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オレンジZのブログ一覧

2025年03月09日 イイね!

【日本神話超訳ドライブ】瀬織津姫とニギハヤヒの謎-国譲りと大化の改新

【日本神話超訳ドライブ】瀬織津姫とニギハヤヒの謎-国譲りと大化の改新3/9は岐阜県にある瀧神社へ参拝に。

長泉沼津から一宮木曽川まで高速を使い岐阜市内で一泊。翌日早朝に瀧神社を目指します。



朝4時過ぎ。気温はマイナス2~3℃で底冷えするほどではなさそう。路面も凍結なく瀧神社入口まで到着。夜明けを待ちます。

日の出時間は6時13分。あたりが明るくなると同時に入口の鳥居が姿を表してきました。



目には見えないけど確かに存在する感覚。普段忘れかけていた自然への畏敬の念を感じます。



瀧神社の御祭神は瀬織津姫です。

龍神、弁財天、白蛇の化身だと云われたり、水に関連する様々な神様の習合と云われ神道において重要な神様ですが、瀬織津姫はなぜか日本書紀、古事記に登場しません。

神武より以前にヤマトを支配していたニギハヤヒ

日本神話に登場する邇芸速日命(ニギハヤヒ)は、瓊瓊杵尊(ニニギ)よりも以前に日本列島に天下った天津神であり、瀬織津姫はニギハヤヒの妻である市杵嶋姫命(宗像三女神)の別名と云われています。



天照大御神の荒魂の別名が瀬織津姫であったという記録が抹消されている痕跡から、ヤマトに瀬織津姫を最高神とするニギハヤヒが治める王朝があったと考える説も。

加えてニギハヤヒの天磐船伝説や瀬織津姫の龍神伝説から考えると、この二柱は縄文系の自然信仰から生まれた神様だと考えます。

その性質からも、ニニギよりも以前にヤマトを支配していた説は説得力があります。



ではなぜ先にヤマトを支配していたニギハヤヒではなくあとから天下ったニニギが実権を握ったのでしょうか?

またニギハヤヒの末裔が、物部氏であることも興味深い点です。

ニニギ、ニギハヤヒのあいだでどのような争い、交渉があったのかは判りませんが、藤原氏がニギハヤヒの存在を日本書紀に残した理由が天皇の側近として助力した物部一族への配慮だったとすれば比較的穏便なものだったと思われます。

ただしその最高神である瀬織津姫の名は、天照大御神の存在を脅かすために隠匿せざるを得なかった。

ならばせめてもの歩み寄りとして、天照大御神の荒魂というかたちで収めたとは考えられないでしょうか。

ところが、時代が下るにつれてその事実が都合の良くないものになっていった・・・



国譲り神話 ※超エンタメ考察

調べていくとどうも、日本神話の国譲りと、大化の改新前後の出来事が重なってくる。日本書紀、古事記編纂時期、乙巳の変はホットな話題だったはずです。つまり神話の物語を作るうえでの格好のネタであったのは間違いなさそうです。

一説によると建御名方神(タケミナカタ)=蘇我一族で、建御雷神(タケミカヅチ)=藤原一族であり、国譲り神話は物部一族の復讐の物語ナノデハ・・・

中臣氏が祀った地元の神が「建御雷神」、「建御名方神」はその対比としての神=すなわち蘇我氏だったのではないか。という説。

物部氏は天皇家の脅威であった崇仏派の蘇我氏との政争の上敗走し、諏訪の地に逃げ延びました。これが丁未の乱。

その後、藤原氏が乙巳の変において蘇我氏を滅ぼした。

これは物部一族にとって蘇我氏への復讐の成就でもありました。

諏訪の奇祭

ところで諏訪には鹿の首を神にささげる『御頭祭』という奇祭があります。



鹿の首を75頭捧げるこの異質さ、これは縄文の自然信仰とはちょっと考えにくい。何らかの怨念や恨み、執念深さを感じるのです。

物部一族は敗者でありますから、諏訪大社には服従の証、つまり蘇我一族側の建御名方神(タケミナカタ)が祀られている。(もちろん物部側としては不服ですが建前上受け入れるしかなかった)

