
「カスタムメイド」のクルマというのは、70年代以前の欧米のクルマ世界では、最もゼイタクなもののひとつとされていた。量産車ではない一品製作的な造型のクルマを、リッチな人々がカロッツェリアなどに注文して作らせるものだったからである。だが80年代の日本クルマ界は、そんな「カスタム性」も見事に大衆化した。それが「Be-1」だった。
このクルマに関しては、時代がバブリーだったとも言いたくないし、ニューモデルが手詰まりになっていたからだとも思わない。それよりも、こうした「カスタム的」なクルマをメーカー自身が作ってしまうほどに、当時の日本の自動車界には“余裕”があった。このことに注目すべきであろう。
そして、結果的に(売れなくて)少量生産になったのではなく、はじめから少数限定として開発・生産する。この点もハッキリ意識化されていた。もちろん、少量生産であっても、販価は上げない。そのためにどうするか。たとえば、プレスなどの面でのコストを下げる。少数生産が得意な関連メーカーの協力も得る。こうした戦略と作戦が、このモデルの背景にはあった。
英国50年代の名作といえる「ミニ」に似ていたから、人気が出たのサ……という説はあったが、しかしこれ、顔はグリルレスでもあり、そのモデルにそんなに似ていただろうか? このクルマがデザイン的にやりたかったのは、ちょっと前、つまり50~60年代の自動車という“みんなの記憶”を掘り起こすことだったはず。
まだ憶えている範囲での古さ、ゆえのレアっぽさ。それが狙いであり、勝負は、そんな「掘り起こし」ができたかどうか。その意味では、これはかなりうまくいった造型で、このクルマの成功の因は、ひとえにそこにあったと思う。
時代的にも、クルマにみんなが求めているのは、もう「速さ」や「新しさ」や「ハイテク」なんかじゃない。そんな風潮も、このクルマは体現し、先取りしていた。また、ちょっと変わったクルマはほしいけれど、それが日本製であれば、さらにいいな……。そんな気分にも、この「Be-1」はミートしていたであろう。
これは「いま」と「これから」にもつながっていた、そういう“ヘンなクルマ”だったのである。
(「カーセンサー」誌、1995年。「昭和名車伝」より加筆)
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クルマ史探索file | 日記
Posted at
2015/05/26 04:17:40