2024年01月16日
地震の話を書きますので、
興味の無い方、嫌いな方は、
スルーして下さい、
よろしくお願いします。
バブル景気が陰りを、
見せ始めた頃だった。
大阪は北新地は、まだまだ歌え、
踊れの大騒ぎをしていた。
私は、とある企業が持つBARの、
雇われマスターとして、
働いていた。
かなり奇抜な内装のBARだったが、
アイフルのCMでお馴染みの、
大地真央さんの旦那さんである。
空間プロデューサーの、
森田泰道氏のデザインした店だった。
その頃は、お酒も仕事中は、
全く飲んで無く、車で通勤していた。
夕方にレンタルビデオ屋さんに行き、
何か一本、映画を借りて、
その夜に観ると言うのが、
ルーティンだったが、
今も左程変わらない生活をしていた。
午前三時頃だった。
家に帰り、車を止めた。
ふと、夜空を見ると、
星、星、星、凄い数の星、
大阪の夜空って、こうだったかな、
と、不思議に思いながら、
家に入り、風呂に入り、
ご飯を食べ、映画を観た。
「アフリカンダンク」
ケビンベーコン主演、
あまり面白くも無く、
内容はあまり覚えていない、
で、観終わったので、
布団に入った。
隣には妻と、まだ幼い長女が、
寝ていた。
昔から、寝つきが悪いので、
暫く起きていた時だった。
ドン!と言ったと思ったら、
体がズレた。
それから、激しい揺れが、
あまりに激しいので、
立ち上がれなかったが、
慌てて、妻と子供の上に被さった。
木の柱から、バキバキと音がした。
今度は、外壁が崩れ、
下に止めてあった多くの自転車の上に、
落ち、凄まじい音がした。
まあ、古い賃貸マンションなので、
かなり崩れた。
揺れが収まったので、
外に出ようとしたが、
扉が開かない、
足で、何度か蹴った。
外に出ると、隣の隣の、
おばちゃんが、中から、
「助けて!」と叫んでいたので、
ドアをひっぱったら、
中から飛び出して来て、
意味不明な事を発してした。
パニック状態になっているようだ。
これは、逃げなければいけないのか
マンションの外に出ると、
地割れがあり、ガスが噴き出していた。
どうしたら、良いのか、
良く解らなかった。
多くの人が外に出て来たが、
みんな、家に戻ったので、
取り敢えず、家で待機する事に、
その日には、まだ状況が解らなかったが、
どんどん、悲惨な状況が、
TVで流れ出した。
夕方、店に行くと、
左程、大した事になっておらず、
そのまま、帰る事に、
が、北新地から、2号線に入ると、
大渋滞に巻き込まれた。
和歌山等の地方の消防車も、
渋滞に巻き込まれ、
全く動けない状態、
私も、かなり長い時間、
車に閉じ込められた。
店は、少し休んだが、
これと言ってする事も無かったので、
暫くして開けたが、
そこからが、大変な事になった。
家の真上が、自衛隊などの、
ヘリコプターの空路になったようで、
かなり低空で、30分間隔ぐらいで、
飛ぶのだが、その度に、
大音響とともに、窓が外れそうな、
振動に襲われ、昼間、
全く眠れない、
何日も、何日も眠らず、
仕事をして、倒れそうになった。
それからも大変で、
結局、マンションは、
倒壊する恐れがあると言う事で、
追い出され、家を探すが、
多くの人が、一斉に探してるので、
近くに空き家が全くなく、
仕方なく、大阪市の斡旋住宅に、
取り敢えず、一時入居する事に、
まあ、それからもまだまだ大変だったが、
そういう事を、今回、能登半島で、
被災した方達が、
今、正に経験されていると、
思うと、胸が痛い、
改めて、今回の地震で、
お亡くなりになられた方々に、
お悔み申し上げます。
そして、阪神大震災は、
30年近く前になるのだが、
ほんの少し前だったような気がする・・・
Posted at 2024/01/16 22:37:43 |
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思い出 | 日記
2023年12月30日
私事を書きますので、
興味の無い方、嫌いな方は、
スルーして下さい、
よろしくお願いします。
昨日は数年前に亡くなった。
私の父の101回目の誕生日である。
大正11年生まれだから、
そうなると思うが、
まあ、父の事を書き出したら、
キリが無いのだが、
小さな電気店を営んでいた父だが、
手先が器用で、TVやステレオ等を、
バルサ材で外側から作り、
自分で組み立てて売っていた。
まあ、今では考えられないだろうが、
当時は、ヨット等もそうだったようで、
石原裕次郎さん主演の、
「太平洋ひとりぼっち」で、
まずは、図面から手にいれて、
それを、大工さんに持って行くと、
言うシーンがあったが、
父も、同じ事を言っていた。
「図面が高いんや」と、
なので、まあ、何でも自分で作る。
縁日で、針金で作った輪ゴムの鉄砲を、
売っていたら、その店の前に、
ずっと立っていた。
暫くして帰って来たら、
針金を取り出し、
同じものを作った。
