてホッとするような雰囲気で安らげる


こうして軽く夕食も終えて、篠栗線経由の列車で博多駅へ(直方駅の東筑軒を覗いて見るも「かしわめし」は売り切れ)



博多駅で時間をつぶしてから博多港へ移動



そして博多港から壱岐経由対馬行きのフェリーで船内泊




早朝の対馬・厳原港入港後、そのまま7時まで仮眠OKなので、ゆっくりと休憩

そしてようやく対馬へと上陸



<つづく>
Posted at 2012/07/23 02:56:28 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2012年) | 日記
2012年07月20日 イイね!

中津で花見散策

#これは対馬の旅の往路、大分~福岡で寄り道をしたときの話です。


中津駅へと到着



ここ中津は福沢諭吉の出身地ということもあり、駅前で福沢諭吉がお出迎え


福沢諭吉に関しては…個人的には銅像よりお財布の中に居て欲しい人物


観光ガイドマップなど入手しようと観光案内所を覗くと…無料レンタサイクルがあるとのことで、営業時間前にもかかわらずフライングで貸し出してくれた。


そして中津市内を走り始める



まずはお寺の並ぶ寺町へ



この寺町で有名なお寺と言えば…この真っ赤な壁のお寺


で、説明は…面倒なので写真で(大汗



そしてさらに寺町を歩いて通称閻魔寺へ




更に最後はカッパの墓




寺町を後に少し離れた大江医家史料館を訪問


中津の医家である大江家の旧家を改装した資料館で、こちらは主に医学に携わった人物にスポットを当てた展示。
係員の方が付きっきりで丁寧に解説してくれる。


そして「おかいこ山」と呼ばれる土塁


ここの解説も手抜きで…



更に進んで福沢記念館


ここにも福沢諭吉の銅像が…まあ慶應出身者でもないので、彼自身には思い入れなど無く、お財布にさえ居てくれればそれで良いのだが(^^;


隣にある生家



これをご縁にお財布の中に沢山生まれて欲し(略


そして武家屋敷跡を横目に



花見客で賑わう中津城へと到着


満開の桜を楽しみつつ



中津城を見学


アスペクト比が違うって…そりゃ6×4.5ですから(笑
しかも既に過去のものとなってしまったエクタクローム


城内に入ろうとすると鳥居があり


奥平家の居城だったこともあり、現在は奥平神社となっている


で、この奥平家、徳川家康の娘婿として出世した事から…


万札が生まれる家に、玉の輿祈願の神社…何とも生々しい…


城内…というか、境内の様子



内部の資料館は撮影禁止なので、屋上の展望台からの写真など






そして石垣を横目に退出



お堀沿いを走って




正面に次の目的地が見えてくる



「割烹 汐湯」


かつては割烹料亭として営業していたのだが、現在は主に銭湯および貸間の営業


脱衣場も良い雰囲気





そして「汐湯」の名の通り、海水を湧かしているという浴場



湯温は42℃とのことで少し熱めなのだが…海水ゆえなのか、あまり熱さは感じず、汗だけが気持ちよく流れてゆく感じ


天然の海水風呂に気持ちよく浸かったあとは、屋上のテラスでコーヒー牛乳片手に自然の風を浴びながら一休み




テラスから浴場のある建物を望む


ちなみに浴場の海水は、満潮時に自動的に流れ込んできたものを堰き止めてキープして使っているのだとか。


そして荷物を持って出発しようとすると、大女将さんに「遠くから来られたのですか?それなら是非、建物の内部を見ていってください」と、割烹料亭(現在は主に貸間)の部屋を案内していただけることに。

先ずは川沿いの部屋(堤防が築かれ、眺めが悪くなったとのこと)


そして旧館(大正時代の建物)にある中津城側の部屋



中津城の桜が見事で、実はお花見の穴場かもしれない。
貸間を利用して、屋根の下で窓の外、ほぼ水平にある桜の花を眺めるのも良いかも知れない。


ちなみに中津城と汐湯の旧館との距離感はこんな感じ



そして時間も迫ってきたので駅へと戻るのだが…

途中の村上医家資料館へ立ち寄り(先ほどの大江医家記念館と共通券)