諏訪にあった鹿を祀る土着の祭祀をカムフラージュとして、蘇我氏を呪う意味での御頭祭でもあったと。

偶然か必然か、乙巳の変において暗殺されたのは蘇我入鹿です。

そんな中、藤原氏は乙巳の変で蘇我の怨念もろとも建御名方神(タケミナカタ)が祀られている諏訪に追放した。とすれば・・・

因果応報。こんどは蘇我自身が諏訪の地に閉じ込められることとなった。コトシロヌシが物部側だとしたら国譲りを簡単に了承したのもうなずけるでしょう。

一方で蘇我側(タケミナカタ)はこれに反発する。それがタケミガヅチ(藤原氏)によってねじ伏せられるのです。

物部一族は蘇我へ御頭祭を引き継ぐ、その本当の意味は伏せたまま。だとしたら、蘇我氏は自分で自分を呪う祭祀を行い続ける。という恐ろしい結論に至るのですが・・・

物部の祖神信仰の痕跡は

物部一族が諏訪でニギハヤヒ、瀬織津姫を隠しながら信仰していたとすれば、恐らく物部一族が信仰対象としていたのは、現在の守屋山でありそれがニギハヤヒ、瀬織津姫だった。

物部家が蘇我一族と対立していた頃、物部守屋という有力執政官がいました。



つまり諏訪大社の祭祀を仕切る神長官守矢氏は、物部家と諏訪を繋ぐ重要な社家。

守屋山には物部守屋を祭神とする守屋神社が鎮座しています。

諏訪信仰にあるミシャグチ神はニギハヤヒ、ソソウ神が瀬織津姫だという説があるように、物部一族が諏訪に辿り着いて以降、土着の信仰神に自分たちの祖神を当てはめ、守矢と名前を変えて祭祀を仕切るようになったのでは。

乙巳の変が起きた後、ニギハヤヒと瀬織津姫とともに物部一族は、蘇我氏の封印と同時に諏訪の地から離れた。

その後、物部一族の末裔はどこに向かったのでしょうか?それが国譲り神話通りだとすれば出雲です。

もともとニギハヤヒが支配していたヤマトは天皇家(藤原一族)の地であるため、戻ることができない。

よって物部氏の新天地が出雲だったと考えます。

藤原氏の要請で諏訪の地を明け渡す代わりに出雲に社を立てた。物部一族からすれば願ってもないことだったでしょう。それは藤原氏の恩赦的な面もあったかもしれません。

井関三神社

この四つ巴の関係と繋がってくる神社が兵庫県にあります。井関三神社に祀られているのはニギハヤヒ、瀬織津姫、タケミナカタ、タケミカヅチの四柱。

タケミナカタとタケミカヅチといえば諏訪です。そして諏訪の地を守る守矢氏(物部)の祖神がニギハヤヒ、隠匿された妻、瀬織津姫・・・

この四柱が一緒に祀られているのはとても意味深ではないでしょうか。

また興味深いのが、出雲にある物部神社と伊勢神宮外宮の直線状、しかもほぼ真ん中の位置にこの井関三神社が建てられていること。つまりこの3つがレイラインの関係にあるのです。



伊勢神宮外宮はもともと縄文系の神様が祀られてたそうです。

これに気づいた時ちょっと鳥肌が立ちました。

このほかにも物部氏の氏神神社石上神宮、もともと瀬織津姫が主祭神だった廣田神社もこのレイライン上にあります。

新天地出雲説 ※超エンタメ考察

当時、近隣諸国に日本の権威を示すために、血統の正当性を以て東アジア圏に通用する正史を編纂する目的で日本書記が作られました。

つまりヤマト王権側は、ニギハヤヒを祖とするもう一つの王朝が存在するのは都合は悪いのです。

そこで藤原氏は物部氏に、歴史上から消えて貰うことを引き換えに出雲の地を与え、そこに社を建てた。

国譲りという出来事を考察(超訳)した通り、書紀を編纂したヤマト王権側、つまり藤原氏が主導あれば、出雲大社にニギハヤヒの名は記すことはできません。 

従って別の名で祀られていると仮定します。

もし国譲りを簡単に承諾した事代主神(コトシロヌシ)が物部一族だとすれば、出雲大社の主祭神として祀らている大国主(オオクニヌシ)こそがニギハヤヒではなかったか。



また、スサノオは役職名であり世襲制だったという説から、国譲りで大社を造りニギハヤヒが出雲へ入ったことで、襲名はスサノオから大国主へ変更された。つまり大国主の初代がニギハヤヒ。

