2023年01月17日
兎に角揺れた・・・
あの日は、北新地のBARから、
帰って来たのが、午前3時頃、
車を停めて、外に出ると、
今まで、見たこともないぐらいの、
星空だった。凄い数の星が見える。
暫く、眺めていたのを覚えている。
家に帰り、風呂に入り、
いつものように、レンタルビデオで、
映画を観ていた。
まあ、今と大して変わらない、
布団に入ったのが、
午前五時三十分頃、
その直後、いきなり来た。
体がずれたと思ったら、
激しい揺れが、
地震だと思ったが、
動けるような状況では無い、
かろうじて、娘と奥さんの上に、
天井が落ちて来ると思ったので、
木の柱が捻じれて、折れたと言うか、
裂けた。次は外壁が崩れ、
下の自転車に当たり、
凄い音が鳴り響いていた。
たまたま偶然だが、
少し前に、良く行く本屋さんで、
災害の備えと言うような、
本を立ち読みしていて、
扉が開かなくなると書いていたので、
少し落ち着いた時に、
玄関に行くと、
全く開かない、足で何度も蹴って、
何とか脱出したが、
これを、未だに私の妻は、
一人で逃げたと言っている。
賃貸マンションで、やはり隣の隣の、
おばさんが、中から叫んでいたので、
ドアを引っ張ってあげたら、
おばさんも飛び出して来て、
何を言っているのか、
完全にパニック状態で、
全く聞き取れない、
私の部屋は二階だったので、
下に降りると、
道路が裂け、ガスが噴き出していた。
ゾッとしたのは、見上げたら、
二階部分の外壁だけが、
綺麗に無くなっていた。
神戸のビルも、二階から、
折れて倒れていたので、
同じ事だと思う、
まあ、それからが大変だった。
私のマンションの真上が、
自衛隊のヘリの空路となり、
ヘリが通過するたびに、
大音響と、振動で窓が外れそうになる。
それが、何度も何度も、
その後、マンションが倒壊する恐れがあると、
言う事で、すぐに引っ越し、
が、次女がお腹にいたので、
大変だった。大変だった事を、
書き出したらキリが無いが、
神戸の方々は、もっと大変だっただろう、
朝方だったので、寝ていた方が多いが、
私は、起きていたので、
初めの衝撃から記憶にある。
あれから、もうそんなに経つのか、
沢山の方がお亡くなりになった。
それを教訓にしないといけない、
そういう意味で、私の体験を、
書いてみた。かなり経ってから、
訂正があり、私の住んでいた所だけが、
大阪市内唯一の激震地区となり、
震度7とされた。
まあ、あの揺れを、
忘れる事は無いだろう・・・
Posted at 2023/01/17 11:24:13 |
思い出 | 日記
2022年12月26日
このみんカラで凄い車を、
良く見掛ける。
特に大黒PAに集まる。
スーパーカー達、
それを見ていて、
記憶が蘇った。
多分、1977年辺りだと思うが、
全国的にスーパーカーショーが開催され、
遂に隣の町の、
今は無き、国際見本市会場で、
開催される事に、
それを、父と見に行く事に、
学校で、その事を言うと、
皆、羨ましがっていた。
安いカメラを持っていたので、
写真を撮って来ると、
自慢げに話した。
で、当日、父はその時の、
スーパーカーブームを完全に舐めていた。
出掛けるのが遅すぎたのだ。
行くと、既に長蛇の列で、
係りの人に、今から並んでも、
閉館になると告げられ、
親子で放心状態に・・・
すると父が、少し待っていろと、
何か閃いたようだ。
かなり待っていると、
「牛だ!牛がいる」と、
ん?牛?
父は、広大な駐車場を探し回ったようだ。
こういうのを見に来る人は、
そういう車に乗っているだろうと、
しかし、70年代に街中を走る。
スーパーカー等、いなかった時代、
情報も少なく、ランボルギーニと言えば、
カウンタックだと思っていた。
牛とは、そのランボルギーニの、
エンブレム、えっ!カウンタックがあるのか?
と、父に連れられ、その車へ、
ん?何これ?
確かにランボルギーニのエンブレム、
だが、普通・・・
が、写真を撮って来ると、
友人に言ったので、
人の車をバシバシ撮影、
で、写真屋さんに行って、
現像して貰った。
う~ん、学校に持って行くのは、
流石に考えたのだが、
仕方ない、が、案の定、
何これ?寝てるやん(笑)
と、爆笑の嵐、
半泣きになった。
その車が何だったか?
