音信不通となった知人(以前、大変お世話になった方)を探しに被災地に行ってきました。
本当にダメ元です。
場所は陸前高田の端っこで、陸路を完全に遮断されて孤立してしまった広田半島。
地震の翌日は途中で検問に逢い、「陸路では行けない」「自衛隊のヘリじゃないと物資を運べない」「生存者の名前や詳細は不明」と言われ、追い返されてしまいましたが、火曜日の夜にネットを検索していたら「車で行けるらしい」というTwitter記事を発見。ネットを観ていても生存者リストは一部分しか入手できず、しかも広田半島のリストなんて永久に手に入りそうにない。生死不明、記事の信憑性も不明。「行けるところまで車で行って、途中から徒歩で3~4時間歩いても良い」という感じで出発!
生きているかどうか、どの避難所にいるのか、も分からない状態での出発。
もしたどり着けたら避難所を見つかるまで次々に回って歩き、名前が見つからないときは名前を言って知らないか聞いてまわろうと思っていた。
盛岡で毛布や水などの物資を調達し、
大迫→遠野→住田
経由で陸前高田へ向かう。しばらくはいつもと変わらない景色が続く。横田の『川の駅』駐車場で自衛隊のトラックが複数台ならんで駐車しているのを目撃。「自衛隊が…」というニュースを観たけど実物を目にして初めて実感。「本当に来てくれたんだな」と泣きそうになった。
高田に入ってしばらく走ると突然景色が変わる。道路の右側の土手や田んぼに材木やゴミ、根っこから抜けたり途中から折れたりした木や大木が目に付く。見てるだけで「なんなんだコレは!」と背筋が凍ってくるような光景。
自動車学校入口のローソンは大破。ガラスが割れ壁に穴があき、四方をゴミ・材木・瓦礫で覆われている。
陸前高田市内の手前で通行止め。バックして横道に入り、
鳴石→サンビレッジ高田→米崎小学校
→国道45号線→フルーツライン→小友駅の横
という経路で広田に行けました。
(この経路で行けることが分かるまでUターンと右左折しまくる)
フルーツラインを走行中、ふと横を見ると全く見たことのない、見覚えのない景色が広がっていました。
知っている街は無くなってしまった。。。(´;ω;`)
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茶色い点々は壊れた家など。
田んぼの真中に船まであります。
無事、車のまま広田に到着!
自宅があった場所に行くと、見分けがつかないような瓦礫の山!!
家は防波堤のすぐ近くで、付近一帯はこのありさま。
警報が出てから津波が来るまで時間が短かったというニュースを聞いた。年寄りだし、海に近い場所なので逃げ切れたかどうか最悪の事態が頭をよぎった。
付近には自衛隊のトラックが沢山来ていて、海上ではボートに乗って長い棒を海底に差し込む隊員の姿が見える。
ネットで「避難所」を検索して引っかかった広田小学校へ向かう。
ここが一番大きいらしい。
中に入り部屋(教室)入り口に貼られた紙の名前を見るが探している名前がない。見渡すと人がいたので「泊に住んでいたのですが…」と言うと、一番近い住所の人たちが割り当てられた部屋を教えられた。中に入って見渡すが探している人はいない。。。
住所を言うと「その地区は慈恩寺に避難している」という情報を入手。
黒プリ、PowerモードスイッチON!
ダッシュで向かう。
途中で道を聞いたついでにダメ元で名前を言ってみたら
「いるよ。元気にしてるよ」
と言われた。
「生きてた…良かった…」
涙が出てきた。。。
お寺発見!!
境内にいた人に名前を言うと、
息子さんがいたーーーーーっ!
でもって…
奥さんもいたーーーーーっ!!
ワンこまでいたーーーーーっ!!!
町内会の会長になっていて物資の配給などの打ち合わせで会合に出ていて留守だけど、元気にしていることが判明。嬉しかった…。無事に再会し、いろいろ話すことができました。
その後、広田小学校に行って物資を受け取って持ってきたりして、黒プリが活躍しました。
言われてみれば当たり前だけど、目の当たりにして初めて分かった(実感した)っことがあります。
物資の量が半端じゃない!
1つの避難所に百人から千人が非難している。1日に1人当たり500mlの水のペットボトル2本を配給するとして、ペットボトルだけで1箇所につき1日数百~2千本。炊き出しのための数百人が食べる米、パン、…。灯油。新聞。
物凄い量、物凄い重さ…。
これが毎日毎食分必要で、中継基地から各避難所に午前と午後の2回運ぶわけです。
家も車も日用品全部が流され、取るものも取らず必死に逃げたときのままの服・下着・靴下で生活して、もうすぐ1週間経つ。男性は避難所運営や力仕事をするので靴下に穴があいてきたらしい。水は、飲料水としてペットボトルを1~2本配給されるので、飲むのを我慢して顔を洗ったりするのに使っているらしい。
ホームセンターとかを回って歩いて毛布やタオルを買って持っていったけど、ハッキリ言って無理です。仮に10万円分買って持っていったとしても足しにもなりません。毛布10枚買っても高田一中だけで千人です。1つの避難所につき前述の量が必要です。1人の力じゃ絶対に無理です。小遣いをはたけばなんとかなるとか、そういうレベルの話じゃない。全国にいる、被災地を少しでも気にかけてくれてる人たち1人1人が協力してくれないと、個人の力だけではどうしようもないことが分かりました。。。
行くときは鏡のようにピカピカだった車体がドロドロに…
【避難所で分かったこと】
・避難所によっては1日1食(おにぎりとか)の所有り
・不足しているのは「下着」「靴下」「歯ブラシ」「水」
・瓦礫の片付けや荷物の運搬などの労働力が必要
・プライバシーがない
【注意】
もし物を送ろうとしてる人は賞味期限のあるものは送らないでください。輸送が遅れて期限が切れてから届いた場合、マスコミも出入りしてるので目を盗んで大量に廃棄処分する必要があります。
【頭に来たこと】
海上で遺体の捜索をしてくれている自衛隊員を見ながら、東京から来たらしいマスコミが2人で会話していた。
「死体って浮くの? 沈むの?」
これはまだ良い。
「一緒にやってきたら?」
「下手したら死ぬよ。イヤだよ、こんなとこで死ぬの」
何言ってんだ、コイツら。
こういう場所で笑いながら話す内容じゃないだろう!
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Posted at
2011/03/17 01:32:51