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2016年04月22日

【クルマ史を愉しむ】vol.21 『自動車の世紀』を読む 《14》

【クルマ史を愉しむ】vol.21 『自動車の世紀』を読む 《14》 ○クルマ世界を変えた三つのモデル
「あるひとつのクルマの誕生が、自動車そのもののコンセプトを変革し、さらには社会的存在として人々の生活様式にまで深い影響を与えた例が、自動車の歴史の中で(略)少なくとも三つある」(著者)(注1)

その三つとは、アメリカのフォードT型、西ドイツのフォルクスワーゲン・ビートル、そして英国BMC/BLのミニ。「この三車はすべて(略)一人の個人のはっきりとした責任のもとに生み出された」(著者)。その個人とは、ヘンリー・フォード、フェルディナント・ポルシェ、そしてアレック・イシゴニス。

○アレック・イシゴニス
イシゴニスは、オスマン・トルコ帝国のスミルナ(現在のイズミール)で1906年に生まれた。父はイギリス国籍を持つギリシア人、母はドイツ人。イギリスで学校生活を送った後、いくつかの自動車会社に勤務。40歳を過ぎて、モーリス・マイナーを設計して成功。マイナーは、英国初の“ミリオンセラー・カー”となる。

小型軽量化のために、できるだけ「球」に近い形状のボディとして、前輪にはトーションバー独立懸架を採用。つまり、ポルシェ・コンセプト=VWビートルと同じ。ただし「イシゴニスがどれだけポルシェ・コンセプトに影響を受けたかを知る手がかりはない」(著者)。

1948:モーリス・マイナー、デビュー。
以後マイナーは、1971年までに160万台を売り切った。(注2)

1952:イシゴニス、アルヴィス社に移る。
BMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)内部での旧モーリス系と旧オースチン系の主導権争いに嫌気がさした。
1956:イシゴニスがふたたびBMCに戻った。
社長直属となり、かなり自由な裁量権を与えられる。唯一の条件は、時代に先駆けた、売れるクルマを作ること。

○「ミニ」の誕生
1956:エジプトのナセル大統領、スエズ運河を国営化。
同時にナセルは、シリアを通過するパイプラインを封鎖した。このパイプラインがイギリス石油需要の20%を負担していたため、イギリスではガソリンが配給制となる。

BMCのロード社長は、ポメロイとイシゴニスの二人の技術者に、競作で、小型経済車の設計を依頼した。当時の小型大衆車の定石は、VWのようなRR(リヤエンジン/リヤドライブ)車。ポメロイはこのRR車を提案したが、急進的に過ぎてBMCは採用しなかった。

一方でロードは、イシゴニスには外形寸法について厳しい注文を付けた。全長3000ミリ、全幅と全高は1200ミリ。これは日本の軽自動車/360cc時代(全長3000ミリ、全幅1300ミリ)の規格とほぼ同じ。(注3)

○FF+横置きエンジン
イシゴニスはかねてより、シトロエン2CV(FF)に注目していた。最初は、BMCの1100cc4気筒エンジンを分割した2気筒でFF車をプランニングしたが、エンジンの振動が激し過ぎた。そこから“コロンブスの卵”的に「エンジン横置き」と、その下にミッションとデフを一体化するという解決法に至る。(注4)

生産型の「ミニ」は、ホイールベース2030ミリ、ボディは、全長3050ミリ、全幅1390ミリ、全高1350ミリ。サスペンションは圧縮ゴム+アームの独立懸架。848ccのエンジンで34馬力、最高速は116キロ。

「イシゴニスは元来保守的で、戦前のごつごつした乗り心地で騒音も高いスポーツカーがいつも念頭にあった。彼は言っている、『シートはあまりコンファタブル(快適)でないほうがいい。緊張があって運転に集中できるから……』。また、ラジオの装備を打診されると、運転中気が散るからいけない、といって拒否した」(著者)

○モータースポーツと「ミニ」
「ミニの独特のサスペンションは、文字通り“足が地に着いた”走りを可能にした」(著者)
1961:ミニ・クーパーのデビュー。
レーシングカーで有名なクーパー社がチューニングに名乗りを上げ、1962年にクラブマン・レースで153回優勝した。ミニ・クーパーSの登場で、ミニのレース活動は国際的になった。エンジンは1275cc、70馬力、最高速160キロ。
1964~1965:モンテカルロ・ラリーでミニが連勝。

(つづく)

◆注1:この「四台目」は、私は、1993年に日本から登場したスズキ・ワゴンRであると思う。超コンパクト車において、「高さ」を活用すれば十分な快適性を確保できること。併せて、着座位置(ヒップポイント=HP)を600ミリ以上とする「人」優先のパッケージングを提案して、超・小型乗用車の概念と造形を変えた。

◆注2:エリック・エッカーマン「自動車の世界史」によるデータ。1950~1960年代における100万台突破の小型車。
 ・フィアット600:1955~1970
 ・ルノー4CV:1947~1961
 ・モーリス・マイナー:1949~1961

◆注3:日本の「軽規格」は世界には通用しない“ガラパゴス”だ……と自虐する必要はない。欧州の自動車人も「小型経済車」を企図すれば、「軽規格」と同じようなサイズをイメージする。

◆注4:エッカーマンは「自動車の世界史」で、「BMCミニ」について以下のように述べる。
イシゴニスの“驚異の空間”、全長の80%を居住とカーゴに利用。横置きエンジン、その下にミッション。10インチ・タイヤ、現代小型車の元祖。ラリー用には SUツインのキャブレターで997ccから55psを得て成功。

ミニはエンジンの下に変速機があり、仕切りがなかったので、同一のオイルを用いる必要。オイルの組成は重要で、サービス性には問題があった。
エンジンの横に変速機を置く配置を初めて採ったのは、アウトビアンキ・プリムラ。これで各メーカーは、従来の装備を活かしつつ前輪駆動とすることができた。親会社のフィアットは、プリムラの5年後に「128」を発表。

1969:フィアット128。4気筒1116cc、55ps/6000rpm。全長3860mm、ホイールベース2450mm、車重805kg。

(このシリーズは、折口透さんの快著『自動車の世紀』(岩波新書)をナビゲーターに、クルマ史におけるさまざまなシーンを見ていきます)
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Posted at 2016/04/22 09:48:53

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