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惡魔鍋のブログ一覧

2012年12月08日 イイね!

下見、下見、門は開かれず。


それにしても、厄介なモンだ。



やっぱり、今時、そんなのは流行らない。そもそも、出歩くことなく、人は動かず。
だって、PCの前でマウスを動かせば、なんだって買えるし、宅急便が届けてくれる。
こんな時代に、クルマに乗ろう、なんて思うのは常軌を逸した人間の所業なんだと、
言わんばかりの世の中だ。都会なら殊更なんだろうが、それはもはや、田舎にも
当てはまろうとしているんだから始末が悪い。

ちょっと前でも、クルマは「高価」であれば良い、という意見が支配しようとしていた。
どう考えても、それはオカシイ!と思うのはもっと古い人種の様な気がしてくる。
ただ、「高級車至上主義」の人間と「趣味車愛好家」のマイノリティの落しどころも、
実は存在していたわけで、NS-Xなんかがその例と言えるだろう。
好きではない、むしろ「アンチ」を掲げる者とて、その根源にある「素晴しいもの」への、
嫉妬感は否めない。数字上のスペック、そして目の当たりにしたときの「風圧」なり、
「威圧感」に、「やっぱりクルマはオカネなのかね。。。?」と言わずに居れなくなる時がある。



世の中には「美しいもの」がたくさん存在している。そしてそれは「常に変化する」ものである。
かつて美しさを「美度」という数字で表そうとした芸術家/研究者まで存在するのだが、
仮に当時の「美度」で示された評価は、1世紀近く経過しようとしている今では、「絶対性」は薄れ、
無用の長物になっているかもしれない。事実、美度は測れなかった。恐らく、
「美しいは絶対ではない」という、人間のいい意味でのいい加減差に彼は気付いたんだろう。

だが、クルマにおける「絶対的な美度」は、若干ながら存在し、しかも絶対的?と言えるかもしれない。
それは「地上高の低さ、タイヤとフェンダーの隙間の小ささ」と言っていいだろう。
なぜそうなったか?はあまりにも膨大な理論が必要なので割愛するが、フェラーリ、アストン、
ポルシェ。。。思いつく限りの高級メーカーから、トヨタやダイハツに至っても、一貫するのは、
デザイン段階での「低さ」をいかに維持しつつ市販化するか?である。あの「86」だって、極論的には
「低さ」の寵児である。早い話「低い=カッコイイ」のである。

逆に(そんなことする人は極稀だが)、低い車高のクルマの車高を上げてみよう。
。。。各自の想像に任せるが、実に奇怪なものとなる。スポーツカーなら、
"程度の悪い"SUVへと成り下がっていくだろう?




「低い」を維持すること、それはやはり苦労するということである。
例えば、駐車場だって選ぶ必要がある。果てには「アソコのコンビニには入れない」など、
不断のフィールドワークを必要とする。これを逐一記憶する。

「低い」を維持しようとすると?
全然関係ないときでも、妙な段差やスロープでも「この坂は入れる!」なんて、新しい発見と
喜びに満ちた世界で生きていくことだろう。これは逐一記憶せずとも刻まれる。

散歩をしていても、常にそういうことを考えて、果てには写真やメモを取り出す始末となる。
ほんっとに極小さな「坂ペディア」が大脳やノートに構築されて行くのである。
しかしこれは「必要悪」である。たとえダメージ自体は少ないと解っていても、

「もう、ゴリっ!って言うあの音は聞きたくない。。。」

単純にそれだけなのだが。。。「完璧」ではない諸兄は、そこまでやっても、
「ゴリっ」を繰り返す。。。時期、場所、交通量、そしてタイヤの具合なんかでも、
変化する。常に更新が必要なシステムで、クラウド化も出来ないのだ。




しかし、現在に適合した「クルマなど不要」と真に思う者はこういうだろう。
完全に正解で「合理主義」であるためそもそも運転などしないんだろうし、
「美しさ」以外の「低さ」を説明したとて「釈迦に説法」。そして、

「。。。車高、上げなよ?」

結局、堂々廻りなんだろう。そもそも、出歩く必要なんてなくなっていくのが、
今の社会なんだから。
Posted at 2012/12/08 15:52:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | クルマ小説 | 日記
2012年05月04日 イイね!

