2015年02月10日
素晴らしき父とその娘 ~ 映画『アラバマ物語』 《9》
その9 裁判所の二階席
そして、「その日」になった。町では、たくさんの馬車が人を乗せて動いている。みんなが向かっているのは裁判所か。この時、なぜか自動車はあまり活躍していない。クルマはメンツを集めての“殴り込み”には使われたが、裁判所に各人が向かうという場合には、それぞれ徒歩や馬車でということなのか。ただ、このシーンでも、もちろん映画で見る限りだが、アメリカ南部の1933年時点で、馬車がこれほど多く用いられていることには、やはりちょっと驚く。
そんな“動く人々”を見ていた兄ジェムは、「アティカスに怒られるよ」と言う妹スカウトを連れて、裁判所に行く決意をした。単なる好奇心を超えて、父と父の仕事に対する関心が強かったのだろう。この時ジェムは、スカウトにこう言っていた。「大きな裁判を見られるなら、怒られてもいいさ!」
ここから映画は、裁判所を舞台とする法廷劇へと進んでいく。ここから先での注目シーンは多いが、まずは、この日の裁判所が多くの人々で溢れていたこと。そのため、子どもたち三人が裁判所に着いた時には、法廷内にはもう誰も入れないというような状態になっていた。
そんな時に子どもたちは、少し遅れて裁判所にやって来た牧師と遭遇する。挨拶したジェムは、牧師に訊く、「牧師様、二階へ行くの?」。この牧師は黒人であり、ジェムたち三人はそのまま、牧師と一緒に法廷の二階席へ入って行った。
……と書くと、何でもないシーンのようだが、ただ、法廷の全体が映し出されるとわかることがある。それは、裁判所の一階に席を占めているのは白人だけであり、二階には黒人しかいないということ。そして、その二階席での例外(白人)が、フィンチ家の子どもとその友人の三人なのだった。
アメリカの南部諸州は、南北戦争が終わって後の1866年に、連邦が「公民権法」を成立させた後でも、それぞれの「州法」として、黒人と白人を平等に扱うことは《しない》という法(ジム・クロウ法)を制定していた。この映画の舞台であるアラバマ州も例外ではなく、一般公共施設では、「有色人種」(カラード)がその施設を利用する際には「制限」があった。
映画に戻れば、子どもが見たものを画面にするというのがこの映画の手法だが、もし仮に、子どもたち三人が一階の白人席に潜り込もうとしたら、子どもが来るところじゃないと、大人たちによって排除されていたのではないか。(レイプ事件の裁判でもあるし)そして、黒人の牧師と一緒にそのまま二階席(カラード席)に上がってしまうのは、おそらく、フィンチ家の子どもにしかできないことだった。
さりげなく描かれたが、これは1930年代のアラバマ州で黒人が置かれていた状況、そして、そんな中でフィンチ家の人々がどう行動したか。そんなことを一挙に示す象徴的なシーンだ。それと、もうひとつ、「カラード」しかいない二階席がどうなっているかといったことは、一階の人々は誰も気にしない。レイプ事件を審査する裁判の現場に子どもたちがずっと居続けることができたのは、そういう理由もあったと思う。
そして、白人だけの法廷の一階に、ひとりの黒人青年が入って来た。青年が一階席に“いられる”理由はただひとつ、彼がこの裁判の被告だったからだ。その黒人トム・ロビンソンが弁護士アティカス・フィンチの隣に座り、準備ができた。そこに判事が入廷してくる──。
ここから、アメリカ映画史上でも屈指といわれる圧巻の法廷劇が始まるのだが、その内容と裁判結果については、ここでは書かない。黒人青年による白人女性レイプ事件が、白人だけの陪審員によって裁かれ、そこで弁護士フィンチがどういう闘いをするのか。グレゴリー・ペックの熱演もあって、見所いっぱいの裁判劇ではあるのだが、その虚しさや苦い後味をここで再現しようとは思わない。ただ、裁判が終わった後の、ある静かな光景についてだけ書く。
──陪審員による判決が出て、裁判が終わり、人々は法廷を出て行った。弁護士フィンチは、被告ロビンソンの後を追い、いくつか言葉を交わしてから、ふたたび法廷内に戻った。机の上の資料を整理するフィンチ。一階席に残っているのは、もう、法廷の書記官とフィンチだけ。
しかしこの時、二階席では誰も退廷していなかった。そして、その二階の人々が、誰に合図されたわけでもなく立ち上がり始める。一階では、既に書記も退廷してしまったので、フィンチだけが残っていた。一方二階では、ついに全員が起立。床にうずくまって、じっと裁判を見続けていたスカウトにも、黒人牧師が声をかけた。「ジーン・ルイーズ、立ちなさい。父上が退廷される」
一階では、最後の一人となったアティカス・フィンチが法廷を出て行った。二階では全員が立ち上がって、それを見送った。誰も声は発しない。アティカスもまた、二階席を見ることはない。いつもの姿勢のまま、弁護士フィンチは歩みつづける。……抑制された演出と静かさが見事な、この映画の名シーンのひとつだ。
そしてその夜、アティカス宅に、保安官がシボレーで来た。彼はアティカスに“ある情報”をもたらす。シボレーが去って、アティカスはその情報をロビンソン家に伝えるため、自分のクルマで出かけようとする。そこに、ジェムが来た。
ジェム「アティカス、一緒に行った方がいい?」
父「いや、独りの方がいいな」
しかし、その父の背中にジェムは言った。「アティカス、ぼくも行くよ」。追ってきた息子に、父は「いいだろう」と、同行を許した。
二人を乗せたクルマが、目的の家に着いた。父が仕事をしている姿を、息子ジェムがクルマの中からじっと見ている。するとそこに、またしても“被害者の父”が現われた。男は叫んだ、「アティカス・フィンチを呼べ!」。
ロビンソン家から出て来たアティカスに、男はツバを吐きかけた。アティカスは怒りの表情で男にじり寄るが、しかし、手を出すことはなかった。ゆっくりとハンカチを取り出し、ツバを受けた頬のあたりを拭うアティカス・フィンチ。(お父さんの仕事には、こういう部分もあるんだよ……)、この時父は全身で、クルマの中の息子に語っていた。
“暴漢”に対しては一切無言で、父アティカスは自分のクルマに乗り込んだ。その帰路のクルマの中、おそらく父はずっと無言で、そして息子もまた、そんな父を黙って見ていた。
(つづく)
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Posted at
2015/02/10 00:41:43
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