記憶を頼りに探してみた。
確かに、眠たそうだ(笑)
多分、これだと思う、
ランボルギーニ・ハマラ
V型12気筒 3929cc
350馬力の当時なら、
当然、スーパーカーだろう、
いや、今でも、乗れる機会があれば、
是非、乗ってみたい車だ。
凄い人気だったスーパーカーショーだった。
Posted at 2022/12/26 22:31:45 |
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思い出 | クルマ
2022年12月25日
クリスマスだと言うのに、
店は暇・・・
こんな寂しいクリスマスは、
人生初だが、コロナ以降、
人生初を体験し過ぎている。
まあ、コロナ自体が人生初だが、
と、言う訳で、記憶の連鎖が続く、
あれは、娘が小学校低学年の時、
インフルエンザになり、
高熱を出した。
まあ、昼間は私が居るので、
少し良くなったので、
可哀そうだから、レンタルビデオを、
借りて来てあげた。
何故、それを借りたのか、
良く覚えて無いが「みどりのマキバオー」
競馬のアニメだった。
すると、娘が続きが観たいと言うので、
結局、全て借りて観た。
暫くして、元気になると、
競馬が観たいと言い出した。
ヤバい、娘がギャンブラーになってしまう、
と、思ったが、いやいや待てよ、
これは、競馬に連れて行って、
現実を見せた方が良いのでは?
と、考え、休みの日に、
娘を連れて、場外馬券場へ、
まだ改装前の、汚い状態、
至る所に、おじさんが座っている。
「競馬をすれば、あんな風になるぞ」とか、
馬券の販売機の前で、
「これは、お金を紙にしてしまう機械だ」とか、
散々、言って、娘に好きな番号を、
4つ言えと言った。
4-7 6-9 こんな感じだった。
帰ろうかと思ったが、
もうすぐ走るので、
待っていたら、
えっ、えええっ!マジか!
的中!しかも、かなりの高配当、
娘が言った数字が・・・
ま、不味いな・・・
しかし、当たったので、
払い戻しの機械に、
すると、ダダダダダッ!と、
万札が、背中に妙な気配が、
後ろで、娘がじっと見ている。
「まあ、ちょっと勝つ事もあるから」と、
誤魔化しながら、帰ろうと、
車に乗ったら、娘が、
新しいゲーム機が欲しいと、
「ああ、又今度な」と、言うと、
「お父さん、さっきお金、
めっちゃ持ってたやん」
バ、バレてる・・・
仕方ないので、ゲーム機を買いに、
おまけにゲームも大量に買ったが、
まだ、お金は余っていた。娘が一言、
「競馬ってめっちゃ儲かるやん」
逆効果になってしまった・・・(笑)
Posted at 2022/12/26 00:21:10 |
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思い出 | 趣味
2022年12月25日
有馬記念で記憶の連鎖が、
止まらない、家から近い、場外馬券場は、
南海ホークスの大阪球場の裏手にあった。
今は、綺麗になったが、
昔は、海外の映画に出て来る。
危ない場所のような、
まあ、汚かった。
皆座り込んで、酒を飲み、
新聞を読んで、タバコは、
ポイポイ捨てて、
いつもは友人らと行くのだが、
その日は、一人で馬券を買いに、
買い終わると、若い人達が、
いや、私も若かったのだが、
一斉に走り出したので、
群集心理が働いて、
私も走ったら、一台のバスが、
皆、止まったが、私は前へ、
すると、警備員さんに、
止められて、60年代の、
学生紛争のような感じになった。
で、超至近距離のバスの出入り口から、
金髪で背が低く、ミンクのコートを着て、
サングラスを掛けた女性が、
何だ?警備員に守られ、
大阪球場に入って行った。あの人何なんだ?
なんか、めっちゃ警備員さん怒ってるし、
で、夜にTVを観ていたら、
さあ!マドンナの大阪球場の、
コンサートが始まりますと、
「マ、マドンナ・・・・」
私、マドンナに抱き付けるぐらいの、
距離まで近づいていたんだ。
そりゃ、警備員さん、
怒るわ(笑)しかし、
マドンナと解らない、私が恐い・・・(笑)
調べたら、1987
昭和62年か、
私は、23歳か~24歳ぐらい、
若い日の思い出でした(笑)
Posted at 2022/12/25 21:34:49 |
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思い出 | 趣味