御朱印放浪記(和歌山県)
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ワタシはいままで和歌山県へと行ったことがなかったのですが 連休前半がイベント無くって時間がありそうでしたのと 後半よりは多少は道が空いているのかなと思ったのとで ちょっとばかし遠出してみる気分に・・ まぁ・・ワタシの偏見もありますけれども道路事情が読めなかったのと 予算的な事も考えて小回りの利く軽で行ってみましたが ・・・高速が少し怖いのと少々燃料タンクが小さめですので航続距離が短めなのがたまにキズ 前回伊勢に行ったときは午前2時前に出発しましたけれども今回は(も?)ほぼ午前2時ごろに出発しまして 名古屋のあたりで軽い渋滞とかにも遭遇したりもしましたけれども ・・・まぁ・・軽で速度出すつもりもないのでのんびりまったりと法定速度以下(だったと思う) そんなこんなで お昼頃に(流石に伊勢よりも遠かった・・・) 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 和歌山県田辺市本宮町本宮にある神社。熊野三山の一つ。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ、熊野坐大神〈くまぬにますおおかみ〉、熊野加武呂乃命〈くまぬかむろのみこと〉とも)を ...出典:ぎるでぃさん
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熊野本宮大社の次には山を下りまして 熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)へと行ってみることに こちらはうぃきによりますと ・・・ 和歌山県新宮市新宮1にある神社。熊野三山の一つ。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする ・・・ ・・と・・なっています こちらも境内側の駐車場がいっぱいのようですので 臨時駐車場側へと誘導されましたのですけれども 臨時駐車場は・・ 絶賛河原で;;(まぁ・・境内の駐車場は舗装されている気配でしたが と・・とりあえず車を停めて鳥居のある参道側へとまわってみることに さてこちらから参道へと行ってみることに ここで弁慶に出会うことに驚きつつ こちらの拝殿で参拝をしまして記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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熊野速玉大社の次に 熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)へと行ってみることに こちらはうぃきによりますと ・・・ 熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。 ・・・ となっていまして 境内に西国第一番札所とか那智大滝とかあったりもします さて 参道へと向かいますと 石段のお迎え;; そこでこちらで杖を購入しちゃったりも だって・・歳だし・・坂道に杖あると少しは役に立ちそうですし 熊野神社の八咫烏は足が3つですし・わたしも三番目の足をばと・・ そんなこんなで石段を上って 無事参拝をしまして記帳していただきました ・・・ついにここまできちゃいましょぉ・・・出典:ぎるでぃさん
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熊野那智大社の次にはすぐお隣の 青岸渡寺(せいがんとじ)へと行ってみました こちらは 西国三十三所第一番札所 です せっかくここまで来たのですから西国も始めることに(始めるために来たのかもしれませんですが さてこちらで 流石に参拝者が沢山でしたけれども 参拝をしまして 購入した納経帳へ記帳しまして・・・・・ ・・・ワタシ無事に廻れるのでしょうか・・ ・・・こちらの西国の巡礼は遠いからある程度大型連休があるときにでもまとめて巡れればいいなぁ・・(そんな休暇そうそうとれませんですが・・・ しかし 三重塔と滝に組み合わせは確かに美しい・・・・出典:ぎるでぃさん
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青岸渡寺の次には那智の滝の方へと行ってみました お寺さんのところから見ます滝もいい感じですが 道を少しとぼとぼと歩いて下って・・ 近づいていきますと鳥居がありまして 飛瀧神社(ひろうじんじゃ)というらしいです うぃきによりますと ・・・ 熊野那智大社の別宮であり、那智滝自体が御神体であり、本殿は存在しない。拝殿もなく、直接滝を拝むこととなる。滝の飛沫に触れることによって、延命長寿の霊験があるという伝説がある ・・・ となっています そんなこんなで滝を拝んで記帳を・・ していただきましたけれども 近くで見ますと離れたくなくなる魅力が感じられます♪ 延命長寿のお瀧水も・・・長生きできるかな♪出典:ぎるでぃさん
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那智の滝の後は西へと進んで途中で車中泊をしつつ翌日に 紀三井寺(きみいでら)へと行ってみることに こちらはうぃきによりますと ・・・ 和歌山県和歌山市紀三井寺にある仏教寺院。正式名は紀三井山金剛宝寺護国院(きみいさん こんごうほうじ ごこくいん)。西国三十三所第2番札所。救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)総本山 ・・・ だそうです 道中結構町中な雰囲気で油断をしていたりしたのですが ・・・・・ さてこちらから・・(あぁ・・石段) 石段を上りまして こちらの本堂でお参りをしまして(木で見えないけれども) 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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紀三井寺の後は紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦に鎮座する神社。