2015年01月22日
素晴らしき父とその娘 ~ 映画『アラバマ物語』 《1》
その1 農夫は荷馬車でやって来た
少女の鼻歌のようなものが聞こえ、それに乗せてガラクタ箱が開かれる。そして、この箱の中の景色がタイトル・クレジットの背景となる。そこにまず「グレゴリー・ペック」の文字が出る。
さらに、箱の中。二つの人形、古びた鉛筆やクレヨン。そして、突起物の上に紙を置き、そこでクレヨンを動かしていくという子どもの遊びが始まる。その紙に浮き出した文字は──
「 TO KILL A MOCKIGBIRD 」(モノマネ鳥を殺すには)
そして懐中時計、転がるビー玉など、ガラクタ箱の中のものが映し出される。そして、子どもの手が動いて、鳥の絵を描き始めた。そこに、クレジット。
メアリー・バダム as スコット
フィリップ・アルフォード as ジェム
こんな“吸引力”のあるオープニングの次は、鳥の声とともに、強い陽射しに曝された静かな町の光景。そこに被る、女声のナレーション──。
「1932年、メイカムは寂しく、古ぼけた町になっていた」
(メイカムは、物語の舞台となる架空の地域の名)
さらに「その年は暑かった」とナレーションが続くと、一台の馬車がやって来る。……といってもリッチな馬車ではなく、荷車を一頭の小さな馬(ロバだろうか)がヨチヨチと引っ張っている代物。それが停まると、乗って来た中年の男が荷台から何かを下ろす。
女声のナレーションは続く。「町民には急ぎの用事はなく、どこかへ何かを買いに行くこともなく、そもそも、彼らにそんなおカネもなかった」「このメイカム・カウンティには、恐ろしいことは何もなかった。ただ、“恐れを恐れる”こと以外には」
「そして、その夏。私は6歳だった」……
荷馬車を停めた男が、ある家に向かって行く。庭に吊るしてある古タイヤをブランコのようにして遊んでいた少女が、男に声をかけた。(この少女が「6歳の私」なのか)
「カニンガムさん。パパはいま支度中だから、呼んでくるわ」
少女が父を呼ぶ。「アティカス!」
ネクタイをした紳士がドアから出て来た。ベストも着ていて、三つ揃いのスーツ姿。(演ずるはグレゴリー・ペック)訪ねてきた農夫は、「おはよう、フィンチさん」と挨拶しながら、“アティカス”に、ヒッコリーの実が入った麻袋を手渡した。「先週のコラードも美味しかった」と礼を言うフィンチ氏。
農夫カニンガムはそれだけで、すぐにフィンチ家を辞した。残された二人、父と娘が会話する。
父「スカウト、今度カニンガムさんが来たときには、父さんを呼ばない方がいいな」
言われて不思議がる娘スカウトに、「恐縮させたくないんだ」と、父アティカスが言った。
しかし、少女スカウトは突っ込んでくる。
娘「あの人は、なぜ、作物を持ってくるの?」
父「あれは、彼なりの“支払い”なんだ。私がしてあげた仕事に対するね」「彼はおカネを持ってない」
娘「カニンガムさんは、貧乏なの?」
父「そうだ」
娘「私たちは?」
父「私たちも、同じだ」
娘「あの人と同じくらい?」
父「そこまでじゃない。彼は農家で、恐慌がひどく彼を襲った」
……素晴らしい導入だと思う。ここまでの数分で、物語の舞台、登場人物、父と娘の関係など、いろいろなことが見える。これから先に向けての展開(伏線)も、おそらく盛り込まれている。
たとえば、父と娘。6歳だという少女は、大人の世界を観察したくてたまらず、父もまた、少女のそんな好奇心を大切にしているようだ。そして娘は父を、ダディとは呼ばずに「アティカス」と言っている。これはフィンチ氏のファーストネームなのだろう。
その父、アティカス・フィンチは、その時に学ぶべきことを、その場で、娘に話している。「カニンガムさんは、農作物は私にだけ、そっと渡して帰りたいのかもしれない。そういうことも、ちょっと考えてみるといいな」「彼は貧乏だが、しかし、それは私たちも同じことだ」……
物語の舞台は、暑い夏の小さな町。貧しい農夫が足として使っているのは、粗末な荷馬車。1929年大恐慌後のアメリカ。その南部は、これで見るように、まだまだ“馬車の時代”だったのだろうか。それとも、30年代にこれだけ馬車が使われているということで、アメリカの常識なら、ここが東部や西海岸ではなく「南部」であることが知れるのか。
(つづく)
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2015/01/22 13:06:55
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