目でコピーして来たのだが、
それからが、大変で、
基本的な作り方が解ったら、
次は応用し出した。
ドンドン、アイディアが浮かんだのだろう、
クルクルと横の丸い輪を回せば、
連続的に輪ゴムが飛び出す、
8連式だと言っていたが、
いや、もう、私の方は飽きていた。
と、父は小さな命に、
過剰に反応する。
ニワトリや、色んな物を、
買って来るが、実際は父が、
面倒を見る。
ある日、私が蚕を買って来た。
繭になるのが、不思議なので、
が、その中の一匹が、
真っ黒になった。
何かの病気だろう、
それを、父はかまぼこの板に乗せ、
ペラペラに研いで来たカッターナイフで、
背中を切って、人間の薬を乗って、
傷口は、糸で縫合した。
すると、なんと小さいが繭を作った。
人間、蚕の病気を治そうと言う、
発想には、なかなかならない、
そんな父が、80歳から、
通い始めたのが、パソコン教室、
嫌な、予感はしていたが、
案の定、エロサイト・・・
と、ラジオ番組への、
リクエストをパソコンでする。
司会者の方が、驚いて読んでいるのを、
録音して楽しんでいた。
そら、85歳がパソコンを、
使うなど、20年も前なら、
珍しかったと思う、
そんな、父にNPO法人の方から、
知り合いを通じて連絡が来た。
実際に戦争を体験した人から、
話が聞きたいと、
私は、止めた方が良いと言ったのだが、
その当時、父は88歳で、
出会い系サイトにハマったいた。
が、まあ、熱心に言われるので、
父を店に呼んだら、当日、多くの方が、
集まった。父の経歴を説明し、
質問に答える事になった。
初めの質問が、
「死ぬかと思った事ありますか?」と、
すると、父は「あるよ!」と、
確かに、子供の時から、
かなり残酷な話は聞いている。
逃げ遅れた仲間は数日後に、
死体を木にくくられ
耳や鼻が無い・・・と、
父は水泳の学校に行ってたので、
川を泳いで逃げたと、
そういう話をするのかと、
思いきや、まさかの、
戦争が終わって捕虜になったが、
かなり自由で、外にも出れたらしい、
その時、近くの奥さんが歩いていて、
少し、柔らかく話すが、
まあ、いたずらしょうと、すると、
「家から旦那さんが出てきてな、
棒で殴りまわされて、
いやー、あの時は死ぬかと思ったよ」
「・・・・・」
そこからは、父のエロ話になった。
が、後日、知り合いの大学の、
准教授が言った。
「お父さんは、それも含めて、
戦争だと教えてくれたんですよ」
絶対に、そんなはずは無い、
今でも、あの時の父の、
高笑いが聞こえるような、
気がする・・・
父は、ブラックニッカを、
良く飲んでいたが、
レシピは、常温のサッポロビールと、
ブラックニッカを1:1
それを、毎晩欠かさず、
飲んでいた。真似すると、
確実に早死にするだろうが、
父は94歳まで生きた・・・
Posted at 2023/12/31 00:59:52 |
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思い出 | 日記
2023年12月09日
キューバのハーブ、
イエルナブエナの花が咲き、
町はすっかり冬支度、
暑い暑いが寒い寒いのなるのか、
等と考えながら、
ネットニュースを見ていたら、
あ、おめでとうございます。
皇后、雅子様のお誕生日で、
還暦祝いである。
私と同じ年齢、誕生日も近い、
同じ時代を生きて来たと思えば、
親しみが沸く、私は子供の時から、
妙に、記憶力が良く、
いや、どうでも良いような事を、
あれこれと、良く覚えているのだが、
周りの人達、家族等が覚えて無いので、
寂しい思いをする事が多い、
が、それも年齢と共に、
あまり覚えれなくなった。
と、言う事を今日思い出した。
還暦を迎える雅子様だが、
随分前だが、ご成婚のニュースで、
初めて、お見掛けしたのだが、
あれ?ん~、知っているような、
見覚えがあるような、
いや、まさか、大体大阪の方ではない、
等と、自問自答していたが、
数日後、子供の時のエピソードが、
紹介された。その中に、
あっ!と、思ったことが、
小学三年生ぐらいだったと思う、
小学生の雑誌で、自転車が当たる。
懸賞があり、当時、自転車が無かった私は、
必死で、はがきを書いて応募した。
暫くすると、その雑誌で、
当選者の発表があり、
可愛らしい女の子が当選し、
自転車と一緒に写っていた。
これだ!自転車が当たらなかった悔しさや、
羨ましさや、色んな感情が渦巻き、
その一枚の写真が、頭に、
焼き付いていた。
と、名前の雅が同じ事も、
印象深かったのだろう、
いや、自分でも良く覚えていたと、
関心したと言う、エピソードでした(笑)
改めて、お誕生日と還暦おめでとうございます。
次は、私か・・・
Posted at 2023/12/09 13:29:38 |
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思い出 | 日記