こちらはどちらかというと人物よりも、昔の医療道具などにスポットを当てた展示



レンタサイクルを返却し、昼食を取ろうと商店街を歩いてみるものの…


「コレ」といった店が開いておらず、「中津からあげ」どころか、まともな昼食を取ることすら困難な状況


そこで駅構内のコンビニを覗くと…


これで一応「中津からあげ」を食べたことにしておこう…


そして普通列車で行橋へ移動




<つづく>
Posted at 2012/07/20 01:27:11 | コメント(8) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2012年) | 日記
2012年07月10日 イイね!

高岡へタイ焼きを食べに行った話(?)

前回のブログで少しだけ予告していた、また富山へ行ってきたというお話です。


先週、平日に代休(というかプロジェクトの関係で、当分のあいだ週末は休めない)を取って、強行軍で富山まで行ってきました。

かなり手抜きかつアバウト、更には一部順不同になっているなど、かなり適当ではありますが、旅の報告です。


特急サンダーバードの車内で、何故か特価販売されていた淡路屋の駅弁を食べて



高岡で途中下車



駅南の八丁道と呼ばれる通りを歩いて





国宝・瑞龍寺に到着(写真は総門)



詳しい説明は…手抜きでご勘弁(汗




山門へと進み


実はここは前回乗った、この列車に描かれていた寺院



山門から仏殿を望む



仏殿内部



禅堂内部



法堂の廊下


マイクロフォーサーズでもパナソニックセンサーだと高感度はダメダメなのね…これじゃあ下手なコンデジにすら負けるような…


庭園



そして再び雨の八丁道をあるいて、前田利長(前田利家の子で、加賀藩主)の墓へ





こうして簡単な高岡駅南散策を終え、高岡駅へ戻るものの、中途半端な待ち時間があったので、お友達の紅の猫さんのブログで紹介されていた「宮田たいやき」を食べに行くことに。




隣にある前田利長を祀る高岡関野神社へも参拝



そして工事で様子が一変している高岡駅へと戻る


ちなみに数年前はこんな感じ



そして富山駅へ移動し、富山地方鉄道で立山駅を目指すのだが…

立山線は前回乗ったばかりなので、不二越・上滝線を利用。さらに復路は南富山乗り継ぎで軌道線を経由。



富山地鉄自社発注の14760形


どこかで見た様なシートだと思えば、新幹線0系の廃車部品


故障が多いモノの、一部のシートはリクライニング機構が生きており、ドア横の座席は「ロングシートでリクライニング」という不思議な座席


京阪3000系のリバイバルカラー車と行き違い



そして岩峅寺駅で立山線へ合流


ここの駅舎はこんな用途に使われたのだとか



そしてお次はレッドアロー





ワンマン化や自販機の設置など、改造はされているものの、転換クロスシートの座席は健在で、観光路線を走る車両として立派。
そしてこんなデラックスな車両での通勤通学もまた羨ましい限り。


途中下車して、町営バス(ワゴン車)で芦峅寺へ



富山県立の立山博物館


雪の大谷をイメージしたという階段


展示館は立山信仰を中心とした展示で、クオリティもそこそこ高いのだが…(展示室内は撮影不可)


