
今日はあれからちょうど3ヶ月、そして奇しくも曾祖母の23回目の命日でもあったため、大船渡に行ってきました。
元々行ける予定ではなく急遽だったため、支援物資を用意することもできず花束を持っていくのが精一杯でしたが、なんとか墓参りをすることができました。
前回行った時から1ヶ月近く経ってしまいましたが、市内は大きい瓦礫もかなり片付けられ、実家近くの小学校のグラウンドにも、仮設住宅の建設が始まっていました。
特に祖母の家にのすぐ近くの地域は、自分が想像していた以上に瓦礫の撤去が進んでいて、ほぼ更地に近いくらいまでになっていました。叔母に話を聞くと、漁師さんや残った地元住民が主体となって一斉に撤去作業をしたそうで、他の地域に比べてかなり進んでいるとのことでした。
ただ残念だったのは、そんな協力的でまとまりがある集落なのに、先日地域住民みんなが集まって『解散式』を行ったことです。
津波で大きな被害を受け集落の半数以上の家が無くなり、住民のほとんどがその地域にいることができなくなったため、住民を集めその経緯と事情を説明し、最後にみんなでバーベキューをして『お別れ』したそうです。
かろうじて家は無事だった人、家を流され未だ避難所にいる人、仮設住宅に移り住めた人、被害の少なかった親戚や知人を頼って移り住んだ人、それぞれ置かれた境遇は違いますが、みんなが被災者です。津波は、かけがえのない人命や街の歴史、そしてそこに住む人々の絆までも奪い去っていくということを、改めて実感した気がします。
それでも、地元の漁師さんは使えそうな船や漁具を集め、なんとか今月中には漁を始められるメドがつき、去年のチリ地震津波そして今回の津波で、2年連続収穫ができなかった養殖業を営む人も、新しく種を調達しあきらめず漁業を続けていくそうです。
そんな話を聞くと、『浜の人の強さは本当に凄い』って思い知らされます。
そんな『浜の人』を応援すべく、
先日のブログにも紹介し今日から販売開始となった、浜のミサンガ『環/たまき』を盛岡に住む妹に頼み購入することができました。
今はまだこのような形でしか協力することはできませんが、より多くの人にこのミサンガの存在を知ってもらい、『環/たまき』の名にふさわしい大きな支援の輪になることで、少しでも早い復興につながることを願っています。
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Posted at
2011/06/11 23:30:59