さて、おおよそ考えられる限りのヒンジやステーを物色しつつ、残された時間は刻一刻と消費されてゆく中、ネットで目についた部材を何点か発注し、なんとか夏の連休に間に合わせました。
届いた製品は、その動きやサイズは十分目的に叶うものだったのですが、いかんせん遊びが大きく強度も貧しく。。。(やはり写真で見るだけではわかりませんね)
正直、こりゃハズレかと思ったのですが、もはや時間も無いので、こいつを使って進める事にしました。
0からモノを造る時は、まずとにかく原型となるものを形にしてみて、それが上手くいきそうだったら、その原型を改良すればよいのです。
今回のヒンジも、その動きそのものは上手くいっていて、問題が強度にあるというなら、後から強度面を改良したものを作ればよい。
それが”完成品”として、製作者の手を離れるのであれば、最初から”完璧な完成品”でなければなりませんが、これは製作者の自主企画であるので、そんな生産者と消費者が別個である市場の論理に付き合う必要性もありません。
補助ヒンジを付けたことで、かなりマシになったものの、やはり根っこのメインヒンジをもっとしっかりしないといけないようですね・・・
ということで、次回は仮設置状態だったメインヒンジを造り直します。
・・・と、ここで話が急に遡り脱線するのですが。
かつて僕らがまだ10代だった頃に、共に『東京夏の陣』の戦場を駆け抜けたA.Oという戦友がいるのですが
今年のGWに、A.Oの帰省にあわせて当時の友人らとプチ同窓会(ちなみに義務教育期間の同級生)を行っていた時のこと
大学では哲学を学んでいたAOは、そのまま研究者になる事が夢だったのですが、いろいろあって就職の道へ。
かつて凄腕の冒険者だったAOも膝に矢を受けてしまい、今では可愛い嫁さん
(一度も見たこと無いけど)と可愛い息子
(こっちは見ことある)をもつ良き父親となっているのです。
しかし、若かりし頃の夢を諦めきれなかったA.Oは、年齢的にも最後のチャンスとなった今年、海外留学を決心。
勤めている会社に
(今では誰も使っていない)そういうMBAを取得する留学制度があって、それを利用して2年間米国の大学に学びにいくのだそうです。
なので、今回のプチ同窓会はAOの壮行会でもありました。
翌日の朝が早い他の友人を家まで送り届けた後、AOとはファミレスで深夜まで、色々な事を語り尽しました。
仕事の事とか、昔の事ととか、いろいろと為になる話をしました。
哲学士であるAOに、あの有名な「神は死んだ」という言葉の正しい解釈を教わったりもしましたが、今はもう忘れました。(笑)
でも、AOが語った小話で、一つだけ今も忘れていない話がありました。
それは、
三十路も半ばに差し掛かってから改めて行う受験勉強(米国の大学に入学するので、当然入試がある)が
とても辛くて挫けそうになった時に、
如何にして自分を奮い立たせたか? という方法論でした。
それは
昔のアニソンを聴く
だったようです。(笑)
地元の公立校から東海地方最高学府(主観)に現役入学した彼は、受験生だった高校生の頃には、そりゃもう鬼のように受験勉強をしており、その時に共にあったのが当時大好きだったアニソンたち。
対受験戦争という戦場において、生涯最大のパワーを誇っていた18歳の自分を呼び戻さなければ勝てない!
そう考えたAOは、当時傾倒していたアニソンをスマホにDLし、それをエンドレスで聞きながら勉強に励み、この度無事合格したというわけです。
(ちなみに、彼は今では足を洗っており、昨今のアニソン事情にはとんと疎い)
そして去る6月、彼は飛び立ってゆきました。
さて、場面をガレージに戻します。
正直、この夏の僕は疲れていました。
この数年は何度も見えかけたゴールが、砂漠で見るオアシスの蜃気楼のようなものだった事に希望は粉砕され、終わりが見えず、かといって帰り道もわからず、退くも進も地獄の戦場に取り残されたような気分でした。
暗中模索を10年間照らし続けていた光源の電池が切れかけていたのです。
そんな時、ふと思い出したのがAOの第二次受験戦争だったのです。
AOと違い、全ての受験を作文1枚で終わらせた(はからずも此れをAO入試と呼ぶ)軟弱な敗北主義者であった自分では、AOと同じ手法を用いて現役時の自分を憑依させたとて受験戦争には勝てませんが、自分にも若さと集中力に溢れていた時代が確かにありました。
リアルで中2だったあの頃、自室に自分専用のWin98マシンが欲しい一心で、あらゆる人生の初めてに果敢に自己責任でチャレンジし、DOSの事など一切わからず小遣いだって月額500円だった中学生が、独学で自分専用のパソコンを自室に造り、家庭内LANを構築してネット接続にまで到達せしめた
あの時のハングリー精神
あの頃の
核燃料のような若さが爆発して解き放っていた輝きは、直視すれば失明するほどの
太陽のような眩しさだった。
空よ!
大地よ!
あの頃の僕よ!
今一度、あの時のエネルギーを此処に!
黄昏よりも昏くて血の流れより紅くて時の流れに埋もれた、
何だかよくわからないリビドーを与えたまえ!!
・・・というわけで
これ以降、この夏のガレージBGMは、中学生の頃にCDが擦り切れそうなくらい聞いていた曲がエンドレスでかかり続けることになりました。
僕が70年代フォークとか、ZABADAKとかに傾倒しはじめるのは、これより後、心が枯れ始める高校生になってからなのでした。
追伸
第二次受験戦争に打ち勝ち
機上の人となり旅立っていったAOは
コバルトの風になって、異国の地のフィーリングを感じながら
第二の青春を仲間たちと楽しんでいるようです。
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Posted at
2017/09/05 13:08:12