2024年03月21日
ロードスターから経験済みポルシェ回帰への心構え?
前回の投稿でお二方からコメントを頂き幸せでした。
お一人の方は、現状でボクスター981に乗られており、そんな方と繋がれたわたしは、なぜかその車の持ち主と繋がることは自分まで乗っている気分になれたことは意外な発見だった。
またもうお一人の方は、私とまったく同じカーライフの巡り方で、冷静な考察によってポルシェから→ロードスターにダウングレードされた。その偶然の一致にコメントを下さった。
今の時代クルマに対する経済感というものは、お金が足りないという問題よりも、実はお金は足りるが意味を感じられない出費はゴメンだというものが、我々ともに一致するところではなかろうか。
お金を払ってまで精神的な苦しみを抱えたくないこと。
私も含めてダウングレードされた方はみんな「お金が底を尽きたから」ではなく、「もう心に引っかかり続ける、こんな苦痛は手放したい」という「悟り」と表現するほうが適切ではなかろうか。
ロードスターには慢性的な精神的苦痛はまったくない。最初のころ乗せてあげた人々が、どうしてここまでことごとくドアを最後までガンと無慈悲に開いたり、乗り降りの際に内装をこすったり打ちつけたりするのだろう?人間の他人の所有物に対するデリカシーの無さが本当にイヤなこともあったが、それも一周し、乗せる方々に先に掛けるべき言葉を持つようになるとそのトラブルもほぼなくなった。むかし初代ヴィッツを愛用していたときと同じ様に「乗ってく?狭いから傷だけちょっと気をつけてね。ごめんね」ぐらいで迷わず人を乗せられるようになった。
しかしボクスターの頃は、なにかと物惜しみする愚かな自分がいた。自分が毎日カバーをし、ここまで気遣いと出費をしているポルシェになんの関心もなく、助手席で世俗的なことを喋り続ける同乗者。つい自分は乗せてあげる相手に「貴重な体験をありがとう。お茶でも奢るよ」ぐらいの言葉は言えないのか?と期待してしまっている。
それほどポルシェや高級車というものは、持ち主の心を醜くさせる力を持っているとつくづく想う。
いまの気持ちは「ロードスターで一生でも良い」という気持ちと、「ZEROで死ぬ」という名著の読後心境のように「死はすぐそこだ。どうせお金を余らせて人生が終わるのなら、素直に好きなポルシェという走りを取り戻せばいいじゃないか」という2つがまったくの同じ力で、平行に存在する。事実、今の反射神経や視力や聴力は以後どんどん失われてゆく。ポルシェを使い切れない老いが容赦なく襲ってくるのだ。
そうした心のソフト面を考えると、ポルシェに戻るには、心がいま握りしめて離さないものを、もっと手放せたあとでなければ、再び苦しみを買うことになると感じる。
物事というものに、もし心がハイになるような幻想面と、嬉しさが去ったあとの素の価値、という2面性があるとすれば、過去2台のボクスター経験でポルシェという幻想ははがされた。残ったのは実際の素の走りと、納得のいかない出費や、その都度プライドの高い修理屋さんのご機嫌をとることへの気苦労だ。
それを心の器がどう処理するのか?お金の問題も少なくないが、ポルシェに戻るとすれば、それよりももっと大きな心の問題解決の方が先だと考えさせられます。
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Posted at
2024/03/21 11:16:59
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