別世界亡霊。


類は友を呼ぶ。

類は強敵を呼ぶ。

どちら共に「トモ」と呼ぶことを、我々「北斗の拳」世代なら、総理大臣の名前を
知らずとも知っているものだ。
銀河万丈(ナレーション、聖帝サウザーにしてギレン・ザビ総帥、演説キャラno.1)が言う
「核の炎」に包まれなかったのは幸運な事だが、世紀末覇者ラオウの昇天に際し、
第64代北斗神拳正当伝承者の餞も「まさしく、あなたも強敵でした」である。

世紀末を思わせるが如く、向かい風の中、たどり着いた駐車場は、
意外にも人であふれていた。もはや定位置?と言ってもいい場所に
クルマを停めた。

その時、隣に停まってあったのは「義理の兄弟/MR-S」。
「北斗宗家」ほど、ありがたくも美しくも、はたまた究極の暗殺拳でもないが、
ロータス・エリーゼを救世主とし、セリカ、ランクス、MR-S。。。
まぎれも無くこれらは同じ「1/2ZZ」の血を分けた義兄弟に違いは無い。

2時間程度で買物をすませ、クルマに戻ろうとした時だ。



「トキ。。。」(違)
(もしくは「しゅぅ~うっぅぅ~~っ!!」である)

慈愛なる身内、強敵、MR-Sは既に無く、変りにあったのは「CR-Z」。。。

「この体の秘密、解明できようものか?!退かぬ!媚びぬ!省みぬ!

聖帝ではないがV-tecを納め、更にハイブリッドを極めしホンダの聖帝が
そこには居たのだ。(※実際、トキはサウザーと対峙しておりませんw)
トヨタ(宗家?)側から見た「ハイブリット」の印象は、ひたすら重く、確かに燃費は
恐ろしくいい。元来の同クラスのクルマと比べた日には、50%増しはモチロンだし、
カタログ値で言うなら200%を謳うのも珍しくは無い。ただ「重い」のだ。
エンジンが何万rpm.回り、官能的なオトで挑発してこようが、
ブガッティ・ヴェイロンも真っ青なパワー・トルクで加速出来たとしても、
軽くなければ身のこなしで劣る。これはスポーツカーにとっては致命的だ。

「軽くて何がいいの?」と聞かれて、
「コーナリングで。。。ブレーキ踏んだ時の。。。」などと御託を並べるのは簡単だが、
そんな「愚問」を投げかける御仁に、それらの解説は形骸でしかない。
そして実際乗ることは無いような人種である。「よほどのこと」でも無い限り、
全く理解されないだろう。しかし、伝家の宝刀がある。そう「燃費」である。

「軽いと燃費が違う、100kg減らせば10%は伸びるだろうね?」(※私なりの感触です)

そう、やっぱり「軽い」のはとても偉いのであり、クルマの口プロレスにおいても
「北斗神拳奥義・無想転生」並の境地なのである。そして我々は口にするだろう、

「鳳凰、すでに翔ばず!」

と。

※唯一問題があるとすれば、筆者がCR-Zって実はよく解らないwってトコにあるでしょう。
 ところで重いの?軽いの?「重いと感じさせないパワー」って言うのは「重い重いw」だよ?w




「勝負、あったな。。。」

そう呟くのは長兄ラオウである。奥に控える「ちっさく無いけどとても偉いmini」に
その姿を被せて見るのが良いだろう。
ミドルクラスの覇者はまさしく「BMW/mini」一族、いや拳王親衛隊なのだから。
 
Posted at 2012/05/04 23:11:35 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ小説 | 日記
2012年03月29日 イイね!

せわしなき春、幻の都。(後)

「さて、どうするか?」

結局、雨は止むことを知らない。仕方なしに少しおさまったのを見計らい、
用事のあるビルに逃げ込む。大した距離ではないが天候が天候だ、
用も無いのに入り込んだ本屋で暇をもてあます。


―案の定、用事など、待った時間よりも短い時間で済んでしまうわけだ。


さっきよりはおさまったものの、強風でなぎ倒された自転車が痛々しい。
雨は小降りとなっているが「石畳の都道」は細く、ただでさえ通行に苦労する
道である。
その時「京都」ナンバーの黒のBMW、6クーペが美しい巨体を往生させながら、
“牛歩”してゆくのだ。さしずめ、嵐に方向性を失い、浜辺に打ち上げられた“鯨”
と言っていいかもしれない。普段ならば嫉妬しそうな“世界一美しいクーペ”だが、
今日ばっかりは「哀れ、同情」といった感情に支配されてしまうのだ。