もう一つ、百嶋由一郎氏の講演録によると、「瀬織津姫神は櫛稲田姫の別名」としています。つまりスサノオの妻でもある。

この襲名事件が意味すること、それは最後のスサノオ=初代大国主。つまりニギハヤヒは双方の名を兼任していることを示唆する。

ならば瀬織津姫の痕跡もあるはず・・・ですが、藤原氏が天照大御神の荒魂と設定した以上、出雲大社に大国主(ニギハヤヒ)と相殿で祀ること、これだけは許されなかったと。

これによって瀬織津姫は摂社の祓社に鎮座した。大和王権側は瀬織津姫を日本書紀に記載しないことで天照大御神とのつながりを公式上から消した。

つまり国譲りの完了を以て、ニニギがヤマトの実権を握ることなる日本書記の筋書きが完成したのです。これによって瀬織津姫の痕跡は全て抹消されました。

その後、事実上はニニギ勢(伊勢)とニギハヤヒ勢(出雲)の二大体制となった。これが天津神と国津神の始まりなのでは。

もう一つ、冒頭に紹介した瀬織津姫が唯一登場する祓詞には「イザナギが禊を行った時に誕生した神」として瀬織津姫が召喚されている。

とすれば瀬織津姫は、アマテラス、ツクヨミ、スサノオのいずれか・・・と同一神となる。

唯一公式として残る祓詞内でも特定はできないようになっていますね。



と、トンデモ考察はここまで。

拝殿には神様の絵が飾られていました。左側は弁財天・・・?右側はウサギを抱えているので大己貴命ですね。



日本の山と水をお護り頂いていることに感謝申し上げて次のスポットへ向かいます。



モネの池

2018年以来の再訪。岐阜県関市、根道神社の境内にある名もなき池。通称モネの池。

こちらも透明度の高い湧き水が湧出しており、池に群生する睡蓮がモネの絵画のような美しい風景を作り出しています。



まさに動く絵画。です。



根道神社にも参拝。



御祭神は根道大神で、伊邪那岐、大山祇命、金山比古神です。高賀三山を信仰対象としているのでしょうか。

金山巨石群

最後に訪れたスポット、金山巨石群、岩屋岩陰遺跡にはいくつもの巨大な岩が点在しており、その配置から天体観測に利用されていたものだと今でも研究が続けられています。



巨石信仰いえば古代エジプトのピラミッドや、イギリスのストーンヘンジを思い浮かべがちですが、日本にも岩に神様が宿るとされる磐座信仰が古くから存在しています。





驚くべきことにこれら巨石群は5000年前の天体の観測に用いられていたことが、冬至や夏至の太陽の差し込みや、北極星などの位置の割り出しによって判明しています。



5000年前といえばまだ縄文時代。しかも古代エジプトよりも古い時代の人々が天体観測の技術を持っていたことになります。

これら巨石群は、全て天体の動きに合わせて意図的に配置されているそうです。しかもこれらはピラミッドの石とは比べ物にならないほど巨大です。(実際に見るとよく判ります)



巨石群がたまたま天体観測に丁度いい配置になるわけもなく、エジプトピラミッドと同様どうやって動かしたのか、という謎が日本にも残されているということ。

日本は海外と比べて古代遺跡未調査エリアが多くひょっとすると大発見に寄与できたりするかもしれませんね。



都市伝説っぽくなりますが、

なぜか巨石の取り扱い方法が日本の口伝に残っている

日本の各地には、口伝で口承されてきた歴史が古史古伝として数多く残されています。これらは政府に認められておらず偽書認定をされていますが、

例えば竹内文書、九鬼文書や山蔭、愛智口伝によれば、磁場や音波を利用した浮揚技術や石を柔らかくする技術(鋳造かコンクリート?)などが古代では存在していたようです。

物的証拠として世界中に巨石遺構が残っているので、これをトンデモだとかオカルトだと一蹴できないんですよね。

事実、大阪城の基礎には最大108トンもの一枚岩が使用されており、わずか400年前まで人力で巨石を扱える技術を持っていたことが伺えます。

ピラミッド内部と出雲大社本殿

出雲大社宮司「千家」家によると、古代出雲大社の本殿は既存の本殿より大きく、高さ48mの高層本殿だったと云います。

古代出雲大社は長年、想像上の産物だと云われてきましたが、平成12年に出雲大社境内から、3本組にして1つの柱とする直径約1.35mの巨木が発見されたことで古代出雲大社が実在した可能性が高まりました。



