2016年10月23日
映画『耳をすませば』~少女「雫」の世界と“コンクリート・ロード” 《1》
「スバルR-2」が重要な脇役だった『おもひでぽろぽろ』に対して、同じスタジオ・ジブリ制作になる『耳をすませば』では、クルマは慎重に「ぼかされて」いる。『おもひで……』におけるスバルのように特定できる車種は登場せず、主人公が中学生ということもあってか、物語の中でクルマが活躍することもない。(正確には、『おもひでぽろぽろ』に“出演”していたのはR-2をモチーフにしたコンパクト車で、R-2のフルコピーがアニメーションで描かれていたわけではなかったが)
では『耳をすませば』は、「クルマ」とは何の関係もない物語かというと、そうではない。「道」と「クルマ」は、この作品世界を“下”から支える重要な構造部材になっている。
映画はジョン・デンバー作の「カントリー・ロード」が、オリビア・ニュートン・ジョンによって歌われるシーンで始まる。そして物語の中で、ヒロインの中学生「月島雫」は親友の夕子に頼まれて、この曲を歌いたいという後輩のために、「訳詞」を試みている。そんな作業の中から、彼女オリジナルの替え歌というかパロディ・ソングが生まれていた。それが「コンクリート・ロード」だ。
♪ コンクリート・ロード どこまでも
♪ 森を切り 谷を埋め
♪ ウエスト東京 マウント多摩
♪ ふるさとは コンクリート・ロード
「こんなのも作った」と、雫からこの詞を見せられた夕子は、キャハハハ!……と大笑いする。たぶん雫は、「カントリー・ロード」の原曲が持つ“ふるさと愛”の感覚がイマイチわからなかったのだろう。ジョン・デンバーは歌の中で「西バージニア、マム山、シェナンドー河……」と地名を並べていくが、東京生まれの雫にとっては、こうした地名では何の感興も沸かない。
もっとも日本の詩人も「ふるさとの山に向かいて、言うことなし」と、ふるさとに対しては「ありがたきかな」と、ただただ沈黙していた。ジョン・デンバーや石川啄木に共通する、こうした「ふるさと」への文学的(?)な感覚を、少女・雫は共有できなかった。そんな苛立ちもあって、私の「ふるさと」ならこれしかない……とシニカルに、また批評的に歌ってみたのが、雫の「コンクリート・ロード」だったのであろう。
そのような替え歌を作った少女・雫にとって、「ふるさと」は“土の匂い”がないものだった。そして、その“硬い世界”に主役として「棲息」しているのがクルマという生き物。人とクルマは辛うじて敵対してはいないが、しかし、人がその“鋼鉄の生物”を完全にコントロールしているわけでもない。
映画の中で、クルマはしばしば人々の身体をかすめて走り去り、また、クルマをやり過ごしてから、ようやく人が行動する。そんな人とクルマの「共棲関係」の様子を、この映画は何気なく、しかし何度も描写する。
ただしこの映画では、コンクリート・ロード上の個々のクルマが具体的に描かれることはない。この点は徹底していて、画面に登場するクルマはみな「無バッジ」であり、また、サイドビューやリヤビューだけという描写も多い。もちろん、サイドビューだけで、そのクルマの車種を特定できる場合もあるが。(たとえば猫を追って、雫が細い道を登っていく際に駐車していたのはBLMC時代のミニだったし、終盤に、雫と聖司が自転車で秘密の場所に向かうハイライト・シーンで、軽くホーンを鳴らして彼らを追い越していくのは初代のゴルフだった)
そして、多少のネタバレを含んで話を先に進めれば、「カントリー・ロード」という曲が結局どうなるかというと、少女・雫はこの曲に付ける詞を、彼女の感性で作り替える。それはもう「訳詞」ではなく、彼女が自分と「ふるさと」との関係を自分自身の言葉で歌うものだった。
♪ 一人で生きると
♪ 何も持たず 町を飛び出した
♪ さみしさ押し込めて
♪ 強い自分を守っていた
この雫の「作詞」を見た友人・夕子は、すぐに「ここ、いいな!」と賛意を表する。雫の詞はさらに、カントリー・ロードを用いて故郷へ帰ることはしないというところまで踏み込んで行く。月島雫は、ジョン・デンバーが「帰郷」を歌ったのに対し、「カントリー・ロード」を自分にとっての“旅立ちの歌”に変えるのである。
(つづく)
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Posted at
2016/10/23 06:54:28
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