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2016年04月20日

【クルマ史を愉しむ】vol.19 『自動車の世紀』を読む 《12》

【クルマ史を愉しむ】vol.19 『自動車の世紀』を読む 《12》 ○「一文の価値もない」
戦後、1948年12月の西ドイツ、ケルン。英軍政府内の一室で、フォード社の幹部と英軍政府が会議。敗戦国ドイツ、VWウォルフスブルク工場の(かつての)支配人ハインツ・ノルトホフ教授も陪席していた。議題は、ウォルフスブルク工場をどうするか。

なかなか結論が出ない会議が面倒になった英軍側が、工場をそっくりフォード側に無償で(!)引き渡そうとした時、フォード社の幹部の一人がヘンリー・フォード2世に言った。「あの工場も車も、私の見たところ一文の価値もありませんよ」。これで、VWのウォルフスブルク工場はドイツ人に返され、以後、ハインツ・ノルトホフによって再建の道を歩みはじめた。(注1)

○ウォルフスブルク工場とハインツ・ノルトホフ
ノルトホフは、戦前はオペルの技術者。ドイツ自動車産業連盟(RDA)ではVWの開発段階から関与していた。

1945:ウォルフスブルク工場での生産台数、1785台。
1948:生産台数、1万9000台。
1950:生産台数、8万2000台。
1954:生産台数、20万2000台。
累計生産台数が100万台を突破したのは1955年。(100万8785台)

○VWとフォードの違い
単一車種を量産して価格を引き下げ、さらに品質を向上させる。これはT型フォードで実証された方法だが、ウォルフスブルク工場のノルトホフの哲学は、品質の向上の方に力点があった。

また敗戦国・戦後の混乱で、ウォルフスブルク工場の所有権が確定していなかった。実は株主も不在、ウォルフスブルク工場=VW社の販売利益は、工場の拡張とその近代化にそっくり還元できた。そして工場長のノルトホフは、新車種への切り換えを拒否、単一車種生産をキープした。

フォード傘下にならなかったウォルフスブルク工場=VW。ヘンリー・フォードは、大衆車には高級な技術は必要ないという立場。デトロイト流のクルマ作りは「できるだけ金をかけぬやり方」(著者)だが、VW=ノルトホフの方法はそうではなかった。

○戦後乗用車の典型としてのVW
「VWの行き方は、第二次大戦後のクルマづくりに、はかりしれぬ影響を与えた。ビートルは戦後の世界の乗用車の典型となった(アメリカを除く)」(著者)

VWと同じポルシェ・コンセプトのリヤ・エンジン車は、フランスのルノー4CV、イタリアのフィアット600&500、日本のスバル360。また、前エンジン/後輪駆動ではあるが、アレック・イシゴニス設計の英国モーリス・マイナー、日本のトヨペットSA(1947年)も、フェルディナント・ポルシェの思想を受け継いでいる。

1945:米軍は5月、85%破壊されたウォルフスブルク工場を進駐してきたイギリス人部隊に引き渡した。
8月にキューベル・ワーゲンが組立てられた。9月、「VW」の名称で組立て開始、1293台。1945年で唯一、ドイツ国内で再開された工場だった。

イギリスは、別の無傷の自動車工場を進駐してきたソビエト軍に紹介して、ソビエトがVWを解体することを避けた。既に「冷戦」が始まっていた。イギリスはVWの生産を促進する。1948年に、ドイツ人自身によるウォルフスブルク工場は、ソビエトの勢力が及ばないドイツ最大の工場になった。

○VWビートルに対抗した「USコンパクト」
1959:VWの年産、57万5000台へ。
世界中に輸出され、とくにアメリカでの人気は高かった。ヨーロッパからの輸入車は、アメリカ乗用車販売の10%を超えるようになる。

1960:米ビッグスリーが「コンパクト車」を発表。
フォード・ファルコン、クライスラー社からはダッジ・ランサー、GMはシボレー・コルベア。これらはみな“VWビートル叩き”の車種だった。

とくにシボレー・コルベアは、VWのコンセプトをデトロイト風にアレンジした野心的な試みのモデル。リヤエンジン、水平対向6気筒、全輪コイルによる独立懸架、ボディは一体構造式。しかし、操縦性でオーバーステア傾向が強く、安全性問題の提唱者ラルフ・ネーダーの標的になり、人気が高まることはなかった。

アメリカに輸入された「VWビートルや、そこから派生したポルシェ356は、アメリカ文化へのアンチテーゼとして、知識層がきそって愛用した。ビートルや356に乗ることは、アメリカそのもののあり方に対する一つのプロテストの表明」(著者)であった。

○“ビートル”がT型を抜いた!
西ドイツでのVWビートルの生産は増え続けた。
1965:年産100万台を突破。(109万1000台)
1972:生産台数の累計で、T型フォードを抜く。
2月17日、新記録となる1500万7034台目のVWをラインから送り出した。

VWビートルは「西ドイツの“奇跡の経済復興”の牽引車の役割を果たし、世界の自動車のコンセプトに一大変革を与えた」(著者)。

○注1:エリック・エッカーマンの「自動車の世界史」より。
戦後のVW工場は、新たに自動車メーカーとして発足。1945年から製造開始。「技術的要件が満たされていない。それはあまりにも醜く、うるさすぎる。売れてもたかだか2~3年だろう」というのが英人ワイズのVW評だった。1950年代になってもVWは世界市場で売れ、イギリスの自動車を圧迫した。

○タイトルフォトは初代VW、トヨタ博物館にて。

(つづく)

(このシリーズは、折口透さんの快著『自動車の世紀』(岩波新書)をナビゲーターに、クルマ史におけるさまざまなシーンを見ていきます)
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Posted at 2016/04/20 07:43:45

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