なんにせよ「都」はクルマ社会は想定しておらず、京(みやこ)で使いまわすような
代物ではない。これは確信だ。現代の「都」である東京や名古屋、そして大阪だと、
「車社会」の具現ともいえるので、過去の都の道路事情など推して測ることは、
難儀するに易くないだろう。

黒の6クーペ、「地上の鯨」、「都」、言葉とは裏腹にミスマッチの溝は深く、広い。


用事が済んだら昼食がまだで小腹が空いた事を思い出す。
駐車代金は正直痛く気になるところだが、何となくせっかく来た感覚がなかなか
踵を返させない。それに普段なら観光客の往来が多く、昼過ぎでも混雑し行列が
耐えないようなレストランでも空席がある事を思い出すと、
何年振りかに足を運びたくなる。



頼むのはもちろん、「ミートドリア」だ。
昔スイミングの前、極々まれに食べさせて貰えたのが懐かしい。猫舌の私が、
今の今まで忘れずにその味を記憶しているなど、実に稀なケースだ。
味どころか、動いてしまう皿を不意に押さえ込もうとして、端っこを押さえ、
左手が火傷しそうになる事まで覚えている。

ただ、昔ほど「おいしい」とは思えない。美味い、不味いで言うならかなり上位の
「美味しい」。だが、訪れなかった数年間の間に、私自身がいろんな美味しい物を
口にした後に比較するならば、もはやベストではなくなってしまっている事が
少し悲しい。

ただし、店の外観、そして周辺環境、僅か数年の間に激変してしまっている。
なのに、よくぞここまで変らないでいてくれた事が少し嬉しかった。
老舗が、ではなく、今でもどこか私の原点であるのは間違いない。



「毒を食らわば皿まで」

とは言うが毒ではない。なんとなく懐かしさに駆られて、思わず注文してしまった
「ガトーショコラ、コーヒーセット」。
昔ならば同時に注文する事など御法度だったので、変える間際、
シューケースに並ぶケーキ群を眺めては「今度来た時、絶対食う。」
そう思ったものだ。宿願を達成するのに随分時間がかかってしまったと
苦笑を禁じえない。

ただし、今の今まで躊躇った甲斐は確かにあった。
最近ありがちな「濃厚」と謳って、前歯の裏まで絡みつくようなしつこい濃厚感
ではなく、ややパサパサ気味に、それで居てチョコレートの存在をしっかりと
主張した「ショコラ」は秀逸と言うことに気付ける。そして、ブラックのコーヒー
(エスプレッソ抽出?と思われる)に物凄くマッチングしているしている、
そんな明らかに「子供じゃ気付けないよ」っていう仕組みに妙な喜びを感じる。


少し残念な事もある。「雰囲気」という奴だ。
今日という日が悪かったのか、隣の席で女子大の2回生?達が
次年度の時間割をあわせ、今はやりの「マスキングテープ」を付箋の様に使い、
「かわいー」と騒いでいたのが、正直不快でたまらなかった。
しかし冷静に、もしも私がそのくらいの時に、少ない友達と喫茶店に入った
のなら、彼女らよりももっと騒いでいたのかもしれない。

重ねて「子供じゃ気付けない事」があるって事に、自戒の念を込めてみる。

とは言え、嵐の日を存分に充実と満足で埋め尽くしてくれた店は既知ではあるが、
「(再)発見」に値するものだった。温故知新、古いものほど「打ち直せば光る物」が
見つかるのかもしれない。

格子窓のガラスには、もう十分な量の西日が溢れている。

体格の良い外国人の一段が、路地を歩いてゆくのが見える。
完全な洋食を食べながら、窓の外には古の都。そこを歩くのは完全な西洋人。
ミスマッチを眺めつつ、不思議な気分となったところでコーヒーを飲み干した。

女子大生の「かわいー!かわいー!」という会話は尽きず、これ以上長居すると、
老婆心+駐車代金のみが加算されていくだけだろう。少し贅沢な昼食になったが、
それに見合う価値は十分に見出せた、そんな春の嵐の後だった。
Posted at 2012/03/29 00:50:22 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ小説 | 日記
2012年03月28日 イイね!

