2011年04月14日
被災地の縁の下の力持ち
今まで、何度も書こうと思っていたことがあったのですが、あまりに重過ぎて書くことが出来なかったのですが、あえて今書こうと思う内容を書きます。
災害派遣に行っているときに、病院の片隅に非常用ガスタンクが設置されており、その近くの軽自動車にガス会社の方が2名おられました。
夜だったのですが、記録のために写真を撮っているときそのお二人が声をかけてくださったので、色々とお話をさせていただきました。
一人は自分と同じぐらいの30代ぐらいの男性、もう一人は40~50代ぐらいの男性でした。
お二人とも地元石巻の方。会社は海沿いにあり、会社は壊滅したそうです。
病院は、幸いにもガス配管などの影響がなかったため、近隣から非常用の機材を調達し、2週間かかり病院へのガス復旧作業を行ったそうです。
それでも、お二人は2週間もかかってしまい、申し訳ないと言われていました。
話の中で、30代ほどの男性は、父親を津波で亡くされたとお話されていました。それでも笑顔で、「今は辛いし、何もなくなってしまったけど、これから何年か先に宮城は東北は、必ずきれいな街に戻ります。きっと、その時には笑って話ができます。自分はガス屋ですから、ガスを元に戻す仕事しか出来ないけど、それでも自分たちを必要としてくれている人たちが待っているからがんばるしかないんですよ」と。
同僚のもう一人の男性も「笑い話にはならんだろうよ。でも、こんなことあって大変だったなぁって思いで話をゆっくりできるようにはなりたいな」と笑顔で話しているんです。
自分には、「そうですか」しか返す言葉がありませんでした。自分たちも被災者なのに、会社も家族も失っているのに何でこんなに強いんだろうかと。
逆に「どこからいらしたのですか?」と聞かれたので、埼玉からですと答えると、そんな遠いところからわざわざ私たちのために来てくれて本当にありがとうございますって感謝されました。
災害派遣できた自分が、逆に被災者の方に勇気をもらいました。被災者の方にそんなことを言わせてしまった自分に情けなさを感じました。
でも、素直に嬉しかった。人の本当の温かさに触れました。
だから、自分はこう答えたんです。
「普段、水道やガスや電気は、使えるのが当たり前だと思って生活をしています。でも、皆さんのような方々が影で一生懸命に働いて下さっているから、自分たちは、不自由なく生活ができるんですよね。本当にありがとうございます」と。お二人は照れていましたが・・・。
そして、お二人はこう答えてくれました。
「あなたのように自分たちに声をかけてくれた人は初めてです。すごく嬉しかったです。寒いと思いますけど、体に気をつけて被災者の為によろしくお願いします」と。
お二人には、元気になった石巻を東北に必ずまた来ます。その時には、またお会いしましょうといって別れました。
車に戻るまで、涙が止まりませんでした。自分のむなしさ、心の弱さ、人の温かさ、色々な思いがぐちゃぐちゃに混ざって、なんで泣いていたのかさえよく分かりませんでした。
必ず、出会ったお二人のことは、皆さんに伝えますとも約束しました。
みんな誰も立ち止まっていません。それぞれがそれぞれに出来ることをしている。すばらしい国だと思います。日本はいい国だと。
だから、自分も出来ることは小さいことかも知れないけど、何かをしようと思ったのでした。
かたのくりこ
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Posted at
2011/04/14 23:02:03
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