今回もたいそうなタイトルに反応し、ブログを覗かれた方には、あらかじめお断り申し上げますが、
内容は本当に大した事ありません。
何度も言いますが、尚、大阪と言えども、かなり広域で、あくまで当時、自分が生息していたエリア、
またその中での当時の交友関係の中で経験した『狭~い』範囲のみが記載内容となりますので、ご了承下さいませ。
また、内容に関しては一部不適切な表現もあると思われますが、あくまで個人のブログであり、
架空の作り話?? 等と、軽く流して頂ければ幸いです。
このシリーズはあの時代を駆け抜けた世代の方々と、当時の思い出を共有したいとの思いで書いています。
経験した人ならわかると思いますが、当時と同じ事は今の時代に絶対できませんから・・・
当時の思い出等、色々コメントを頂けると嬉しいです。
その地域や時代によっていろんなドラマがあったと思いますので・・・
またまた前置きが長くなりましたが、今回の話は自分が車を購入し、実際に走り始めた時期の話です。
時代は昭和63年1月・・・
発売されたばかりのサイバーCRXが納車されました。
納車の翌日に環状の強烈な洗礼を受けたのが前回のお話です。
今回は、その後、CRXにて峠を走り込みながら、車も徐々にイジっていく話です。
CRX購入後、いきなり環状でポリにワイパーのゴムを燃やされた為、少しテンションが下がり、
環状より安全?な近場の箕面で練習する事にしました。
車は完全にフルノーマルで13in鉄チンのホイール、タイヤのブランドは忘れましたが、175の70が入ってたと思います。
そのノーマルのCRXで毎晩、箕面へ上がり、約1ヶ月でタイヤのショルダーが文字の部分までボロボロになるまで走り込みました。
当時の70扁平のタイヤは攻めたらタイヤサイドにダメージ受けるんですよね・・・(汗)
キャンバー付けてたらそんな事も無かったと思いますが・・・
タイヤの山が無くなった為、新しいタイヤとホイールを買う事にしました。
当時、流行のブラックレーシングが欲しかったのですが、お金が無かった為、同じようなデザインの14inブレイズにしました。
また同時に足回りも強化し、タイヤはポテンザRE71を入れました。
14inの185-60扁平です♪
当時はCRXが発売直後で車高調も出てなかったので(車高調自体も完全には普及して無かった時代)、無限のショックとサスをセットしたストリート仕様の足回りを入れました。
購入したお店は当時、八尾の外環沿いにあったホンダ系のショップだったと思います。
しかし、この無限のストリートサスセットが大失敗でした・・・
バネレートもほとんど純正と変わらず、車高は全く純正と同じ・・・(汗)
ショックには減衰力調整も付いていない・・・(汗)
そこで、中環の摂津にあったM○○・ガレージハウスで相談したところ、
車高落としたいん? それならバネ切ったらええやん! との事で、バーナーでサスを2巻カット♪
車高は少しだけ落ちてくれました! (もう少し切っても良かったかな???)
当時はアライメントって感覚は無かったですね(笑)
しかし、サスカットの荒技をほめてくれた地元の先輩は1名だけでした・・・
その先輩はマンハッタンカラーのS130Z(2by2)に乗っており、ホイールはロンシャンと、
まさに歩くヤングオートみたいな人やったんですけどね・・・(爆)
それから2ヶ月ぐらいの期間はこのサスカット仕様のCRXで箕面を走ってました。
しかし、少し攻めるとすごいロールがあります(汗)
けど夜間通行禁止になる22時前であれば、本気で走る車は少なく、こんな中途半端な足でも楽しめました。
昭和63年4月・・・
この頃、地元の先輩達は走り屋をすでに引退しており、自分は箕面での仲良しグループと行動する様になっていました。
その頃、箕面の仲間内では雨の日に攻めるのが流行ってたんです。。。
元々、ダートラやってた人もいてたので、皆、メッチャ早いペース(汗)
KP61、AE86、ワンダー、バラードCRX・・・
皆、雨の中をガンガン踏んで走っていきます。
まさにスリックカート状態です(笑)
当時、雨降ってる夜中に箕面を攻めてたのは自分達だけだったと思います。
ある日、僕は大した腕も無いのに無理して皆に追いつこうと思い、大雨の中、
スピンし、山側へ車を当ててしまいました。
※バンパーと足回り破損
※当時の60タイヤは角がツルツルになるんですよね (ポテンザRE71)
雨の日って、タイヤが滑っても簡単には止まらないんです・・・(汗)
結果、このクラッシュによって足回りも本気な車高調を導入し、車高もベタベタになるのですが、
その話は次回以降に・・・
少し余談ですが、自分達が密かに練習してた場所は箕面以外にもあったんです。
その頃の行動パターンは平日、週末に関わらず、夜11時頃、猿天に上がります。
それからAM1時頃まで箕面を走りまくり♪
で・・・
その後に練習会があるんです(汗)
皆で箕面を降りて練習場まで移動する訳ですが、 練習会は、ほぼ強制参加やったような記憶が
あります。。。(笑)
その会場とは・・・
万博(エキスポランド遊園地)の駐車場でした。
昼間は車がいっぱいですが、夜はガラガラで調度良い練習場でした。
練習場への行き方は万博外周から一方通行を約200メートル逆行し、出口から進入します。
当然、駐車場出口にはチェーンがしてあったと思うのですが、どうやって入ったのか記憶にありません(笑)
多分、メンバーの誰かが破壊したんだと思います。。。(汗)
今、思えば当時の仲間には結構、大胆な事をする人がいましたネ。
特に自分の所属団体の先輩は天ぷらナンバーのKP等に乗ってたんで、やりたい放題・・・
例えば、追いかけて来るパトカーにKPで体当たりして逃走したり・・・(汗)
同じように行動してても自分は基本的に本物のナンバープレート付けてましたから,
本当にヒヤヒヤした事がありました。
天ぷらナンバーって封印とナンバーを接着剤で固定させてるですよね・・・
だから見ただけでは普通のナンバーにしか見えません。
(封印もちゃんと付いてる様に見えるんです)
けど、ナンバーを手前に引っ張ると、封印の部分は車体に固定されておらず、ナンバーと連動して動くんです(笑)
まぁ見た目はナンバーをアルミやガムテープを貼って隠すよりスマートでしたよ~
ただ、捕まった時にはタダで済みませんので、当時でもそれなりの覚悟が必要な行為でしたけど・・・
またまた話がそれたので、元に戻すと、
そこでAM3時過ぎまでサイドターンの練習やノンスリターン(アクセルターン)の練習をしていました。
車の台数は平日は10台弱ぐらいでしたが、通報する人もいないので、ポリも来ませんでした。。。
このエキスポランド駐車場でのサイドターン練習は8ヶ月後の昭和63年12月・・・
たくさんの人でにぎわう年末のナビオ前で活かされる事になります。。。(爆)
昭和63年4月♪
まだまだ走り屋を始めたばかりですが、この様な地味な?下積み期間があって少しずつ運転技術?を学んでいきます。
次回はCRXに車高調を入れて本格的に?少しマシに?走れるようになった頃のお話です。