
今回のブログは前回記した登米市へ行った時に、岩手県一関市へも足を延ばしていたのでその内容が主です。
後日もう1か所行った場所も昔の建造物なので、一緒にまとめて記そうと思います。
『道の駅 米山』で買い物をした後、一関市方面へ。
『道の駅 林林館』を通過しながら…
七曲峠へ。
峠道を走るような足回りではありませんが、ソリオのマニュアルモードとスロコンのパワーモードで走るとマニュアル車っぽくて案外楽しいです。
そして着いた先は…
一関市内の駐車場。
登米市内で給油して到着した時の燃費。
峠道走ってきた割に出したことの無い数値です。
この後走り続けて分かりましたが、航続可能距離は32Lの満タンだと走った距離と合わせて900kmぐらいまでは出せそうな感じでした。
走り続けてないと絶対無理でしょうけどね。
だからこそ尚更トヨタやホンダのハイブリッドは凄いなぁと思います。
そこからちょっと歩いて…
目的地の『千厩酒のくら交流施設』に到着です。
たまたまYouTubeのおすすめ動画に大正時代の映像をカラー化したものが出てきまして、古い建造物が見たくなったので行ってみました。
こちらの施設は見ることができるスペースと、酒蔵として使用しているスペースがあるので、敷地内全ての建造物を見るのはたぶん無理だと思います。
これだけの建物が残っているだけでもワクワクしてしまうんですけどね。
この『千厩』という地域は名馬の産出地だったんだそうで、かつては源義経に献上した馬もこの地の生まれらしく。
地名の由来が『勢間屋→千馬屋→千厩』となっていったそうですから、元々は馬の商人でもいたんでしょうかね?
青森県や岩手県内には『一戸、二戸、三戸…九戸』というように『戸』の付く地名があり、馬の生産地を管理する際に付けられた名残と言われていますから、軍事的な面と経済的な面で支えていたのかもしれません。
…思い出してみると、ゲームの話ですが信長の野望の中での盛岡藩(南部藩)は騎馬隊が強くて、一応東北の雄とされる伊達藩で攻めに行くとコテンパンに負けることが多いです(笑)
母屋は中を見ることができるので、ちょっとお邪魔しました。
入って驚いたのが涼しいこと。
エアコンも扇風機も無いのに涼しいんです。
夏でも最高気温が30℃を超える日が少なかった頃がこんな感じだったなぁと、懐かしく感じました。
それと、小学生の子たちがちゃぶ台で勉強してる😲
岩手県だから座敷童?とか好意的に思ったりもしましたが、邪魔しないようにその場を離れます。
こういう薄暗い部屋があるのは日本家屋のお約束なんでしょうか?
昔の我が家もこんな感じの部屋があって、自分の家なのに怖くて入りたくない、入っても走って逃げたくなる雰囲気がありました。
二階から庭がちらっと見えます。鯉がいる池もあり、手入れは大変でしょうけどこういう庭に憧れます。
昔の階段って蹴上が異様に高く、踏面が異様に狭くて上り下りが大変です💦つまり、勾配がきついのですが…酔っ払ってたらあの世への扉が開きそうです。
入場料は無料ですが、良いものを見せていただきましたからお礼も兼ねて寄付♪この建物の隣にある『西洋館』が売店になっているので、そこでちょっとお買い物をしました。
それと、建物内に喫茶店がありカウンター席だけなのかな?