古代の出雲大社本殿とピラミッドの内部の不可解な共通点。

それが大ピラミッドの玄室へ続く大回廊の長さと角度が、古代出雲大社の本殿へ続く階段と一致すること。






この共通点は、大ピラミッドの内部構造が図面か何かで残っており、それが日本へ伝わっている事を意味します。(現状、大ピラミッドの設計図は未発見)

両者の建設時期は推定2500年ほどの隔たりがあり、なぜ一致するのか、なぜ同じ寸法にする必要があったのか?謎は深まるばかりです。

ピラミッド建造について、日本との関連を示唆する言い伝えがエジプトに残っている。

紀元前300年ごろ実在した神官マネトが残したとされる記録で、こんな一節があったと云います。

「不思議な方法によって、東方から訪れた高貴な人々が、エジプトにピラミッドを残して去っていった」

東方から、もしこれが日本を指すのであれば、日本の技術がエジプトに伝えられ、逆輸入で入ってきた技術で古代出雲大社が作られた。ということになります。

このエピソードは、天文学と巨石を扱う技術が縄文時代にあったことを物語る金山巨石群の存在と結びつくような気もしますね。

先に取り上げたニギハヤヒはニニギ側よりも古く、つまり縄文の神です。ニギハヤヒは空飛ぶ石の船、天磐船で天より降りた、という巨石技術を匂わせる説話もとても興味深いです。

謎多き日本

山、水、岩・・・古代人は僕たち現代人よりも自然の扱い方のプロフェッショナルだったのは間違いありません。



古代人の知恵がやがて機械に取って代わっていく過程で、失った叡智があったとしたら・・・

そう考えるとロマンがあって面白ですし、実際に現地を見て回ると日本古代史も一枚岩ではないことがよく判ります。

自然消滅していった歴史や知恵、技術もあれば、意図的に隠され改ざんされてきたものもある・・・

消滅しきれなかったもの、隠し切れなかったものが現地に行くと残っていたりするのはワクワクしますね。ネットでなんでも見ることができる時代ですが現地でフィールドワークでしか分からない事実や空気感が今後大切になりそうな気がします。

おまけ・・・

恵那峡サービスエリア『おろし蕎麦カツ』なるものがとてもおいしかったので紹介。



そば×カツがこんなに合うとは思いませんでした。この辺の名物なのでしょうか?恵那峡サービスエリアに立ち寄った際はおすすめです。

以上、日本神話超訳ドライブでした!
Posted at 2025/04/06 22:39:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2024年11月06日 イイね!

水神、雷神、風神の3柱を巡りながら水と日本の行方を考察する旅

水神、雷神、風神の3柱を巡りながら水と日本の行方を考察する旅 こちらのブログは、みんカラ用としてnote記事の切り抜きになります。


 全文はクリップリンクより考察ブログ『リサとはりねずみの報告書』の方で見ていただくと幸いです。

(ちょっとみんカラの趣旨と内容がずれるため)


11/3、前から気になってたスポット天城湯ヶ島、滑沢渓谷へ。





 滑沢渓谷は伊豆半島の中央、天城連山の北麓に位置しています。その名のとおり安山岩の表面が長い年月をかけて削られて滑らかになったことに由来します。長大な時は滑らかで美しい一枚岩を作りました。

 
 そのうえを清流が流れ、終点には龍の姿を模した岩盤が構成する小さな滝(竜姿の滝)があります。

 
 ネットで写真を見た瞬間、まるで石化した龍が鎮座しているようなその風景にぜひ行ってみたいと思って調べると、なんと地元!これは何かの縁を感じます。

 
 最寄り駐車場は、国道414号沿いにある道の駅『天城越え』です。そこから遊歩道を約0.8km歩くと滑沢渓谷に辿り着きます。




 
 クマ出没の看板がありましたので鈴を持っていくといいでしょう。

 
 国道を少し山に入った場所にある遊歩道ですが、緑が生い茂り古代の森を彷彿とさせます。前日降った雨の影響でしょうか。岩肌からは水が滴り落ちところどころに小さな水場を形成しています。







