2016年04月27日
徒然に、自分語り
車とは関係ないつぶやきですが、少しばかり自分語りを。
私、医師をやっております。医大を卒業してこの春で10年が過ぎました。
専門領域は「放射線科・放射線診断」です。
放射線科というと、一般の患者さんにはあまり馴染みがない領域かと思います。
おそらく患者さんが私たちと関わる事があるとするなら、病院で「じゃ、レントゲン撮ってきて下さいねー」と言われて放射線科の検査室で写真撮ってもらって…程度のものでしょうか。
私たちの業務は主に以下のふたつ。
①外科や内科など、患者さんと直接関わる科から依頼されるCTやMRIなどの画像関連の検査を滞りなく行う事
②撮影された画像を見て、そこに写った異常な所見をレポートに記載し、依頼主の医師に報告する事(読影)
ドラマで扱われるような華々しいドクターのイメージとはかけ離れた仕事です。正直、裏方作業です。
一日中、画像のモニターの前でキーボードを叩き続けるデスクワークです。
地味です。
私が放射線科の仕事を知ったのは、医師になって1年ほど経過した研修医の頃でした。
当時、何となくどこかの内科医局に入ろうかな…とか考えていただけのダメ研修医であった私には、放射線科の仕事は何とも無味乾燥なつまらないものに見えたものです。
「こんな仕事、わざわざ医師がするものではない!」とまで思っていたくらいです。
(そんな私が何故か放射線科医になってしまうまでは紆余曲折あったのですが、それはまた別のお話)
しかし、そんな仕事を毎日続けた約10年で学んだ事がたくさんあります。
私たちが普段扱う画像の多くは、CTやMRI。これらは体を輪切りにしたような画像になっています。
最近(ここ10年くらい)の撮影機器の進化は素晴らしく、体の内部の断面を、いくつもの方向を変えて見る事ができるようになりました。
そうした技術を駆使して見ると、「ひとつのものの切り方を変えると、自分のイメージとは全く違って見えてくる事がたくさんある」という事がわかってきます。
それだけ、人がものを見て抱くイメージは不正確であるとも言えると思います。(私の放射線科医としての力不足もあるとは思いますが)
「物の判断は、ひとつの断面だけを捉えて拙速に行ってはならない」という示唆を与えてくれます。
そして、私たちの業務の大部分である読影という仕事。
これはとても神経を使う仕事です。
日本には世界中の半分以上のCT機器があると言われています。日本人はCTが大好きな人種なのです。そして画像処理技術の進歩もあり、今や頭の先から爪先までのCTを撮るのに数分で済んでしまいます。
こうした事情もあり、医療における画像診断の比重は増え続けているのです。
しかし、せっかく撮った画像も正確に診断されなければ宝の持ち腐れです。放射線被曝までしたのに何とももったいないし、これを無駄にするのはある意味犯罪的です。
私たちはこれを意味のある検査にするために、全身の画像を毎日睨み続けています。全身の画像から、僅かな病気の兆候を漏らさず拾い上げる事はとても神経を使う作業です。
ところが切ない事に、このしんどさはしばしば理解されにくい。「放射線科の専門医でしょ、完璧に読影して当たり前」と思われてしまう事があります。
いや、確かにそれは理想なんだけど。
例えば、難しいがんの手術やその他のチャレンジングな治療。これらは「ダメで元々、成功すれば儲けもの」という捉え方も出来る、いわば「加点方式」で評価される。
それに比べ、読影という仕事は「画像検査の一部」と捉えられる事もあり「完璧にやって当たり前、それ以外はダメ」という、いわば「減点方式」となりがちに思います。
これはしんどい。
この「当たり前」の裏には、地味に頑張っている放射線科医がいる事を覚えておいてもらいたいのです。
それだけではありません。
CTやMRIなどは、どれも高度な精密機械です。これを扱って適切な画像を撮る、そしてメンテナンスのためには、技師さんや機械メーカーの方々、とてもたくさんの人が関わってくれています。
そんな人たちの仕事の結果として、ひとつの検査が完結して実際の治療へと繋がっていきます。
病院全体にとっては何てことない日常の診療の一幕です。
患者さんにしてみればそんな事情など知る由もありません。
でもそれを支えるたくさんの人たちがいる事を、僕はこの仕事を通じて知りました。
何でもない日常を当たり前と思わず、裏に関わる人に感謝を。
この病院の、そして日本の医療の裏方である事に、私は誇りを持っています。
何てことない毎日を支えるプロフェッショナルでありたいと思います。
さぁ、明日も頑張ろう。
ブログ一覧 | その他
Posted at
2016/04/27 13:04:42
今、あなたにおすすめ