せわしなき春、幻の都。(前)

天気予報はまるで意味が無い。
きっと何百年前も、祈祷師に向って浴びせられた言語はこうで、
古今東西、変らない人間の悩みだと思う。今日だってそうだ。


穏やかな春の日を、体感したのはいつのことだろう?
ここ何年では、物理的に、心理的に―
「穏やか」なんて思えた事は無い。

磨り減ったタイヤから伝わるのは、不安の振動。「勘弁してくれよ。。。」雨とも霰とも呼べない、
強いにわか雨が、昼前の大通り、スピードは控えめでも不安な気持ちだけを加速させる。
接地感が怪しくなるほどの雨だが、随分遠くには晴れ間は見える。そんな鈍行運転を20、30分も
続けると、フロントグリルに当たる風は無く息苦しささえ感じてしまう。明らかに我々の
“水域”ではないそんな流れの中、左折して目的地に向うが一向に雨は止まない。


「若い子に言わせれば、穏やかだのなんだの、
春にそんな事考えたことないだろね?」

フト、年よりじみた愚問が浮かぶが、異常気象に不景気、そして地震―
どう考えても「キボウの春」なんて言葉は今は昔に思えてしまう。
「ツラいことが一杯の春」当たらずもがな、失望に胸を焦がす人も多いだろう。



大通りでさえそんなコンディションで、
左折した先に「石畳の道」。


そしてここはかつて「都」のあった街。

行政はしきりに「観光資源」などと呼ぶが、「現代人」の住民に対しては、
大きな犠牲を強いているだけだと思えてしまう、風光明美な町並みだ。
端から見れば、良いことに思えるだろうが少なくともクルマには「劣悪な環境」だというのが
子供の目にも明白だろう。
よりによって「縛り上げられたアスリートの足」は、そんな“石という茨の道”の感触を、
おせっかいなまでに伝えてくる。すると去来するのはこうだ。

「ここって、貴族が“牛車”でのんびりと急いだそんな道なんだよな?」

「都」の影も形はもはやないといえる。「現代の都」をしる現代人なら、この道は許容の限界を
超えていると断言できる。現代人のクルマと“牛車”の共通点を探すことなど愚かしい。
スポーツカーなら尚のことだろう。車輪が付いている、それ以外なら、
目的も生い立ちも違うのだから。そもそも「中の人」は移動するのみで操舵するのは、
「従者」なのだから。現代の“牛車”―悪い意味は無いが、ロールス・ロイスくらいのもんだろう。
仕方ない、仕方ない、もしも晴れてても「都の道」はこうなんだから。


雨は強まるばかりで、強風に加え、耳を澄ませばゴロゴロと不穏な音が響いてくる。

これはたまらん、とばかりに見つけたコインパークは、狭いが屋根付き・二階立ての立体。
運よく路上から見える位置に、一階フロア、空車を見つけ、そそくさとクルマを滑り込ませる。
目的地は近くだし、急いでも仕方あるまい。そう思うと、必要以上に慎重に。狭いだけに、
暗いだけに何があるかわから無い。慌てる必要がなければ、さらにゆっくり。

普段、慌てるばっかりで失敗する事が多い人間ほど、こういう変ったことに慎重を払うのかも?

やはり愚問だが、事実外は、ひどい嵐のままでさっきまで往来していた人の波もまばらに、
風があるので、傘を広げるのも躊躇してしまう。まったく、春なんてせわしない季節だ。

シリンダーからキーを抜くと、普段ならやりもしない事だがカバンを開き、忘れ物が
なかったか?などと確認してみたり、ケータイをみたり。。。とにかく、外に出るのを渋ってみる。
もちろん時間をかけると、駐車代が嵩むのだが、お手上げ、今日ばっかりは仕方ない。
Posted at 2012/03/28 22:24:14 | コメント(2) | トラックバック(0) | クルマ小説 | 日記

プロフィール

「んだんだ♪ でももうちょっと咲き始め?かも知れない?w @kc_9jp 」
何シテル?   04/05 19:30
惡魔鍋とか言うものです。 貧乏性かつ、触れ合いwを押さえ、 「鎖国体制」を引いておりましたが、 クロフネ(牡12)襲来を機に開国へと 舵を取りました...
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