江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現と紀州藩初代藩主徳川頼宣を神格化した南龍大神を祀る ・・・ となっていまして 確か紀州といいますと・・ 徳川御三家ということになるのかな さてこちらから 紀三井寺から結構海の方に行ったと思って今度こそお気楽に参拝できるかなと思って行ったのですが 参道をフラフラと歩きますと あぁ・・石段のお出迎え(108段あるらしい) 頑張って上りましてこちらの楼門を くぐり抜けますとお神輿が♪ お祭りの準備なのかしら・・ それよりもこのお神輿はあの石段を通り抜けるのかなぁとか思っちゃったりしてみましたけれども まぁ・・とりあえず 参拝をしまして記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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紀州東照宮の次に 和歌山県護国神社(わかやまけんごこくじんじゃ)へと行ってみました さてうぃきに・・みつけられない・・ こちらは和歌山城の址に鎮座しています しばらくお城のところで迷子になりつつも・ この日は何やら集会(めーでーっぽい?)があってお城の広場が人が沢山いましたけれども そちらの方にはあまり気にせず参道をとぼとぼと こちらで参拝をしまして記帳していただきました (お勧めスポットらしいので一応写真を)出典:ぎるでぃさん
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和歌山県護国神社の次に 日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)へと行ってみました こちらはうぃきによりますと ・・・ 日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は、和歌山県和歌山市にある神社。1つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。 両社とも式内社(名神大)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁に属さない単立神社 ・・・ となっていまして 紀伊の国の一ノ宮となっています 境内に2社あるのね・・・ さてこちらの鳥居から・・ 参道をとぼとぼと歩いていますとT字路に突き当たったりしまして ・・・・どちらから行けばいいのやら? まぁ・・とりあえず 國懸神宮と・・ 日前神宮に参拝をしまして記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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日前神宮・國懸神宮の次には 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)へと行ってみることに こちらもうぃきによりますと ・・・ 伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)は、和歌山県和歌山市にある神社。旧称は山東宮。式内社(名神大社)、紀伊国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社 ・・・ だそうでして・・ こちらも紀伊の国の一ノ宮ということに(御朱印には木の國ってよめそうな・・) 来る途中の道がちと細かったりしたりしますがなんとか・・ たどり着きましたけれどもなかなかいい雰囲気な神社です さてこちらの鳥居をくぐりまして 参道をとぼとぼと・・・ こちらの拝殿で参拝をしまして 無事記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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伊太祁曽神社の次は 丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ/にうつひめじんじゃ、丹生都比賣神社) へと行ってみることに・・ (またむぢゅかちい名前を・・) うぃきによりますと ・・・ 丹生都比売神社(にふつひめじんじゃ/にうつひめじんじゃ、丹生都比賣神社)は、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある神社。式内社(名神大社)、紀伊国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 別称として「天野大社」「天野四所明神」とも。全国に約180社ある丹生都比売神を祀る神社の総本社である ・・・ ということで・・ こちらも紀伊の国の一ノ宮です(紀伊の国も一ノ宮が多いですねぇ) さてこちらはそれなりに山を上ることになりましたけれども まぁ・・何とかたどり着きまして こちらから境内へと入りました さてこちらの輪橋を渡りまして こちらの楼門で参拝をしまして 無事記帳してもらいました出典:ぎるでぃさん
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丹生都比売神社の次には粉河寺(こかわでら)へと行ってみることに ナビ子ちゃんで検索してみたところ ・・・ちと来た道を引き返す形に・・迷走が始まっちゃうのかな? こちらはうぃきによりますと ・・・ 粉河寺(こかわでら)は、和歌山県紀の川市粉河にある天台系の寺院。西国三十三所第三番札所。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。宗派は天台宗系の粉河観音宗総本山。 本尊は、千手千眼観音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる ・・・ となっていまして 西国の三番札所となっています さてこちらから参道をとぼとぼと 中門をくぐりまして こちらの本堂でお参りをしまして 記帳していただきました出典:ぎるでぃさん
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