皆さま、たいへん長らくご無沙汰しております。
再開早々で申し訳ありませんが、このたびはたいへん残念な報告があり・・・
実は妻が昨年10月に第二子となる女の子を出産直後に急逝しました。34歳でした。
こうしたことをブログでご報告するのも如何なものかと正直悩みましたが、これまで家族の出来事をご紹介させていただき皆様もよくご存知の妻のことですので・・・
10月10日に出産予定でしたが、10月1日の定期受診時に脚の浮腫みなどが顕著であったため即入院となり、またこのままでは母子ともにリスクを伴うため、翌2日には自然分娩または帝王切開のいずれかにて出産することとなりましたが、幸い自然分娩にてAM9時45分に無事元気な赤ちゃんが誕生しました。
その喜びも束の間、出産直後から息苦しさを訴え、検査の結果心臓肥大と肺水腫が判明したため、急遽心臓内科へ搬送となりました。ナースステーション横にある集中治療室にて治療となり、3日後の主治医からの説明ではようやく治療の効果が少しずつ見え始めたとのことで、不安ながらも少し安堵したところでした。
7日の日曜のお昼に3歳の長男と母を連れてお見舞いに行った時には顔色もよく、前日に行われた幼稚園の運動会のビデオを見ながら笑顔も見られ、この分なら回復も早いだろうねと30分ほど談笑して「また来るからね」と帰路につきました。途中15時20分に「さっきはありがとう。今は息苦しく話もできないので、あの時話せてよかった。○○ちゃん(長男)のことよろしくね」とメールが届きましたが、これが最後のメッセージとなりました。
17時前頃、実家まであと100m程のところで病院から私の携帯電話へ連絡があり、本人急変のためすぐに戻って下さいと…
普段は安全運転が信条の私ですが、あの時ばかりは高速道路を何キロでとばしたか覚えていません。1時間程で病院の高度救命センターへ到着した時には、妻は数時間前とはすっかり変わり果てた姿で・・・ その後あらゆる治療を行っていただきましたが、5日後の深夜1時55分についに帰らぬ人となりました。
結局9月23日の若戸大橋、翌24日の志賀島が家族で最後のドライブとなりました。私の元気の源であるクルマを誰よりも理解してくれて、そして何より家族でのお出かけを楽しみにしていた妻・・・
私たちは自らの身に何が起こったのか理解できず、ただただ無念でした。しかし一番無念なのは息子の成長を見届けられず、また待ち望んだ女の子を胸に抱くこともできずに逝った妻だと思います。
産まれた女の子は彼女が決めていた通り命名しました。今は自宅で引き取ることができませんので、施設に預けています。生活が落ち着いた暁には自宅へ引き取りたいと思っています。
私たち父子は私の実家に身を寄せ、新たな生活をはじめました。二人とも奈落の底に突き落とされ、心身ともに大きく傷つきましたが、私の両親をはじめ周囲の方々の深い愛情や励ましにより、4か月を過ぎた今ようやく少しずつ平穏を取り戻しつつあります。特に息子はこの1月で4歳になり、この過酷な現実を自分なりに受け止めて一回りも二回りも成長しました。その息子の存在がまた私を癒してくれています。
今でもふと妻のことを思い出しては涙が止まらないことがありますが、今はこれまで妻に任せてばかりだった育児に悪戦苦闘しながらも、息子と娘の健やかな成長を糧に日々頑張っています。
悲しみはすぐには癒えませんが、下を向いてばかりはいられません。二人の子どもをしっかりと育てていくことが妻への一番の供養だと思い、しっかり取り組んでいきたいと思っています。
皆様またこれからもどうぞよろしくお願い致します。
平成25年2月24日
hakatanomori
☆息子とカムリでドライブしてきました・・・ 家族の思い出を乗せて、未来へ走り続けます。
Posted at 2013/02/24 08:53:17 | |
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