先日広島平和記念公園に行って参りました。
進学の為、息子が広島に引っ越すこととなり、
クルマに引っ越し荷物を詰め込んで、出掛けて参りました。
息子へ思うことはさておき、
遠方ドライブは私にとって、楽しみなイベントだ。
広島ドライブ概要
・自宅から引っ越し目的地まで距離550km。
・高速道路経路 新名神~山陽自動車道
・移動所要時間6時間40分+休憩及び食事時間1時間20分
休憩を含めた必要移動所要時間8時間。
・使用した車 妻のクルマ マツダ・プレマシー。
(みんカラ未登録、写真なし)
BMW3ツーリングの1.5倍以上の積載スペースがあり、
3人乗車+引っ越し荷物てんこ盛りでも、
高速道路巡行において余裕の動力性能があった。
・今回のプレマシーの燃費計測結果。
実燃費 14.5km/L
※カタログ値(10.15モード) 14km/L
3人乗車+多くの引っ越し荷物、かつ、
アップダウンの多い山陽自動車を走り、
カタログ値より良い結果なので驚いた。
我が家のクルマは全て信頼のおけるショップで
頻繁にメンテナンスしているので、
プレマシーも基本的に調子が良いのだが、
現時点で15万キロ走行していることを考慮し、
今回、燃料添加剤
ワコーズ F-1 フューエルワンを投入し、
諸々改善効果があるのか試してみた。
※フューエルワン効能
・燃焼室・吸排気バルブ・インジェクターに
堆積したカーボンを除去。
新車時のエンジン性能を取り戻す。
・燃料の酸化劣化や燃料タンクの腐食を抑制。
・潤滑性を高める。
・フューエルワン投入後
2名乗車、荷物無し、550km走行
燃費計測結果
実燃費 14.6km/L
投入前とほぼ変わらず。
改善効果
・高速道路巡行時、時速105km付近で
出現していた振動が全く無くなった。
・アイドリング振動が低減された。
・エンジン低回転時の感触が滑らかに感じられる。
・運転手には明確な改善効果があったと確認できたが、
同乗者には「違いはわからない」とのこと。
単なるプラセボなのか(笑)
プレマシーのオーディオも交換してみた。
カロッツェリア FH-8500DVS
Carplay付きエントリーモデルだ。
携帯Spotifyをクルマで自在に操作できるようになり
利便性が向上した。大変満足だ。
広島には予定時間通り到着できたので、
時間調整の為、
広島平和記念公園に立ち寄ってみることにした。
まずは、原爆ドーム。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分、
米軍のB29により原子爆弾が投下された。
産業奨励館(原爆ドーム)から爆心地まで約160メートル。
建物は爆風で大破。建物内で働いていた職員は全員即死。
その後建物は保存され、
平成8年(1996年)原爆ドームとして
世界遺産に登録された。
広島平和記念資料館に向かう。
広島平和記念公園は日本を代表する建築家
丹下健三によって計画された。
1946年、丹下健三は広島で
都市計画業務に従事し、
1949年、広島平和記念公園設計競技に参加し、
1位で入選した。
丹下健三は
設計競技に求められていなかった、
慰霊碑を計画し、
更に、平和記念公園南面する100m道路に対して
直交する軸線上に
対岸の原爆ドームを見据えた上で、
祈りの泉、平和記念資料館、記念碑、
慰霊碑、平和の鐘等、
これらを原爆ドームと結ぶ
一軸線上に配置し、
慰霊碑アーチから原爆ドームを
縁取ることができるように計画した。
設計競技応募案の中で
原爆ドームを含めた計画は
丹下健三以外に見当たらなかったという。
「無垢な犠牲者を、父や母を、妻や子にもつ、
広島のひとびとの願いにたいして、
何かを慰霊し、祈念するための施設を、
ささやかなものであるにしろ、
持ちたいと感じたのである。」
丹下健三
丹下健三は学生時代を広島で過ごしており、
広島に対して強い思いを持っていたのだ。
また、慰霊碑から原爆ドームを望むとき
その前に人が立ち入ることがないように
池を計画した。
戦争の一遺跡に過ぎなかった
産業奨励館にスポットライトを当て、
平和の象徴「原爆ドーム」として、
世界遺産に登録されるほどの、
象徴的な遺構にまで格上げされた背景には
丹下健三による功績が、
大きかったのではないだろうか。
続けて、広島平和記念資料館に向かう。
広島平和記念資料館は
2006年国の重要文化財に指定された。
(戦後建築物として初)
建築物として非常に美しい♪
ピロティ型の鉄筋コンクリート造の建築。
外壁は御影石仕上げだ。
御影石は墓石等よく使われる建材。
建築にも使われるが、このスケール感の建築に、
外壁総御影石張り仕上げとはすごい。
柱脚はテーパー状でなだらかに広がっており、
木目が美しい型枠のコンクリート仕上げとなっている。
スイス出身の建築家ル・コルビジェの影響を強く感じる。
とりわけ、ユニテ・ダビタシオンの影響を強く感じる。
スケール感が壮大でなんとも美しい。
広島平和記念資料館を見学しようとしたが、
入口は外国人観光客等多くの人だかりがあったので、
今回は時間の都合上見送った。
丹下健三は広島平和記念公園の計画を実現させたが、
実は、平和記念公園のみならず、
広島を「平和都市」として復興させる、
さらに大きな都市計画も構想してという。
その全ては実現しなかったが、
広島市を横断するたくさんの河川に対して
直交する現在の広島の道路を計画したのは
実は丹下健三の影響があったのではないかと
私は考えている。
私は広島の街並みに、
丹下健三が1961年に発表した、
東京湾に都市を張り巡らす計画
「東京計画1960」の面影を感じたからだ。
また、丹下健三は
広島平和記念公園の各施設を
「平和をつくりだす工場」
として機能させようと考えたという。
「平和は訪れるものでなく、
闘いとらねばならないものである。
中略、まず、はじめに、今、建設しようとする施設は
平和をつくりだす工場でありたいと考えた。」
丹下健三
広島に原爆が投下され、
戦後を迎えて約80年、
現在、世界中から、多くの観光客が
広島平和記念公園を訪れている。
広島平和記念公園は
戦争の惨さ、人命の尊さ、平和の尊さを伝える
「平和をつくりだす工場」として、
また、「戦没者を追悼し平和を祈念する場所」
として世代を超えて有効に機能し続けている。
関連情報 広島平和記念資料館
Posted at 2024/04/19 18:18:13 | |
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