 
 太郎杉の分岐を少し歩き、獣道のような場所を清流方面に降りていくと、竜姿の滝に到着です。



 
 とにかく水が透き通っていて綺麗な場所。肉眼でもしっかりエメラルドグリーンです。





 
 僕には右側が龍の頭で左向けていて、ぐるっと反時計回りに体をまわして左側に尾の先端を落ち着けているように見えます。




 
 黒く濡れた岩肌がまるで鱗のよう。皆さんはどうでしょうか。




 
 長い時間をかけて岩を削り浸食した形成されたこの龍も、やがて消えゆく運命を辿ります。数千年、数万年後にはまた違う景色を形成しているのかもしれませんね。

 
 龍穴のような場所も・・・




 
 水の神様とされている龍神信仰は、縄文にまで遡るそうです。この滑沢渓谷のような豊富で綺麗な水を湧出する場所を人は本能的に求めたそうです。

 
 仕事柄山岳での光景として山に雨が降ると、涸れ川に雨水が流れ込んで再び川を形成する様子を目にします。

 
 その流れる水が龍が出現したように見える、そのために水が龍の姿に取って代わったのでしょうか。古代の人々の想像力に驚かされます。

 
 <途中ですが別日の旅程をぶっこみます。>

 
 10/8のお話・・・この日も天城湯ヶ島、天城越えを経て下田へと向かいました。目的は下田にある白浜神社

 
 道の駅『天城越え』でわさびソフトクリームを。わさびの量に躊躇しますが、ソフトと一緒に食べると刺激がマイルドになって以外にもピリ辛で美味しい。





 11時ころ白浜神社へ到着。

 
 下田地方にある白浜神社は伊豆最古の神社とされており、御祭神は、日本人の総氏神「日本総鎮守」と云われる大山祇神だったと云われています。現在はその妻である伊古奈比命(イコナヒメノミコト)が残り夫の大山祇神は地理的な都合、交通や人の往来の理由で、東海道沿いの三嶋大社へと遷座されました。

 
 白浜神社の一部を構成する海岸鳥居。海の向こう側に向けて建っている鳥居ですが・・・これは伊豆七島をご神体としているとも云われています。





 白浜神社本殿へ。




 
 まず巨大な御神木が出迎えてくれます。「薬師の柏槙(びゃくしん)」、樹齢は2000年だそうです。右手には樹齢1000年後に枯れて1300年経過していると云われる「白龍の柏槙」。







 
 前回は冨士浅間神社に祀られる娘のコノハナサクヤヒメ。今回は奥様へご挨拶です。




 
 本殿の最深部には神域とされる奥宮がありより荘厳な雰囲気が漂います。







 
 富士周辺に祀られる木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)、三嶋大社の大山祇神、そして白浜神社の伊古奈比命。これら3柱は父・母・娘の家族です。

 
 日本国土を護る神々が集結するパワースポットです。

 
 日本が近代化へと大変貌を遂げるきっかけとなった黒船来航、ペリーを引き寄せたのも必然だったのでしょうか。


話は戻って11/3に。

 
 滑沢渓谷を後にして道の駅天城越えに戻ります。

 
 遊歩道の途中には、小さな山神社が建てられています。




 
 こちらの御祭神も大山祇神。日本国土のそのほとんどが山で構成されている稀有な国。大山祇神はつまり日本国土そのものである。と言っても過言ではない。




 
 それゆえに昔の日本人は、自然に対して特別な畏怖を抱きながら生きていたと思われます。それが近代の日本美術へと昇華されているように、日本独自の技術、技として今も継承されてきました。

 
 僕には、人の形に神性を見出す西洋に対し、東洋、とりわけ日本は神聖なものに人性を見出す感性を持っているように感じます。雷は神様の鳴らす音とされ『神鳴り』、神社では雷の形を模した紙垂として表現します。

 
 風神雷神図屛風はまさにその表現の延長で、江戸時代、風、雷といった自然現象に人性を投影された証。




 
 その擬人化文化は、現代の日本に漫画、アニメ、ゲームといったサブカルチャーの基礎となる、モノを擬人化(戦艦や刀といった無機物にまで人の心を投影する感性)してキャラクター性を持たせるという特殊性を育みました。

 
 時代時代の美術品など見ていくと、やはり日本は、文化断絶がない唯一の國だと改めて思い知らされます。







 

 情報が洪水のように溢れた現代、流行や目の前の出来事にしか目がいかない時代、ちょっと立ち止まって考えてみると、今の当たり前は決して当たり前ではないな、と感じる旅でした。




Posted at 2024/11/06 21:58:48 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2024年10月22日 イイね!