墓地の中にある遙望館という映画館


ロケーションもロケーションなのだが、岸田今日子の重々しいナレーションと、あまりにシュールで奇想天外な内容に苦笑。


そして上映終了後に布橋灌頂会の儀式(長くなるので説明は省略)を模して、映画の最後にスクリーンが上がって立山連峰が見えるという趣向。



そして道を歩いていると…一瞬、熊かと思って肝を冷やしたのはナイショ


こちらが驚いたためか、カモシカに逃げられてしまう



そして、まんだら遊苑というエリア

立山の地獄(室堂付近の火山地獄)と極楽(頂上付近の高山植物帯)を模したというエリアなのだが…

先ずは地獄



ピカピカと赤いフラッシュを焚いているだけの室内や、地獄の声を模した妙にエコーの掛かるマイクなど、あまりに下らない趣向に唖然。

しかも妙に立派で小綺麗な建物なので雰囲気が出ない。

そして園内には地獄をイメージした様な音楽が鳴り響いているのだが…正直、近所迷惑以外の何ものでもないような…


下手なB級パラダイスの方が、手作り感満載で楽しいかと。(→例


そして立山頂上への道筋を再現している公園を通り抜けるのだが…オブジェがあまりに抽象的で私には理解できず。



そして天界。要は立山頂上ということか


天界内部は美術館的な趣向になっており、各部屋にアート作品が並んでいるのだが…私にはサッパリ理解できず。

…と言うか、県立の施設でこのクオリティと馬鹿馬鹿しさ加減はあり得ないだろう。

立派な箱物に加え、公園の維持管理スタッフ、各所に配置されている案内人など、明らかに過剰人員で…ソレなのに、園内は私一人の貸し切り。

私が富山県民なら、あのエコーマイクで「税金返せ!」と叫んでいることだろう。


そして立山駅から送迎バスで宿へ到着



民営化された旧・年金系のリゾートで、バブルの頃を思い起こさせる立派すぎる施設。



温泉大浴場もこんな感じ



客は少なく、常に貸し切り状態なので、写真は取り放題…


そして夕食。

富山と言えば「水と米と魚と酒」が美味いトコロなので期待したものの…





「富山県産○○」「新湊産○○」「氷見産○○」などと口上は付いているものの、特に富山でしか食べられないようなものも少なく(ホタルイカの沖漬くらいか?)、安っぽいホテルの宴会で出てくる懐石料理のような味。

「せっかく地元産の素材を使ったところで…」というのが正直な感想。


でも富山の酒は辛口で私好み



で、朝食バイキングも品数だけはあるのだが…


味についてはノーコメントで


そして翌朝は何とか晴れ


実は今回の富山行きのメインはこの2日目にあり、お天気を随分と心配したものなのだが…

これは私の日頃の行いの良さがなせる技なのか、あるいは日頃の行いの悪さに対する「冷や冷やさせる」という天罰なのか…






こうしてかなり天候に気をもまされた2日目は終了。


そして今回の帰路も、富山駅前のCiCにあるラーメン店「いろは」で簡単な夕食


前回ブラックラーメンを食べているので、白エビ塩ラーメンにしようかと思ったのだが、「ブラックつけ麺」が気になったのでこちらをオーダー。

スープはブラックラーメンのテイストを活かしてはいるものの、麺はつけ麺用のものではなく、ラーメン用を共用しているようで、実質的には「ざるラーメン」の類。

「(つけ麺は)東京でブーム…」などと書いてはいるものの、これでは「ラーメンを麺とスープに分けて供したもの」の類でしかなく、そもそも「つけ麺の何たるか」を全くわかっていないような気が…

今回はちょっと辛口過ぎ?…いやいつも辛過ぎなのか…?(大汗 ←あっスープの話では無いので^^;


…と、前後はツッコミどころ満載だったものの、2日目のメインが無事に達成できたので、まあ良かったと言うことにしておきたい。



「2日目の『***中略***』って何だよ!」と思われるかも知れませんが、この間の行程はかなり濃いので、また機会を改めて
Posted at 2012/07/10 00:43:30 | コメント(7) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2012年) | 日記
2012年07月08日 イイね!

