今年の受験も終わった。
高校生の4人は結果を出した。
その他、推薦での合格者2人。
獨協大、洗足学園音楽大学にそれぞれ進学。
全員が、春から望んだ土地での生活をスタートする。
この校舎は本来は中学生のための場所で、自分が来た3年前は、他校舎で行われる高校集団授業について行けなかったり、何かの事情があるらしい子が2人ほどいるだけだった。
そこからスタートして3回目の受験で、ここまでこれた。
というか自分は、
「トンパチ」な男子高校生を、1年間で法政大の不人気学部か、成城大や武蔵大あたりに合格させる
というのを自分の役割と考えて、この業界でも仕事をするようになっていたので、明治大、中央大、法政大文学部の合格は想定を超えていた。
地方の小さな塾で、自分がやりたかった丁寧な指導が出来た。
その「我」を通させてくれた環境に感謝したい。
3年間、人付き合いを絶って集中した甲斐があった。
一方で、高校生活の途中から受験勉強を始める子ばかりの環境では、早慶突破はもはや現実的ではないことを実感した。
というのも、早慶は推薦合格者の割合が年々増えていて、近年では4割5分程度になっている。
残り5割弱の一般入試枠を、浪人生と競い合って奪う。
それが出来るのは・・・・、少なくとも高校生活の途中から
「さぁそろそろ受験勉強するか」
という子ではないと思う。
群馬大と東海大に合格した理系の子のことは、大学生が見てくれていたが、彼もいい指導をしていた。
そう、最近は地方国立大に合格する子が、日東駒専を避けて、滑り止めに東海大を受けているわけだ。
去年あたりから、大東亜帝国はもう中堅大学、日東駒専は準難関大学だと感じていたが、今年はそれが広く認知され始めた年になったと思う。
「そこらへんを目指して勉強する」
というのでは、まず受からないだろう。
なぜ学生数が減っているのにも関わらず、首都圏の私大が難化しているかというと、国の方針で各大学が定員を厳守するようになったからだ。
難化の流れは止まらないと予想されている。
それはいいことだと個人的には思う。
これで潰れかけていた地方のFランク大学は経営が回復し、廃墟が増えなくて済む。
Fランクに落ちかけていた大学も、以前目指していた中堅下位のレベルに上昇し、それはその地域の自信にもつながるだろう。
ただ生徒を送り出す側としてはキツい。
ではどうすればいいのか。
我々も、そして子を持つ親もどうしたらいいのか。
それは推薦で受かるように準備することだ。
すでに4割以上が推薦で、しかも早稲田などはさらに6割程度まで増やすのだという、そういう時代になっているのだから。
なので、高校を選ぶ時点で、
「指定校推薦枠を狙って2ランク落として受験する」
というのは、極めて現実的な手段だと思う 。
その高校がどんな推薦枠を持っているかは、その高校の進学実績を調べればおよそ分かる。(HPにのっている)
「この高校で、毎年この大学に合格者出るものなんだ・・・」
というのは、まず指定校推薦枠だろう。
個人的には学生には一般入試で勝負をかけ、その中で激しく喜怒哀楽して欲しいと思うが、大学が求めているのはそういう人材ではないらしい。
自分としては、推薦枠をもらうための教え方とは別に、推薦枠を分けてもらえないであろうトンパチ軍団のための授業を、より効率の良いものにしていく努力をこれからも続ける。
ただこれから射程とする大学は、獨協大(外国語以外)や文教大となる。
そういう決意を、夏に見つけた忘れら去られた神社の前でしてきた。
そしてこの1年を確認した。
べつに感謝もお願いもしない。
ただ町内会でもらった缶ビールが車にあったので、自然な感情で供えてみた。
ビールは缶のまま置くべきなのか、転がっていたワンカップの空き瓶に注ぐべきなのか?
考えながらとりあえず空き瓶を川で洗っていると、ポケットからビール缶が水に落ちた。
水に軽く落ちただけなのに、引き上げたビール缶は真ん中で裂けて、泡が吹き出していた。
なので注ぐことにした。
決意が天に届いているのだろう、新3年生たちが例年よりも早く入ってきている。
センター試験までもう10ヶ月を切っている。
あまり余力はないが、たまにはこうやって文章を書くようにはしていきたいと思う。
Posted at 2019/03/20 03:12:40 |
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進学 | 日記