ぎるでぃさん
2018/06/27
天津神明宮(千葉県鴨川市天津)
5月1日
誕生寺の次に
清澄寺へと行くつもりでしたが途中で目に入って気になったので
天津神明宮(あまつしんめいぐう)に立ち寄ってみました
こちらはうぃきによりますと
・・・
神代の昔、天孫降臨に当って国譲りした事代主神が海路当地に移り東方鎮護の神として鎮座し、これを『庤明神』と崇敬したことが当社の始まりと伝えられている。
その後、治承4年(1180年)石橋山の戦いに敗れ安房に逃れた源頼朝が源氏の再興を伊勢神宮に祈願し、御厨一処の寄進を祈誓したという[1]。また、寿永元年(1182年)に、頼朝の妻政子の安産祈願の祈祷のため、奉幣使として三浦義村が当社へ遣わされた[2]。頼朝は一ノ谷の戦いの後、寿永3年(1184年)[3]安房国に東条御厨(白浜御厨、阿摩津御厨)を設け、伊勢より神霊を勧請し以前より鎮座の『庤明神』とともに祀ったのが当社である。文治元年(1185年)には生倫神主が参籠したところ、霊夢の奇端があったので頼朝から飛龍と号する馬が奉納され[4]、以降も関東武家の崇敬を受け「房州伊勢の宮」と仰がれ今日に至ってる。
・・・
となっています

とぼとぼと
この日はフリーマーケットが開催中な気配でしたが

境内へ

こちらの拝殿で参拝をしまして
無事記帳していただきました
誕生寺の次に
清澄寺へと行くつもりでしたが途中で目に入って気になったので
天津神明宮(あまつしんめいぐう)に立ち寄ってみました
こちらはうぃきによりますと
・・・
神代の昔、天孫降臨に当って国譲りした事代主神が海路当地に移り東方鎮護の神として鎮座し、これを『庤明神』と崇敬したことが当社の始まりと伝えられている。
その後、治承4年(1180年)石橋山の戦いに敗れ安房に逃れた源頼朝が源氏の再興を伊勢神宮に祈願し、御厨一処の寄進を祈誓したという[1]。また、寿永元年(1182年)に、頼朝の妻政子の安産祈願の祈祷のため、奉幣使として三浦義村が当社へ遣わされた[2]。頼朝は一ノ谷の戦いの後、寿永3年(1184年)[3]安房国に東条御厨(白浜御厨、阿摩津御厨)を設け、伊勢より神霊を勧請し以前より鎮座の『庤明神』とともに祀ったのが当社である。文治元年(1185年)には生倫神主が参籠したところ、霊夢の奇端があったので頼朝から飛龍と号する馬が奉納され[4]、以降も関東武家の崇敬を受け「房州伊勢の宮」と仰がれ今日に至ってる。
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となっています

とぼとぼと
この日はフリーマーケットが開催中な気配でしたが

境内へ

こちらの拝殿で参拝をしまして
無事記帳していただきました
Posted at 2018/06/27 22:16:43
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