
初代MR2を「ミッドシップ・ラナバウト」と呼んだように、めったに自社の製品に「スポーツカー」という表現を使わないトヨタが、久々にそう名乗ったクルマを送り出してきた。それがスープラだった。時は1986年、十分な排ガス対策を施してなお「速いクルマ」を作れる。そういう技術の時代になっていた。
その構成はカタいというか、きわめてコンベンショナルなもので、直6エンジンとFRという組み合わせだった。そしてスタイリングにも、その(コンサバな)コンセプトはしっかりと適用された。……というより、メイン・マーケットであるアメリカとアメリカ人にとっての「わかりやすい」スポーツカー。その狙いでカタチを極めたというのが正解に近いのかもしれない。
おもしろいことに、公開当時は、80年代のクルマにしてはいささか“60年代的”な印象もあったこのスタイリングだが、多少の時間が経った今日の目では、そうした伝統性がむしろ新鮮に映る。はじめからカッコウは古かったと、シニカルになるべきではないだろう。
レーシングカーであれば、つねに最新の技術とトレンドが入っていなければ速くないし、他車にも後れを取る。そういうレーシングカーはやっぱり「美しくない」し、そもそも勝てないクルマなら、レーサーとしての意味もない。しかしスポーツカーというのは、そうした“最新鋭”でなくてもよいのだ、おそらく……。このスープラ、そしてユーノス・ロードスターが、その証明である。
(カーセンサー」誌、1995年。「昭和名車伝」より加筆)
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クルマ史探索file | 日記
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2015/05/31 12:16:29