聖地巡礼 トニカクカワイイ 京丸編 その②
投稿日 : 2023年09月10日
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先に「京丸」を目指した時に、「虫の知らせ」と云いますか「何となく嫌な感じ」がして、ブタにしては珍しく「行けるところまで」行かずに引き返したところ、大雨の中屋根の下で全く濡れずにパンクした「タイヤの交換が出来た」という幸運に恵まれました。
これは神のご加護に違いないと、地元の神社に「お礼参りに行かないと」と心に誓ったブタは、日を置かずにちゃんと行って参りました。
お礼参りに行ったのは「山住神社」という「京丸」から標高1,469mの京丸山を挟んで北西に約8㎞(直線距離)に在る神社ですが、この神社については今回の「聖地巡礼」とは切り離した記事にさせて戴きます。
「山住」なんて将に「隠れ里」に住む人たちの神社に相応しい名称ですね。ブタはこの「山住」という土地が、「この神社の先には人里なんてありませんよ」という、「京丸」を守る結界の里だったのではないかと想像します。
行くと分かりますが神社は「山住の里」側ではなく、峠を越えた反対側(即ち京丸側)を見守っています、そしてこの先は峻険な道なき山々ですので、「京丸」へ向かう最後の休憩地点だったのではないかと。
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と云えるのもブタの勝手な想像ではなく、「京丸」に関する資料を図書館で調べた時に、浜松の側から「京丸」にアクセスするようになったのは割と近代(多分明治維新で「人」が「領主の所有物」から解放され、天皇政が復古し「京丸」の存在意義が薄れた時)になってからのようだからです。
また浜松側からの方がアクセスし易いのに、わざわざ標高1,400メートル級の尾根を超えた所(南斜面)に里を設けたのは、雪を避ける為かと想像しますが、逆に言えば冬場は外界との行き来が出来ない、将に孤立した里だったのでしょう。ここ「京丸」が文献に現れるのは江戸時代になってからのことでした。
で2コマ目の画像は、先回引き返したポイントの少し先の別れ道にある石の杭です。
上述の通り近代(多分大正とか昭和の初め)に置かれたものと思われますが、それでも表面が欠けてしまって文字が消えています。「左京丸XX」と書いてあるようです。
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更に進むと、昭和45年に廃校になった石切小学校があります。廃校後はバンガロー施設の一部として使われていたようですが、今では廃墟と化している様です。
学年毎にひとつの教室(6教室)があるサイズ感ではないので、違う学年の生徒でも同じ教室で授業を受けていたのかな?
「京丸」と「春野」のアクセスが開けたのも義務教育制度が大きく関係していると思われます。
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今の基準では狭小な元校庭の隅に「春野町立石切小学校跡」という小さい石碑が立っています。50年ほど前に建てられたものと思われ、写真では文字が判別し難くい程苔むしています。
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更にその先に進むと、「情報」の通り、道は未舗装となります。
途中の登坂でも水温計が上がり気味の「シャコタン」エクシーガでは、「お参り」して来たとは云え、もし「亀の子」にでもなったらブタも車も終焉の地になりかねないので、ここで本日の「冒険」は終わりにします(この先人は住んでいませんし、写真だとフラットダートに見えますが結構水が流れたような凸凹があります)。
空も雲の厚みが増して薄暗くなって来て、ただでさえ樹木で「昼尚暗い」道が御覧の有様ですし(今日の天気予報は晴れですが、山の天気は下界とは違います)。
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舗装が終わる直前にある廃屋。
多分ここが「石切」の集落の最奥に当たるのでは。
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前回は入る余裕の無かった「すみれの湯」・・・今回は1時間ほど貸し切り状態で占有させて戴きました。鈴虫が鳴いていて、秋の気配を満喫しながらのお風呂で気落ち良かったです。
もし京丸まで登山された場合は、ここで汗を流してさっぱりするのも良いでしょう、サウナもありますので「サモナー」じゃなくて「サウナー」も満足です。
通常は営業17時までと早いのですが、この時期週末は18時まで営業しています(GWや夏休みは午後7時半までやっているそうです)。
https://www.haruno-sumire.jp/
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それほど大きな施設でないので(洗い場5名)団体客には不向きですが、今時200円!で入れるお風呂には驚きです。昭和の時代だって入湯税とかあってこの値段では・・・確実に銭湯より安いです。
つかさちゃんも待っています(うそです)。
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