鹿児島・宮崎旅/飫肥城跡
投稿日 : 2023年05月06日
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飫肥城跡
戦国時代に築城された城跡。
飫肥藩伊東氏5万1千石の城下町。
歴史を伝える建物が今も残っている。
一部施設は有料ですが時間オーバーの為に復元された範囲のみ駆け足で攻城してきました。
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飫肥城跡
立派な大手門の橋下はお濠になっていますが水があるわけではありませんでした😔
飫肥城は周囲約2.7kmの場内に松尾の丸、中の城、本丸の城を配した平城。百年杉を使って復元した大手門。
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飫肥城跡
祐経は、源頼朝より日向国をはじめとして全国各地に所領を与えられ、全国の所領には地頭等を配し、自らは伊豆国伊東の地に居住しました。
その子である祐時は姓を伊東と改姓し、6代伊東祐持のとき、足利尊氏より日向国都於郡(ひゅうがのくに、とのこおり)に所領を与えられ、伊東から都於郡に移り住みました。
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飫肥城跡
伊東氏は代々都於郡城を居城にその勢力を拡大し、
16代伊東三位入道義祐のとき、それまで島津氏の支配下にあった飫肥城を攻め取り48支城を各地に配し、
日向国内に覇権を樹立しました。
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飫肥城跡
しあわせ杉 4つの角にある杉の木
対角線の中心に立つと幸せパワーが貰えるとの事
勿論貰ってきました😤
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飫肥城跡
元亀年(1572年)木崎原の戦いで島津義弘に敗れ、その後天正5年(1577年)伊東領に侵攻した島津氏に敗れて国を失い豊後国に落ちました。
その後伊東氏が大名として復活するのは、豊臣秀吉に仕えた義祐の子・祐兵が、天正15年(1587年)の九州平定で功績をあげ、飫肥城を与えられてからです。
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飫肥城跡
280年余、飫肥藩(五万一千石)を伊東氏14代で治めました。
画像の石段を昇ると本丸跡です。
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飫肥城跡
本丸跡には樹齢140年の杉木立と深い緑の苔のじゅうたんを敷き詰めたようなこの場所は「癒しの森」と呼ばれます。
天に向かって真っ直ぐに伸びた杉木立を仰ぎ見ると、木立の間から青い空が見え心が開放され癒されます。
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