8月6日(日)
遅くなってしまいましたが『知多の日帰り旅』後編です(*^^*)
海王丸を撮影した後に 半田赤レンガ建物『カブトビール工場跡』に行きました❣️
暑かったので 『カブトビール」を飲みたかったんですよね〜
旦那様だけでも 飲ませてあげたかったので
SiLK
「帰りは運転するから 飲めば良いよ(*^^*)」と言ったんですが
旦那様は飲みませんでした‼︎
なので 購入して 家で飲もうと思いましたが
「カブトビール」は要冷蔵なので 残念ながら諦めました💧
何本も購入すれば 保冷剤を入れて梱包してもらえるんだろうけど…。
敢えて 定員さんに 聞くこともしませんでした‼︎
『刻まれた歴史に酔う ~ 赤レンガ建物』
《半田赤レンガ建物について》
一流ブランドを目指した地方都市のビールメーカーは
世界を夢見て巨大ビールメーカーに挑み試行錯誤を重ね
ありったけの心意気を注ぎ込んだ激動の時代に打たれた偉大な事業家の夢。
今ここにロマンとなり息づく。
《カブトビールの製造工場として誕生》
半田赤レンガ建物は、明治31年(1898年)にカブトビールの製造工場として誕生。
明治時代に建てられたレンガ建造物としては日本で五本の指に入る規模を誇りました。
ビール工場の遺構は現存数が極めて少ないため、その意味でも貴重な建造物です。
《明治建築界の巨匠が設計》
安定した温度や湿度を必要とするビール工場として建てられ、現在ではほとんど例を見ない
中空構造を持つ複壁や多重アーチ床など、極めて特徴的な構造が特色。
設計者は、明治建築界の三巨匠の一人、妻木頼黄(つまきよりなか)。
横浜赤レンガ倉庫や日本橋(装飾部)なども彼の設計によるものです。
《起業家精神を今に伝える半田赤レンガ建物》
日本のビール黎明期、大手4大ビールメーカー(サッポロ、アサヒ、キリン、エビス)へ
果敢に挑戦した半田赤レンガ建物。
国の登録有形文化財にも登録されたその重厚な佇まいは
半田の先人たちの志と豊富な財力・技術力を物語っています。
復刻、幻のカブトビール
《本格ビールづくりに挑戦し、パリ万博で金牌を受賞》
明治22年(1889年)5月
中埜酢店4代目・中埜又左衛門と敷島製パン創業者・盛田善平らにより
「丸三ビール」と名づけられた瓶詰めビールが3,000本余り半田から初出荷され
これが後のカブトビールです。
明治31年(1898年)ドイツから機械技師と醸造技師を迎えて
半田町榎下に新ビール工場となる半田赤レンガ建物を竣工。
本格的ドイツビールの醸造に着手し銘を「加武登麦酒」と改め
その2年後の明治33年(1900年)パリ万国博覧会に出品し金牌を受賞しました。
《復刻、幻のカブトビール、激動の時代を生き抜く》
明治33年にはビールに酒税が課せられ、さらに日露戦争後の景気後退により
ビール業界も大きな影響を受け、再編がはじまります。
カブトビールは
日本第一麦酒株式会社、加富登麦酒株式会社などの社名変更を繰り返し
昭和8年には大日本麦酒株式会社と合併しました。
その後太平洋戦争により工場は閉鎖され
大日本麦酒株式会社は
サッポロビール株式会社とアサヒビール株式会社に分離していくのです。
《幻のカブトビールを復刻》
そして時代は流れ、平成17年(2005年)6月
半田赤レンガ建物の保存活動を行う赤煉瓦倶楽部半田の手によって
カブトビールが復刻発売されることに。
およそ半世紀ぶりのカブトビールの発売は、3000本限定であっという間に売り切れ
幻のビールと呼ばれるようになりました。
( 半田赤レンガ建物)
《撮影機材》
PENTAX K-3
レンズ名 PENTAX smc PENTAX-DA 18-55mm F3.5-5.6 AL
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💟レトロ感が良いですよね〜
この雰囲気の中で『カブトビール』を2人で飲みたかったなぁ〜🍻
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10.
2回に分けて『知多の日帰り旅』~ 前編・後編をアップしました (*^^*)
旦那様は カワセミちゃんに会えなかった時の事を考えて
計画してくれていたようです❣️
かなり暑かったんですが
『海王丸』・『知多赤レンガ建物』を撮影できて良かったです(*゚▽゚*)
⭐️最後まで お付き合いありがとうございました⭐️
✨ ~ SiLK ~ ✨
Posted at 2017/08/15 18:42:36 | |
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