NBロードスター20周年記念、貴島孝雄さんインタビュー(その1)
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貴島さんは、ロードスター以前のコンセプトカーから開発に携わっていますが、その頃はエンジニアとしての参加であり、開発リーダー(主査)は平井敏彦氏がされていました。 市販に至るまで、順調では無かった初代ロードスターの開発秘話は色々なメディアで語られているので、皆さんも聞いたことのある話があるかもしれません。それをあえて貴島さんの視点で回顧して頂きました。出典:mizuhoさん
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「トヨタ/ニッサンと同じようなクルマならマツダを買う必要はない!」というお客様の一言で目が覚めた。思い出したくない場面の多い出向だったが、この体験がなければロードスターは生まれていなかったと断言してもいい。このような独白をされていた、初代ロードスター主査の平井さん。では、貴島さん(エンジニア)から見た平井さんは、どのような方だったのでしょうか。出典:mizuhoさん
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今でこそ高質路線・スカイアクティブのブランドが功を奏して躍進しているマツダですが、1990年初頭には黒歴史とされる5チャンネル体制を始めていました。販売されるクルマはベース車のバッジや外装を小変更で水増する手法が多く、急いでリリースされることからか作り込みも甘く、ファン目線で見ても微妙なマーケティング内容でした。そんな背景の中、ロードスターはどのようなポジションだったのか。出典:mizuhoさん
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フォードが経営再建を行う中で、トラック部門は廃止、軽自動車や商用車も廃止してOEM販売になります。つまり、当時のブランドメッセージ「Zoom-Zoom(=走る歓び)」を実現するために資源を集中させていきました。 趣味性が高いとはいえ「儲かっていた」とされるロードスターに、フォードが下した決断はどのようなものだったのか。出典:mizuhoさん
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初代ロードスターからフルモデルチェンジを行った主な理由は、21世紀を目途に設定された諸々の安全規制にあります。その要件を満たすためにはライトウェイトスポーツとはいえ骨格強化や安全装備などに配慮しなければなりませんでした。 その一方で、敵ではなかったフォードも「より売れるスポーツカー」にするために意見してきます。そのような状況の中、何を見据えて開発を進めていったのか。出典:mizuhoさん
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NB型はメーカーしか出来ない「骨格から見直した」ことを特徴のひとつとしています。 また、海外仕様が多いのもNB型の特徴で、その辺りの背景が今回の内容です。 NBはよりボディバランスを崩さないような調整を行いました。やりすぎると「ねじり」や「曲げ」を助長する、いわばバランスを崩す補強になってしまうのです。出典:mizuhoさん
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