本来ならば、リアルタイムで更新すべきところですが
秋の季節に話す事になりました
8月25日に広島市内へ行き広島の平和記念公園に出向き慰霊を行いました。
終戦を迎えて70年と言う節目にどうしても自分の中で慰霊したいという気持ちがあったからです。
慰霊碑の前で一礼し、献花を行い飲料水を備え犠牲者の方々の冥福を祈りました。
世界で唯一、広島・長崎に核爆弾が投下され多くの方が犠牲となりました。
アメリカは正当化せば犯罪者となるので「原爆を使用したから世界が平和になった。」と謳っていますが
勝てば官軍といったところなのでしょう。
しかし、本当に犠牲者となった方々の魂を癒せるのは復讐ではなく二度と核兵器を使わせない、作らせないということに尽きると思います。
『8月に報告すべきですが正直、デリケートな部分でもありますので迷いまして今、報告をしている次第です。』
私が幼少時(約30年ぐらい前)、原爆ドーム内部の見学が可能で内部に入ると火事のような焦げ臭い匂いが残っていて恐ろしく感じたのを今でも覚えています。
当時、被爆者の方々がまだまだ多くおり、私が家族とケンカして周辺の下町を一人で歩いていると
一件の民家へ目線をやるとボロボロの学生服(おそらく小学校低学年の制服)にアイロンを当てているお婆さん、外出準備をしているお爺さんがいました。
私が「じいちゃん、ばあちゃん、そないな服、アイロンかけてどないするん?」と尋ねると
お婆さんが「原爆資料館に寄贈するんよ。」と答えました。
するとお爺さんが「ボウス、この辺りじゃ、みん顔じゃの。どっからきたんね?」と聞かれたので
私は「神戸から来た」と伝えると
お婆さんが「そらそら、遠路とおくから来んさったな。」と言って自宅に招き入れて下さり
オレンジジュースを御馳走になりました。
老夫婦の2人しか居ないのに冷蔵庫の中には低学年の児童が好きであろうお菓子屋ジュースがたくさん入っていたのを今でも覚えています。
私がジュースを飲んでいると
お爺さんが「ちょっと、この子に手伝ってもろうたらええわい。」と言い
お婆さんが「ちょっと服をあてらしてくれん?」と言い私の体にボロボロの服を当てて綺麗にアイロン掛けしているか確認しました。
私は怖くはなかったし見ず知らずの私に御馳走してくれたので嫌ではありませんでした。
お婆さんが「お爺さん、これでええですかいの?」と確認して、お爺さんが「おお、もう綺麗に出来とる上等よ。」
そのアイロンをかけていたボロボロの服が私に採寸がピッタリであったため、
私が「じいちゃん、ばあちゃん、その服、俺が実際に着て確認したらええやん。」と言うと
お爺さんもお婆さんも「あんたが嫌じゃないんじゃったらお願いしますわい。」と言うので着てみると
本当に子供の私の体にオーダーメイドのようにピッタリでした。
ただ、原爆ドーム同様、すごい火事の焼け跡の匂いがしたのを今でも覚えています。
私が「ホンマ、ぴったりやね。んで、アイロンのしわも何もついてないからこれで寄贈するな大丈夫じゃないん。」と二人に話しかけると二人は涙を流して「少し抱っこさせてくれんね。」と言って
泣きながら私の体を抱えて体をさすっていました。
当時、子供だった私は訳が分からずだったのですが中年になった今ではお爺さんとお婆さんの気持ちがすごくわかります。
時間も午後になっており、お爺さんもお婆さんも資料館にこの服を寄贈せねばならず私は寄贈する服を脱いで二人に返し、お爺さんとお婆さんに別れを告げて両親が宿泊している宿へ戻ることにしました。
それっきり、二人には会っていません。
それから30年ほど過ぎましたがお二人はもうご存命ではないと思います。
しかし、私が社会人として広島へ慰霊しようとした思いの原点を二人が作ってくれたように思います。
私は広島の人間でも反戦運動家でもありません。
しかし、一人一人が戦争をおこさない、核兵器を使わせないという気持ちを忘れない事こそが
戦争で犠牲になられた方々の供養になると思ってなりません。
Posted at 2015/10/07 10:50:57 | |
トラックバック(0) |
広島 | 旅行/地域