15年越しの御嶽山邂逅

15年越しの御嶽山邂逅短編ドライブブログです。

10/14深夜・・・2時ころに目が覚めてそのまま眠れず・・・

休みだしどこか行こうかな・・・

開田高原あたりが距離的にもちょうどよいので目的地に。

3連休最終日なので早め行動で。

それではどーぞ!

朝4時前に出発。東名-東富士五湖道路-中央道と走って伊那ICで下車。

天候は曇りです。

国道361号地蔵峠旧道へ。

この道は全体的に狭路なので対向車に気をつけましょう。

開田高原寄りに景色が抜けるポイントがあります。次第に晴れ間が見え地蔵峠展望台に到着。



ずっと閉塞感のある林道を走っていたことも相まって、御岳山がくっきりと見えた時の感動は何倍にも増して感じました。



伊那ICから開田高原までは曇りで濃霧もかかっていたので正直御岳山は期待してなかったのですが・・・

15年越しの御嶽山との邂逅でした。

下っていくと差し込む朝日で神々しいポイントに出逢いました。

後光が差すとはまさにこの事でしょうか。



次の展望台は柳又ビューポイント



こちらは駐車スペースが確保されていて立ち寄りやすいかと。
早朝ならこんな愛車との写真も撮影できますよ。



つぎに杣ヶ池へ。

県道463号沿いにあるひっそりと佇む杣ヶ池。

こちらは駐車場がないので道路わきに車を停めてちょっと歩きます。



杣ヶ池周辺はクロスカントリーのコースになっているようです。





青々とした水面に周囲の木々が綺麗に反射しまさに明鏡止水。



静止画がそこに実際に存在しているかのような、不思議な瞬間です。



すぐわきには龍神を祀る小さな祠と鳥居が建てられています。





御嶽白龍大善龍王

御嶽山は古来より修験道、神道における信仰を多く集めた神域。
国之常立神の白龍権現、御嶽山の化身です。

山が蓄えた雨水が流れ込み池を形成する。

その周辺には動植物の生態系が維持されて循環している様は、山自身が生き物であることを感じさせられます。





開田高原へ戻って、とうもろこしソフトクリームが有名な開田高原アイスクリーム工房

そばも期間限定で販売していたので、とうもろこしとそばを一つずつ。



以上、御嶽山邂逅弾丸ドライブでした!
Posted at 2024/10/22 23:39:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2024年08月23日 イイね!

瞬間の風景に出会う旅「車山と美ヶ原」

瞬間の風景に出会う旅「車山と美ヶ原」8/21長野県蓼科、ビーナスライン周辺にドライブに行ってきました。

車山肩から山頂までのハイキングコースが運動不足の自分にはちょうどよさそうだったので山頂の神社参拝を目指して出発です。

4年ぶりの蓼科エリア。果たしてどんな風景に出逢えるのか?

それではどーぞ!

8/20夕方出発。東名ー東富士五湖ー中央道を走って諏訪ICまで。上り方面のSA・PAやっぱりトラックで溢れています。

諏訪市内で素泊まりして翌日早朝、行動開始。





10年ぶりの御射鹿池へ

6:00御射鹿池に到着。ここは実に10年ぶりです。








まだ太陽光が差し込まず静かで幽玄な雰囲気。完全に無風で水面に綺麗に山々が反射しています。
そこは東山魁夷の作品「緑響く」そのままの風景が佇んでいました。岐阜のモネの池にも感動しましたが、ここも絵画がそのまま具現化したような場所です。





白い馬はいませんでしたが、一羽の鴨がこの風景のアクセントになってくれました(笑








4年ぶりのビーナスライン


続いてビーナスライン車山方面へ。
夏休み期間ですが思ったより交通量は少ないですね。





ちなみに車山頂上は車山高原SKYPARKからリフトを経由して山頂まで行くことも可能です。

車山肩から山頂までハイキング


今回は車山肩駐車場から徒歩で山頂へ。

マップによると山頂まで1.9km40分ほどの道のり。

ビーナスラインのなだらかな山肌からは想像もつかない石がごろごろと露出したなかなか歩きにくい道が続きます。(·_·;