満席でしたが場所が場所だけにおしゃれに見えます😊
酒粕入りのうどんです😋
その場で作ったお酒もやはり買うべきだろうと🍶
健康診断が近いので二合瓶の方を購入。
開けた日と、その翌日以降の酸化による味の変化が日本酒の楽しいところですね。
そして…
駄菓子が売っています😄ここに来て一番目が輝いていたかもしれません(笑)
子供の頃100円玉を握りしめ駄菓子屋へ行ってたなぁと懐かしく、子供の頃に見たものとあまり変わりない姿に大人買いしたくなりそうでしたが、昔を思い出して控えめに買いました。
今になって思い返すと、駄菓子屋でのお金の計算が今も買い物で役に立っていると気付きました。
食べながら学習していたわけなのです!と良い口実ができたと思ったものの、使いどころが無いですね😓

買い物をした時に入れてくれた紙袋にはこんなスタンプが。建物もそうですが、馬も主役です🏇
近辺のメイン通りには先ほどの『馬事資料館』と同じく源義経の愛馬『太夫黒』が展示されています。乗ってしまう方が多かったんでしょうね、乗らないようにと注意書きがありました。
千厩から一関市中心部の方へ向かったのですが、途中から雨が降ってきました☔
『道の駅 かわさき』ではトイレ休憩だけ。
国道4号線から宮城県へ向かって帰ろう!と思ったのですが…、県境付近で大渋滞していて普段だったら難なく通過するところで50分近くロス。嫌気が差して築館ICから高速使って帰りました。
のんびり帰るつもりではありましたが、渋滞でのんびりしたいわけではありませんからねぇ。
後日、古いものつながりで仙台市の北にある利府町の『森郷児童遊園』へ行きました。ここは本当はもっと早く来るべきだったんです…
以前は蒸気機関車と電気機関車が展示されていたそうでして。保存状態が悪く、3年前に2台とも撤去されてしまいました。
蒸気機関車は県内で走っていたものではないのですが、東北新幹線の建設を記念して飾っていたものなんだそう。やはり野ざらしでは保存が厳しいですね。
この看板の下の方にある『東北本線旧線(山線)』の文字が気になり、ちょっと調べてみると見に行けそうな感じだったので向かってみることにしました。

まずはこちらの橋脚です。東北本線旧線とは何ぞ?と知らなかったのですが、現在運行しているルートは海線と呼ばれるものなんだそうで。
元々は山線と呼ばれる内陸を走るルートが東北本線だったようなんですが、勾配がきつく塩釜や松島を通るルートで作り直したのが海線なんだそう。
この橋脚のある利府町には山線側の駅があるんですが、1949年に廃止の話が出た時に存続を望む活動が始まり一旦維持が決まったものの、後に山線は廃止で利府駅を支線の終点として残すことで決着。
これが1962年の話ですから、知る人が年々少なくなっていくんでしょうね。
この橋脚は山線が運行していた時に車両が通行していたんだそうです。
道路と橋の付け根の部分に、当時のレンガが残っています。
単線だったからでしょうね、道幅は車1台分あるだけですれ違い不可です。
このまま進んでいくと…
ガードポールが設置されている細い道が線路があった場所になります。
何も知らなければ私道?歩道?ぐらいにしか思わない道ですが、鉄道が走っていたことを知ると色々興味が湧いてきますね😊
ここからちょっと移動しまして…
古いトンネルです。トンネルを鉄道が通っていたわけではなく、トンネルの上を通っていたんだそう。
ここに来る途中に上の道を走りましたが、本当に単線分の道幅でした。
地名を表す石碑?のようなものがありますが、文字が書かれたパネルが剥がれ落ちていて分かりづらくなっています。
明治時代に作られたトンネルだそうですが、東日本大震災の揺れに耐えていることにびっくり。何も無い所から鉄道網を築き上げるわけですから、念には念を入れて作ったんでしょうね。
江戸時代って当時の西欧から見れば非文明的に映ったのかもしれませんが、開国から数十年でこういうものを築けるだけの下地があって、実は今よりもハイスペックなんじゃ?と思わされます。
それなのに和算が西洋数学と比べても最高水準にありながら、科学との接点が無く娯楽の類として消化していた所は日本人らしいというか何というか。
何はともあれ先人に感謝しないとねと思ったのでした。
次回のブログは…9月下旬としてまとめてのアップになる予定です(^^♪