2011年03月13日
私の被災状況
地震発生当初、国土交通省の仕事で双葉の国道にいました。
携帯に緊急地震速報が入った数秒後に地鳴りのような縦揺れが来て、その後横揺れがきました。
横揺れは次第に大きくなり、立っていられなくなりました。
へたりこんで周囲を見渡すと…
近くの電柱のトランスがショートして火花を散らしていました。
100m東側のセメント工場のプラントとサイロが揺れて今にも倒れそう。
一緒に作業していた人が乗っていた高所作業車もひどく揺れていました。
地面が手前側と向こう側が左右逆に揺れているように見えました。
揺れが収まり、50m南側の橋で隆起、陥没があり車での通行ができないことを確認。
国道の工事をしていたひとたちみんなで規制線を張りました。
しばらく車の誘導を手伝っているとラジオから津波の情報が。
そして私の目にも陸に上がってきた津波が見えました。
後で地図で確認したところ、私がいたのは海岸から2.5km、私がいたところから500mのところまでは津波が来ていました。
現場のみんなも作業を続行するどころの話ではないのでそれぞれ現場を離れて行きました。
原町にいた同僚がビジネスホテルを抑えてくれたので移動することに。
私たちが封鎖した国道を自分で強行突破して(汗)北上開始。
小高まで北上すると国道の法面まで津波が来ていて東側が水浸しになっているところがありました。
その先にあった公衆電話で自宅に連絡し、家族の無事を確認。
本社に連絡するも回線契約しているKDDI網の障害で通じない。
とりあえず営業所にだけ連絡連絡し更に北上しましたが国道水没しているとのことで西側の県道へ迂回することに。
決して道を知っているわけではないので不安を感じながら途中のコンビニで幾許かのカップラとポテチ、水を買い込む。
自分の方向感覚と手持ちのロードマップを頼りになんとか原町まで到着。
同僚と合流できました。
ホテルにいても常に余震がくる状態でしたが、現場付近の確認で走り回ったり、精神的に緊張していたり、缶ビールを飲んだり(w)したので結構爆睡。
朝8時くらいに起きてカップラを食べて郡山へ出発。
コンビニの公衆電話で連絡をとると郡山の本社では男性社員に出勤指示がでているとのこと。
県道を西に向かって昼くらいには郡山へ到着。
道中災害派遣の業者や自衛隊とすれ違いました。
本社に着いてみると建物南側のガラスが全滅。
壁のクラックも多数。
中に入ると書類やらカタログやらが散乱していました。
今日は15時まで片づけをして解散となりました。
その頃、福島第一原子力発電所で爆発(?)がありったことを確認。
もう一度地図を確認すると私がいた地点は問題の1号機から5kmの場所でした。
あやうく被曝するところでした…
自宅の被害はそれほど大きくはありませんでした。
納屋の瓦が落ちたり、建物に一部ヒビが入ったり、多少ゆがみができて扉の建てつけが悪くなっていたり。
私の部屋の本棚が転倒散乱していましたが食器などは意外と大丈夫だったようです。
ライフラインは電気OK、ガスOK、水⇒水量少ないが出る。けど濁りありってところです。
とりあえずこんなところです。
前日はいわきの海岸近くで作業していたし、当日もかなりギリギリのところで仕事をしていたんですね。
被災はしたけど直接的な被害がなかった(小さかった)のは救いです。
一部連絡のとれない友人もおり、心配しています。
とりあえず。
私は無事です。
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Posted at
2011/03/13 23:26:48
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