武豊

大阪市内の駅で、メモを渡して武豊までの乗車券を購入したところ、若い駅員さんに「はい、こちら“たけ ゆたか”までの乗車券でございます♪」と言われてしまいましたよ…やはり地名より人名の方がメジャーみたいですね^^;



そんな訳で、武豊まで行っていたのですが、1時間ほど時間があったので、散策をしてきました。


武豊線の終着駅・武豊駅



武豊駅の先に、何やら線路跡らしき敷地が残っているのだが…


これはかつて武豊港駅まで伸びていた路線の廃線跡。

しかも大阪・京都-東京を結ぶ鉄道工事の資材を武豊港から輸送するために作られた、愛知県最初の鉄道路線だったとのこと。
(大阪・京都-東京を結ぶ鉄道…今で言う東海道線ですが、当初の計画では中山道沿いに作られる予定だったのだとか。このアタリは説明し出すと長くなるので割愛。)


踏切跡



橋脚跡



明らかに廃線跡な細長い敷地が続いていく




廃線跡を活かした公園



ベンチの足下に枕木が


JR東海の駅名標風



公園の先の廃線跡には建物が建っている


地域の児童館のようだが、園庭のプランターが鉄道を再現している(場所も向きもあっている)



その後、宅地開発がされたようで、廃線跡はよく解らないものの、所々に細長い敷地の公園が点在



そして15分程歩いて辿り着いた交差点から信号機が…


近寄ってみると



ここが武豊港駅跡で、現在は公園として整備されている。





そして気になるのが、公園内のメリーゴーランド風の建物。

中を覗いてみると、有形文化財の札が…


そして内部はこんな感じ




色々と謂われのある轉車台なのだが…形もユニークなら、三十数年の時を経て小学生によって発掘されたというエピソードもまたユニーク。



で、今回の散策はこれだけ。



ちなみに今回、初めて“たけゆたか”“たけとよ”線に乗車したのですが…


実は今回武豊線に乗ったことで、JR東海の全ての路線に乗ったことになります。

ちなみにJR四国(1998年)・JR北海道(2001年)・JR九州(2002年)に次いでJR6社のうち4社で、全ての路線に乗ったことになります。


まあ宮脇俊三氏のように「全ての路線に乗ること」に情熱を注いでいる訳ではないのですが、それでも事ある毎に“未知の路線”に乗ってみるのも面白いものです。
(逆に「全ての路線に乗ること」が主眼なら、武豊線くらい何時でも乗れるわけで…)


で、JR東日本とJR西日本はどんな感じかと言われると…

乗ったことのない路線は以下の通り

JR東日本
 ・吾妻線・鶴見線・青梅線・五日市線・南武線の全区間
 ・武蔵野線の一部区間(武蔵浦和-府中本町間)
 ・気仙沼線の一部区間(気仙沼-盛間)

JR西日本
 ・城端線の一部区間(高岡-砺波間)



よく考えたら、高岡-砺波間も乗る機会は何度もあったはずで、実際につい4日前の今月3日にも高岡まで行ってきたものの…



紅の猫さんのブログに刺激されて…

タイ焼きを食べている暇があるなら、砺波往復くらい出来たのかも(笑

いや、その気があるなら城端-砺波間だけ鉄道を利用して、砺波-高岡間だけ残すような事はしないか…(笑
(数年前、白川郷方面から城端駅へ出て城端線に乗車。砺波駅で降りて井波へ行き、そこからバスで高岡へ直行したので、砺波-高岡間はJRに乗車していない。)



そんな「高岡へタイ焼きを食べに行った話(?)」は、また次回…
Posted at 2012/07/08 23:14:32 | コメント(7) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2012年) | 日記

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「データ整理は間に合わず。結局普段使用していない電話番号で新規登録する形でID連携。個人情報は特に不要。但しログインの度に普段使っていないスマホを引っ張り出して、電源を入れて・・・という状況なので、ログイン回数は激減の見込み。今後は過去データの管理用のサブとしての運用になるかと。」
何シテル?   05/24 16:23
タイトルの通り、旅と温泉と酒などを愛するNEOCAといいます。気がつけば、みんカラも20年目になってしまいました。 今年から仕事上で大きな変化が起きて、少し余...
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