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2015年05月10日

『昭和史の論点』での発見 《2》

『昭和史の論点』での発見 《2》 『昭和史の論点』で、坂本多加雄氏は語っている。「1945年以降、日本においても占領という戦争が続き、世界においても冷戦とそれに派生する熱戦が多々あったという認識に立ってみると(略)占領行政が見えてくるんです」。

なるほど……。われわれは「終戦」という言葉を好んで使うけれど、1945年に戦争が終わったという感覚を持ったのは日本人だけだったのかもしれない。また坂本氏によれば、「占領」というのは戦争の継続であるということなので、そのことに気づけば、たしかに、ある一方の陣営による占領とは「戦争状態」の延長だ。そして、後の「冷戦」につながる米ソの対立は、ドイツ降伏の直前、1945年に連合国が戦後処理をどうするかを話し合っていた時(ヤルタ会談)から既に始まっていた。

坂本氏は述べる、「冷戦が起きるまでは、日本の工業化は絶対にさせるなという前提がありますから、(日本は)かなり窮乏した状態が続いていたはずです」。そして、この「窮乏」には具体的な例があり、「連合国の対日賠償計画で、(日本を)アジア水準を上回らない生活水準の国にする」ものだったと、半藤一利氏は語っている。

そうだったのか! 戦後すぐの連合軍による占領政策は、航空機や乗用車なんてものは二度と作らせないぞ!……といった産業面のことだけではなくて、日本庶民の生活をどのくらいにするのかという“レベル設定”まであったのだ。ただ、その後に、戦後の「西側」にとっては、“オキュパイド・ジャパン”をどうするかということ以上の重大事が出現したので、それがチャラになった。その重大事とは、ソ連の台頭と共産主義の脅威だ。

「それが突然変わったのが、昭和二十三年(1948年)です。冷戦構造ができたため、アメリカの圧力がパッとひっくり返って、日本を大事にしはじめ、工場設備もそのままとなり、産業も復活し出したんですね。この神風が吹いた途端、(それまで戦後日本が目指していた)文化国家が『強兵なき富国』のほうへ変わったんです。だから、あの占領の七年間は二分されているんですね」(半藤氏)

さらに、「占領前期と占領後期という考え方があって、(略)東京裁判が二十三年(1948年)の11月12日に終わり(略)二十四年(1949年)に入ると、東アジアでの西側陣営の橋頭堡として、アメリカの戦略に日本が組み込まれていく」と語るのは保阪正康氏である。

この「占領後期」に、日本を「橋頭堡」にするための新政策が施行され、その一環として日本の産業界と自動車工業界に“自由”が与えられたのだ。そして、その“自由”の度合いについても、連合国側としての裁量があったという。坂本氏は述べている、「48年(1948年)くらいからの冷戦期には、アメリカの(略)日本に対する扱いの変化があって、できることならばアメリカを脅かさないくらいのパワーになってほしいという方向になります」。

……なるほど。「脅かさないくらい」の国力と経済的な「パワー」なら持っていいよ、ということか。そしてそれが、日本も乗用車くらい作れば?という1949年の認可につながるのだろう。

そして歴史は、あたかもそれと呼応するかのように、ある事件を日本近隣で引き起こす。冷戦が「熱戦」になって噴出した朝鮮戦争である。これを「特需」として、自動車工業界を含む戦後日本の産業界は復興の好景気に沸くことになる。

もし、1945年以後の数年間に、ソ連や中共(中華人民共和国=中国のこと、当時はこう呼んでいた)による共産主義の脅威がなかったら? あるいは、それがもっと小さなものであったなら? 日本の戦後復興は限定的な範囲に留められて、たとえば乗用車などは、そんなもの、アメリカ製を買っていればいいじゃないか……ということになっていたのだろうか。そして、彼らが企図したという「アジア水準を上回らない生活水準」とは、どのようなレベルであったのか?

歴史の《イフ》は、問いかけを始めてしまうと果てしないが、ただ、もう遥かな昔のことであり、「もし」はどうせならジョークっぽく、笑ってシメたいと思う。もし、第二次大戦後、進駐軍が「乗用車」の開発や生産をエンエンと禁じていたら? 

しかし、そうだったとしても、勤勉なるわれらが自動車工業界は、カテゴリーとして二輪車とトラックさえあれば、それで十分だったのではないだろうか。それが証拠に、60~70年代のライトバン、軽ボンネット・バン、そして80年代にはワンボックス・ワゴン、クロスカントリー車など。これらの「非・乗用車」をみーんな、カスタマーと一緒になって“乗用車以上の乗用車”に仕立てた。そしてトドメが、90年代の新ジャンル・カー、軽自動車におけるトール・ワゴンの提案だった。

アメリカの用語としての「ミニバン」や「SUV」が90年代の半ばにわが国に入ってきた時、そんな「新語」に対応する機種を、日本メーカーと日本マーケットは既に持っていたのだ。ただ、くくり方が「RV」という大雑把なもので、うまい分類の仕方がわからなかっただけ。……と、笑って歴史を振り返ることにしよう。(セダンをちゃんと作ってみたから、「RV」系をしっかり乗用車に仕立てられたのだというマジメなツッコミは、この際ナシで(笑))

(了)
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Posted at 2015/05/10 20:18:27

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