![軍艦島に上陸しました。 軍艦島に上陸しました。](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/041/609/688/41609688/p1m.jpg?ct=2ccea836984e)
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以下軍艦島の説明
行政区は、長崎県長崎市。
長崎港から南西方向約17.5Kmに位置する。
海底炭鉱によって栄えたが1974年(昭和49年) に閉山した。
軍艦島は、岩礁を埋め立て工事によって拡張し
当初の岩礁面積の3倍の大きさにした。
面積 0.63平方Km
周囲 1.2Km
深い所で 約 1,000m の坑道があり
石炭の質は、国内でも最良だった。
1897年(明治30年)から1931年(昭和6年)に6回埋め立て工事をし
岩礁を拡張した。
(埋め立て工事は、7回との調査結果もあるようです)
現在の大きさは、縦480m 横160mとなる。
石炭の発見は1810年(文化7年)とされている。
当初は、漁師が露出した石炭を採取していた。
1890年(明治23年)、個人所有されていた島を三菱が
10万円で譲渡された。
軍艦島(ぐんかんじま)は余りにも有名ですが、これは通称。
実名は端島(はしま)と言う。
1960(昭和35年)人口はピークの5,151人(5,267人)となる。
(これは、世界最大の人口密度となる、東京の約9倍とされる)
1974年(昭和49年) 1月15日 閉山。
原因は、エネルギー需要の変化
(石炭から石油への移行)が理由とされる。
1974年(昭和49年) 4月20日人口がゼロとなる。
(閉山より3ヶ月後、島民は島を去った)
無人島となる。
2001年(平成13年)、三菱マテリアルが高島町に無償譲渡。
高島町が長崎市に編入し、現在の管理は長崎市が行なっている。
早めの労使協議で日本の炭鉱で唯一の黒字閉山となる。
写真 中央 右側の建物↑は、日本初のコンクリート建築。
1916年(大正5年)の建設で4階建。
後に7階建に改修。
引用先文書 ウィキペディア 端島 より一部内容を引用
現地パンフレットより一部内容を引用
保護される建物もありますが、消えゆく建物も沢山あります。
コンクリート住宅の耐用年数は、50年と言われていますが
一番年数が経過しているRC建築は、100年を超えています。
また、第二次世界大戦後は、鉄の民間使用は厳しく
制限されましたが、この島では違いました。
エネルギーの無い国で、当時の情勢を加味して
考えるとこの島に対しての国の重要性が
伝わってきます。
興味のある方は
2009年(平成21年)4月22日から観光上陸が
出来るようになりました。
Posted at 2018/06/16 11:10:18 | |
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