
ブタの親世代はそれこそお金の掛からない娯楽と云えば、「寄席」をテレビやラジオで聞くとかでしたし、家には五代目古今亭志ん生とか三代目古今亭志ん朝とかのカセットテープなどもあり、今の若い人たちよりは「落語」は生活の中で身近だったように思います。
一方、この春から始まった落語のアニメ「あかね噺」、サザンの桑田さんがOP&EDを歌っていることもあり注目を集め、また第1話から驚愕のストーリー展開で人気爆発のアニメになっている様です。勿論ブタもリアタイで追っています。
「落語」というと、基本声だけで数人の役回りを演じたり、その場の情景が頭に浮かんで来るように話したりと、話法で人の気持ちを引き付ける必要があり、その技量の評価は将に「ナラティブ」(宜しければ今年の4月3日のブタのブログもご覧下さい)の上手さなのかと思っていたのですが、「可楽杯」の辺りから「どうもそうではないのかな」という気がして来ました。
娯楽の多い現代において「落語」が世間の注目を集める機会はなかなか無いと思います。そこで古典落語のストーリーを現代的に換骨奪胎したり、話の主人公を置き換えて、話し手の独自解釈のナラティブで新しい物語を創造してしまったりする、それは違うぞ、ということなのかなと思います。
「落語」の技術というのは、その演目の中でお客様の期待に応えることであって、勝手に話を作って他の噺家との優劣を競うものではないし、そんなもので一時的に人気が出ても落語家としては大成しないし、落語の将来もおかしくなる、只面白い話を聞かせるだけなら「漫談でいいだろ」ということなのかなぁと。
アニメの中では「ナラティブ」という言葉は出て来ませんが、「劇場型」という言葉は出て来ました。「劇場型」も良い意味では使われませんので、「落語」というのはそういうものではないぞ、という戒めなのでしょう。
考えてみれば「ナラティブ」で話すなら、「落ち」もいくらでも創作出来てしまうよねということで、そうなるともう本来の「落語」とは別物で、テクニックとは使うところを誤ると「過ぎたるは及ばざるが如し」ということですね。
なので、朱音の「寿限無」の終わりも、奇をてらった話にはしないと思いますが、逆にどうするんだろうという興味が湧いてきます。
Posted at 2026/06/01 21:06:52 | |
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