しっかりと踏面を選んでいかないと捻挫しそうな不安定な足場ですね。

おかげで余計な雑念が消えて歩くことに集中できます。

車山肩駐車場から山頂へ登っていくにつれて次第に周囲の音が少なくなり、やがて無音の世界に突入します。

眼下に広がる広大な草原と相まって、アンドリューワイエスのクリスチーナの世界を彷彿とさせます。




このような岩肌を登っていくこと40分、ようやく目標の丸いレーダードームが見えました。





モノクロ世界





おそらく訪れた時間帯や天候によって、この場所の印象は全く違ったものになるでしょう。

この日は山頂付近に雲がかかり石と霧がどこまでも広がるグレーの景色。

石を積んだ風景が、五重塔が並ぶ仏教の世界。まるで三途の川、賽の河原のようです。





このモノクロの世界はこの現世における最果ての場所のようでした。|д゚)

驚くことに標高1900m以上のこの周辺から、縄文時代よりももっと前の土器が出土しているそうです。





自然と共存してきた太古の人々の生活には、祈りという行為が根付いてきました。( -人-)

そして実際に近年の量子論は、思考(祈り)は現実化することを解明しつつあります。

物事を思考している時点で、すでにコンマ何秒かのタイムラグがあるそうです。思考のトリガーは考え始める前から発動していると。
この原因は、直感を司る右脳から思考を司る左脳へと伝達されているからだそうです。

いくら左脳で思考をこねくり回していても、自然の中でダイレクトに五感を通した直感力にはかなわないということですね。(=゚ω゚)





じゃあ日々浮かんでくる思考って誰のものなのか?(((( ;゚Д゚)))

また、脳は五感フィルターを通して情報を処理する役割であって、センサーではない。そのセンサー役をしているのが肚(はら)。胃腸は神経が張り巡らされていて第二の脳とも云われます。(最近は第一の脳とも云われ始めてます)

日本語にも古くから、肚落ち、肚を割って話す、肚を決めるといった言葉があるように、肚を重要視していたことが伺いしれます。

なぜ数千年前の知恵と最先端の科学の理論が繋がってくるのか・・・とても不思議です。( `·ω·)

天空の鳥居、車山神社





こんなことを考えつつ、天空に鳥居が立つ車山神社へ参拝。┏○ペコリ
この日は天空感はありませんでしたが、晴れていればこんな景色が見られるそうです。



ぶらりうぉーかー様より引用


御祭神は建御名方神大山津見神の国津神の二柱。自分の氏神様も同一神とされる大山祇命なので、個人的にゆかりの地とも言えそうです。

日本神話において重要な出来事、国譲りによって建御名方神がこの諏訪地方に鎮座しました。

古事記に登場する「国譲り」とは穏やかな表現ですが、天津神が国津神をその土地から追い出す話とも解釈できます・・・

ちなみに古事記には大山津見神。日本書紀には大山祇命。と表記されているそうです。
これは編纂目的が違う(国内、海外向け)ためらしいのですが、なぜ車山神社は大山津見神の表記なのか・・・( ˘ω˘ ).。oO

これは出雲系(国津神)の人々の声無き抵抗のような・・・気がします!爆(素人考察)だとすると実際にあった出来事・・・ってコト!?(ハチワレ風)

いずれにしても天津神、国津神みんなで共存してきた結果、美しい自然に溢れた日本列島がある。感謝ですね。





下りでは少し晴れてきました。ビーナスラインのS字カーブが綺麗に見えます。
ニッコウキスゲは季節的に遅かったようです。








車山肩駐車場まで戻って、こちらはビーナスの丘





白樺林の箱庭、白樺平へ

つづいて美ヶ原高原へ。




前回(4年前)は閉鎖されていた白樺平がある奥美ヶ原方面へ。





白樺林の箱庭っぽくてここは好きな場所。ヽ(^。^)ノ久しぶりでしたが変わってなくて安心しました。








意外とみんなスルーしていく・・・





ソフトクリームが・・・

美ヶ原から再び霧ヶ峰へ戻り、道の駅「霧の駅」へ。目的はここの売店にある生牛乳ソフトクリーム。
到着すると、あのランドマーク建物が見当たらない(・_・?)まさかの解体されて更地になっていました・・・(涙

