2023年02月19日
車の話を書きますので、
いや、違うな、集団危険行為、
いや、別に良いか、
「何してる」で環状族の事を書いた。
みん友さんと、コメントしてると、
色々と、思い出して来た。
AE86 カローラレビン、
いや、その横に乗ってたし(笑)
そのずっと後に、パンダだらけに、
頭文字 Dの影響だろう、
しかし、まあ「環状族」と言えば、
シビックの独壇場、
それに、色んな走り屋が絡むのだが、
車の長さの問題、
サーキットでは無い、
あくまで、遅い一般車が走っている。
その中をすり抜けるのだから、
小型のシビックが有利だ。
で、直線番長的なのは、
0-400の方で、大阪では南港の、
カモメ大橋を渡った辺りと、
神戸、後は泉州の助松埠頭かな、
南港では、死亡事故があり、
取り締まりが厳しくなり、
助松埠頭なども、夜間は閉鎖された。
まあ、しかし、環状は異常だった。
料金所に爆竹を大量に投げ込み、
その隙に、何台も通過する。
いや、私じゃないです(笑)
そう、カローラレビンの時は、
いきなりの幅寄せで、
木刀でガンガン車を殴られた(笑)
「なめてんのか!」って、
「何をですか?」である。
一度、フェアレディーのパトカーが、
出て来て、助手席の警官が箱乗りで、
赤橙を振り回している。
それが、逆にテンションが上がり、
みんな、ウォーっ!イエーイ的になって、
「頑張れ!」と声援、
すると「ありがとう!」って、
もう、訳が解らない(笑)
で、環状が徐々に静かになり、
0-400の規制が厳しくなってから、
「ドリフト族」所謂「峠族」
完全に頭文字 Dの影響、
私らの若い時は、情報も無く、
ドリフト自体良く解らず、
「横滑り」と言っていた(笑)
大阪と和歌山の境に、
「大川峠 裏」と言うのがあるのだが、
和歌山方面の出口辺りに、
恐ろしい、ヘアピンがある。
土曜日等は、車だらけ、
私の娘らがまだ小さい頃、
この下のキャンプ場に行ったら、
朝まで、タイヤの擦れる音で、
眠れなかったが、その対策で、
行政が、トンネルを掘った(笑)
それで、大川峠(裏)は完全に閉鎖された。
峠族は、地図を塗り替える(笑)
いや、まあ、まだまだ峠はあるので、
このドリフト族は、
まだ、居るようで、大阪南港に、
大学があるのだが、その辺りを、
未だにグルグル回っているので、
私の家まで、音が届く、
環状を走るのは、全てが同じチームでは無い、
大阪は、地域で、色々と分かれていたので、
すぐに、喧嘩になる。
木刀を振り回しているのは普通だった。
特攻服を着て、腕に「殺人部隊」って、
刺繡が入っているが、
いや、あかんやん、マジの戦争やん(笑)
環状が大人しくなったのは、
もう一つ、又、少し記憶が曖昧だが、
スパーカーのチームが現れた。
かなり、ややこしい人達、
あれに囲まれたら、
流石に恐い(笑)
いや、しかしシビック、
どれだけ売れてるんだぐらい、
走っていたが、無灯火で、
いきなり、横を抜けられたら恐いって(笑)
いや、酷い時代だったが、
本当の地獄は、この後から、
始まるのだが、又気が向いたら、
書きます。危険な運転は止めましょう(笑)
Posted at 2023/02/19 23:26:40 |
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思い出 | クルマ
2023年02月01日
今日、2月1日は、わが母の、
誕生日である。
齢95歳、ほぼ最後の戦争の語り部だろう、
足が悪く、老人施設に預かって貰っているが、
コロナで面会が難しい、
ワクチン接種の証明や、
PCR検査の結果が必要で、
面会がままならない、
昨年、コロナに感染したと、
高齢ゆえに、無理かと思ったら、
二日後に、治ったと連絡が来て、
驚いたが、まあ、母ならあり得るだろう、
何度も繰り返された大阪大空襲を、
生き延びた人だ。簡単には亡くならない、
その大阪大空襲だが、
やはり、第一回目が凄まじく、
夜明けまで続き、どこをどう逃げたのか、
全く解らず、防空壕は満員で、
どこにも入れてくれなかったと、
母は、その時に親戚の子を二人預かっていた。
小学校1年と3年だったと、
そんな小さな子供が居るのに、
まるで、野良犬を追い返すように、
「あっちへ行け!」と、怒鳴られたと言う、
非常時の人間とは、そういうものなのか、
何度目かの空襲は、昼間だったと、
市電に乗っていたら、機銃掃射で、
窓の外に、砂煙が上がったと言っていた。
自慢は、竹やりでB-29を落としたと、
これが、資料を調べたら、
本当に、撃墜している。
場所も同じ、まあ、落としたのは、
高射砲なのだが、母曰く、
多くの女性たちが「ヤー」と叫び、
その気合が、念となったと、
要は、念動力、いや、バビル二世か・・・
そんな母だが、私が幼い時、
奈良公園に行った。
沢山の鹿が居た。
母は、鹿は神様の使いだから、
傷つけたり、いたずらをしてはいけないと、
昼になり、お弁当を広げ、
食べようとすると、大きなオスの鹿が来て、
いきなり、私の横腹を角で突いた。
痛いと思った瞬間、
母が目の前に立ちはだかり、
鹿の角を両手で掴んだ。
鹿は、角を右へ左へ、
そして、押して来ているが、
母は、踏ん張り、微動だにせず、
押し返し始めた。
完全なるタイマン状態、
スカートはめくれ上がり、
ふくらはぎがパンパンになっている。
母が、何か叫んだ。
良く聞こえなかったが、多分、
「なにくそ!」だったと思う、
ここ一番、気合を入れる時に、
良く叫んでいたので、
正に、ラオウと山のフドウの戦い、
が、声に驚いたのか、
鹿が怯んだ。その隙に、
母は、持っていたハンドバッグで、
鹿の顔面を連打の嵐、
いや、神の使いと言っていたのに・・・
流石に、この攻撃に鹿は耐えれず、
退散して行った。
で、私に「大丈夫か?」と、
聞いてきたが、貴方の方が、
大丈夫か?では?
まあ、数々の思い出を作ってくれた母だが、
コロナで会えないのは残念だが、
もう少し、頑張って欲しいと、
心から、祈る。
今日が誕生日だと、忘れているかも知れないが、
私は、覚えています。
Posted at 2023/02/01 15:02:35 |
思い出 | 暮らし/家族