「さて、どうするか?」
結局、雨は止むことを知らない。仕方なしに少しおさまったのを見計らい、
用事のあるビルに逃げ込む。大した距離ではないが天候が天候だ、
用も無いのに入り込んだ本屋で暇をもてあます。
―案の定、用事など、待った時間よりも短い時間で済んでしまうわけだ。
さっきよりはおさまったものの、強風でなぎ倒された自転車が痛々しい。
雨は小降りとなっているが「石畳の都道」は細く、ただでさえ通行に苦労する
道である。
その時「京都」ナンバーの黒のBMW、6クーペが美しい巨体を往生させながら、
“牛歩”してゆくのだ。さしずめ、嵐に方向性を失い、浜辺に打ち上げられた“鯨”
と言っていいかもしれない。普段ならば嫉妬しそうな“世界一美しいクーペ”だが、
今日ばっかりは「哀れ、同情」といった感情に支配されてしまうのだ。
なんにせよ「都」はクルマ社会は想定しておらず、京(みやこ)で使いまわすような
代物ではない。これは確信だ。現代の「都」である東京や名古屋、そして大阪だと、
「車社会」の具現ともいえるので、過去の都の道路事情など推して測ることは、
難儀するに易くないだろう。
黒の6クーペ、「地上の鯨」、「都」、言葉とは裏腹にミスマッチの溝は深く、広い。
用事が済んだら昼食がまだで小腹が空いた事を思い出す。
駐車代金は正直痛く気になるところだが、何となくせっかく来た感覚がなかなか
踵を返させない。それに普段なら観光客の往来が多く、昼過ぎでも混雑し行列が
耐えないようなレストランでも空席がある事を思い出すと、
何年振りかに足を運びたくなる。
頼むのはもちろん、「ミートドリア」だ。
昔スイミングの前、極々まれに食べさせて貰えたのが懐かしい。猫舌の私が、
今の今まで忘れずにその味を記憶しているなど、実に稀なケースだ。
味どころか、動いてしまう皿を不意に押さえ込もうとして、端っこを押さえ、
左手が火傷しそうになる事まで覚えている。
ただ、昔ほど「おいしい」とは思えない。美味い、不味いで言うならかなり上位の
「美味しい」。だが、訪れなかった数年間の間に、私自身がいろんな美味しい物を
口にした後に比較するならば、もはやベストではなくなってしまっている事が
少し悲しい。
ただし、店の外観、そして周辺環境、僅か数年の間に激変してしまっている。
なのに、よくぞここまで変らないでいてくれた事が少し嬉しかった。
老舗が、ではなく、今でもどこか私の原点であるのは間違いない。
「毒を食らわば皿まで」
とは言うが毒ではない。なんとなく懐かしさに駆られて、思わず注文してしまった
「ガトーショコラ、コーヒーセット」。
昔ならば同時に注文する事など御法度だったので、変える間際、
シューケースに並ぶケーキ群を眺めては「今度来た時、絶対食う。」
そう思ったものだ。宿願を達成するのに随分時間がかかってしまったと
苦笑を禁じえない。
ただし、今の今まで躊躇った甲斐は確かにあった。
最近ありがちな「濃厚」と謳って、前歯の裏まで絡みつくようなしつこい濃厚感
ではなく、ややパサパサ気味に、それで居てチョコレートの存在をしっかりと
主張した「ショコラ」は秀逸と言うことに気付ける。そして、ブラックのコーヒー
(エスプレッソ抽出?と思われる)に物凄くマッチングしているしている、
そんな明らかに「子供じゃ気付けないよ」っていう仕組みに妙な喜びを感じる。
少し残念な事もある。「雰囲気」という奴だ。
今日という日が悪かったのか、隣の席で女子大の2回生?達が
次年度の時間割をあわせ、今はやりの「マスキングテープ」を付箋の様に使い、
「かわいー」と騒いでいたのが、正直不快でたまらなかった。
しかし冷静に、もしも私がそのくらいの時に、少ない友達と喫茶店に入った
のなら、彼女らよりももっと騒いでいたのかもしれない。
重ねて「子供じゃ気付けない事」があるって事に、自戒の念を込めてみる。
とは言え、嵐の日を存分に充実と満足で埋め尽くしてくれた店は既知ではあるが、
「(再)発見」に値するものだった。温故知新、古いものほど「打ち直せば光る物」が
見つかるのかもしれない。
格子窓のガラスには、もう十分な量の西日が溢れている。
体格の良い外国人の一段が、路地を歩いてゆくのが見える。
完全な洋食を食べながら、窓の外には古の都。そこを歩くのは完全な西洋人。
ミスマッチを眺めつつ、不思議な気分となったところでコーヒーを飲み干した。
女子大生の「かわいー!かわいー!」という会話は尽きず、これ以上長居すると、
老婆心+駐車代金のみが加算されていくだけだろう。少し贅沢な昼食になったが、
それに見合う価値は十分に見出せた、そんな春の嵐の後だった。