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2014年06月13日

6月の季語は『ル・マン』、1995年にニッサンは……《1》

1995レーシングR33GT-Rの記録

(1) 祭りの準備

新・R33スカイラインGT-Rは、そのモータースポーツ・フィールドでのターゲットを、新たにル・マン24時間レースと定めた。

R32スカイラインが活躍したグループAというカテゴリーは消滅していたが、R33GT-Rにとっては、それは何ら悲観材料にはならなかった。市販車に近い状態で行なうレースとしては、その頃から盛んになり始めた「N1耐久」がある。そして、より改造が許される「GTカテゴリー」でのレースとして、日本でのGT選手権に加えて、ニッサンは「ル・マン」を選んだのだ。

ル・マンの主催者であるACO=フランス西部自動車クラブも、グループCカーというモンスター・プロトタイプが消滅した後のル・マン再生策として、市販車・改のレギュレーションである「GT」カーでのレースを画策。94年から、そのレギュレーションで成功を収めかけていたから、ニッサンのこの選択は大歓迎だった。

スカイラインGT-Rにとってル・マンは初参戦でも、彼らACOにとっては、ル・マンにニッサンが帰ってくるということになる。グループCカーが主役だった80年代後半から90年代初頭、ニッサンは「R89」「R90」というCカーを擁して、ル・マン24時間の有力なコンテンダーであり続けていた。

そのニッサンの、あるいはGT-Rの、95年ル・マンへの参戦が最終的に決定されたのは、94年の11月だったといわれる。

だが、その前から、スポーツ車両開発センターのエンジニアであり、後にチーム監督となる水野和敏は、R33GT-Rを「ル・マンGT仕様」に仕立てるためのプランをひそかに練っていた。一番最初にそのための“絵”を描いたのは、7月の夏休みの時、自宅の畳の上だったという。

GT-Rにとっては初のル・マンだが、彼・水野にとっては“ふたたびのル・マン”である。彼の作ったCカーは、日本人クルーのドライビングで総合5位(1990年)というリザルトを残していた。

水野が描いていたその“絵”とは、要するにどんなクルマにするかというプランニングである。彼が立てたコンセプトとは、ツーリングカーとグループCカーの中間というものだった。つまり、格好とレイアウトは“ハコ”で、それにCカーの技術要素を投入する。そういうレーシング・カーだ。

もちろんここには、彼のCカーで培った技術や体験を活かそうという野心があるわけだが、もっと基本的なところでの、レースに対する水野のスタンスがここには現われている。つまり、とても重要なこととして、レーシング・カーに過度に「新しさを求めない」ことをコンセプトとしたのだ。技術は古いものでいい。時間の経過に耐えられなくなったものだけを、適宜、変えていけばいい。とくに「ル・マン」を走るなら、それを徹底したい。

ル・マンとは、時間(24時間)をどう使うかのレース。最も重要なのは、ムダを排除すること。それは時には、「速さ」よりも優先順位が高い。水野自身にとっては5年ぶりのル・マンとなるが、GTカテゴリーが主体となる95年以降のル・マンでは、さらにこの「時間のレース」という要素が強くなると、彼は読んでいた。



Cカーの技術とノウハウのうち、「ル・マンGT-R」のために使われたものは、まずブレーキだった。フロントはCカーのV8ターボ車から、リヤはNAのCカー「NP35」用をそのまま採用した。サスペンションは、CカーのコンセプトでGT-Rのために新設計したダブル・ウィッシュボーン方式とする。駆動方式も、単なるFRである。

市販車GT-Rで用いている複雑なマルチリンクのサスペンション、そして4WD方式は採らない。ここには、自動車メーカーに属するエンジニアとしての明快な判断があった。この「GT-R・改」つまり「レーシングR33GT-R」は、いずれ、さまざまなチームにデリバリーされて、サーキットを走るようになるだろう。その時に、チームにとっては、シンプルでいじりやすいメカの方がいい。そういう判断であった。

どっちがタイムが出るのかといえば、「それは4WDだ」と水野は断言する。でも、それはやらない。四輪駆動、あるいはマルチリンクでレーシング・カーを作っても、それはメーカー系チームだけの“オモチャ”になってしまうと、水野は考えているのだ。メーカーのエンジニアとして(日本の)レースに関わるときに、いま、そしてこれからは、どうすべきなのか。この点について、水野は彼としての考えと展望を持っていた。

したがって、ボディも市販車のスチールのままで、それをロールゲージで補強したものを使う。エンジンも、直列6気筒の「RB26」をベースにしたものを、そのまま使用する。ただ、このエンジンの問題は、レーシング・カーとしては圧倒的にハンディだ。もし「GTカー」にモディファイするとして、現在のニッサン車のラインナップではどれが適切かということなら(V6搭載の)フェアレディZかもしれないと水野は言う。

これは、渡邉衡三(R33スカイライン商品主管)に、GT-Rは直列6気筒でなければならないのかと質問したときの答えとも似ている。もし「ニッサンGT-R」であれば、エンジンはV6でも何でもいいでしょう、でもスカイラインではそれはできないと、この時、渡邊は言い切った。

ル・マンでファンの夢を乗せて走るのは、あくまでも「スカイライン」でなければならない。その夢とイメージに忠実でありたい。これが渡邉と同じくニッサンの技術者である水野のスタンスだった。

ル・マンに向けてのスケジュールは、できあがったばかりのクルマを富士(スピードウェイ)に持ち込んでのシェイクダウン(2月)から始まった。そして、菅生でのロングラン・テスト、ポール・リカールでの最終テストといった日程が続いた。

日本での最終テストの場に菅生を選んだのは、路面のミュー(摩擦係数)の具合がヨーロッパのサーキットに似ていること。また、最終コーナーからメインストレートに向けて登りになっていて、ここでエンジンに多大の負荷がかかり、ストレートが長くてエンジンへのストレスが大きいル・マン(サルテ・サーキット)と共通したところがあるという理由だった。

1995年のル・マンは、参加の初年度であるとはいえ、何とかル・マンという“祭り”を盛り上げる役は果たしたいと、監督に就任した水野は思っていた。

(つづく) ──文中敬称略

(本稿は、1995年5月、雑誌『スコラ』に掲載された記事をベースに加筆修正したものです)
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Posted at 2014/06/13 17:58:54

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