20100411 白井城③
投稿日 : 2010年04月19日
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本丸北側の土塁は、高さが3m~4mほどある見事なものです。
白井城は、本丸以外の場所の残存度は低いものの、本丸の周囲は残存度が高いだけでなく、景色も含めて見栄えがよいです。
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いよいよ枡形虎口脇から本丸東側へ堀底に入っていきます。
この辺は、ウッドチップが敷詰められた遊歩道になっています。
白井城は、戦国時代を通じてほぼ白井長尾氏の居城でした。
上杉謙信の関東遠征時の基地としても機能していたようです。
謙信の死後は武田氏、武田氏が滅ぼされると織田の武将 滝川一益、織田信長が殺されると後北条氏の圧迫を受け傘下に入っています。
小田原北条攻めの際には北条方の武将として、前田利家や上杉景勝など北陸勢を中心とした遠征軍を向かえますが、元々後北条氏に心服していない長尾氏はあっさり開城したそうです。
そして上野の領地を失ったあとは、越後に移り上杉景勝に仕えたそうです。
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先ほどは土塁上から見た、本丸東側の堀の中です。
どうですか?高さ15m以上の切岸は!
なかなか無いですよ。こんな見事なのは!
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さらに外側の土塁の上から。この土塁は、本丸~二の丸~三の丸の東側を空堀とともにさらに伸びています。
ここでも堀底を歩いている人がいるので、規模を想像できるかと思います。
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南郭や新郭のあったところは住宅になっていて、中を歩いてみましたが遺構らしいものは発見できませんでした。
南郭や新郭のあった辺りは、本丸周辺よりもさらに低い標高のようで、高低差はもしかすると20m近いかも。
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土塁を、二の丸の方へ歩いていきます。
本丸の虎口脇の堀と東側の堀との合流地点です。
東側の堀が一段低くなっているのが分かります。
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二の丸東堀は、藪になっていて形状は判然としません。
土塁上の遊歩道もここまでで、三の丸の方へ土塁まだまだ続いているのですが、これ以上は藪の中で入る事はできませんでした。
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おまけ
実際に来るまでは、白井城にこれほど遺構が残っているとは思いませんでした。
目玉は枡形虎口の遺構くらいかなと。
でも本丸東側の切岸や空堀は、全く予想外の規模で感動的ですらありました。
後北条氏の滅亡後、徳川家康が関東入りし、本多広孝・康重が2万石で城主になり、白井藩を立てます。現在残っている遺構はこの頃整えられたものだそうです。
そして関ヶ原の戦い以後は、目まぐるしく城主が変わります。
ほぼ数年おきに、戸田氏・井伊氏・西尾氏と代わり、再び本多氏が入った後に嗣子が無いまま病没し、元和9年(1623年)、白井城は廃城になっています。
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