すぐ横の建物に新たにお土産屋さんが入っており、その売店で生乳ソフトクリームが販売されていたので期待を持ちつつ購入。








おいしいことは間違いないのですがまず見た目で違います。そもそも色と形が違う・・・そして味・・・これも当時のさっぱりとした甘さではない、ずっしりと重いので、このソフトではないと判断。

こちら↓が昔販売されていた生牛乳ソフト。


もう無くなってしまったのか・・・λ............トボトボ

絶望しつつ帰宅後に調べてみると・・・

なんと!諏訪市内であのソフトクリームが引き続き販売されているようです!

場所はアーク諏訪内の2階





そうそう!この真っ白な色にこの縦長シルエットですよ。

公式X(旧Twitter)も発見!
霧の駅アーク諏訪店

これは行かねば!
謎多き諏訪大社への参拝と含めて次回のお楽しみとなりましたー。
Posted at 2024/08/23 16:10:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記
2024年07月08日 イイね!

【奈良&伊勢】八百万の神々を巡るドライブ

【奈良&伊勢】八百万の神々を巡るドライブ1年半以上ぶりのブログ更新です(笑

7/5-6にかけて奈良と伊勢に行ったドライブ記録を。

今回のテーマは日本神話と日本建国の聖地を巡る旅。というと大げさですが(笑

辰年という事もあって龍神様の神域にお邪魔しつつ、八百万の神々が祀られる神社を参拝してきました。

それではどーぞ!

道の駅『針テラス』で仮眠

出発は7/4夜。新東名ー伊勢湾岸ー東名阪ー名阪国道を走って、道の駅『針テラス』で車中泊。日の出近くまで仮眠します。

久しぶりの深夜の高速道。PA、SAともに大型トラックが溢れかえっているのは時代のせい?ネット通販の普及で物流がオーバーキル状態なのでしょうか(汗

明るくなってきたので針テラスを4:00頃出発。

まずは龍王ヶ淵を目指します。

神秘的な龍王ヶ淵へ

道のりは民家の真横を通る極狭の道をしばらく走ります。
対向車が来たら離合は困難でしょう。なので早朝をお勧めします。

早朝4:30過ぎ到着。もちろん誰もいません。
龍王ヶ淵は古くから龍神が住むと言われる神域とされてきたそうです。





静寂の中に響きわたる虫の鳴き声。

森と水を湛え静かに佇む龍王ヶ淵。誰の目にも触れずとも、この風景を維持し続ける自然に恐ろしいほどの畏怖と畏敬を感じます。





桟橋を歩いていると森の中から、不気味な鳴き声が定期的に響きわたります。

何と形容したらよいか・・・ヘラジカやバッファローを彷彿とさせる低く振動するような声。

でもそんな動物が生息している訳ないし・・・一瞬クマも過ぎりすくみ上りました。

正体不明のものと対峙する恐怖・・・

大自然の中の人間とはいかに無力かを身を持って体験した場所でした。



その後調べてみたところその鳴き声の正体が判明しました。

ただあの時間、あの雰囲気、あの状況でしか感じることのできない体験をしたのであえてネタバレしないでおきます。(危険な生物ではありませんでした)

龍王ヶ淵を去るころ日が出てきました。



龍神が棲む場所へ

室生湖沿いの赤い橋、室生橋からおよそ10分くらい歩きます。山道を歩いていくと鳥居が出現します。

ここが龍鎮神社です。



御祭神は高龗神(たかおかみのかみ)で水を司る水神様です。

渓流を挟んだ対岸に鳥居を構えています。



ここにたどり着く途中で気づくと思うのですが、巨石が多く露出していて、その岩肌には苔や植物が這い、水が滴っている様子を見ることができます。



このポタポタと落ちる一滴一滴がやがて水溜まりになり下流へと流れだす。

小さな渓流から始まり河川となり最終的に海に流れ込み大海原を形成します。
そして海から生じる水蒸気が再び山にぶつかって雨を降らす。

水は生活において欠かせません。この大きな自然の循環の中で僕たちは生かされている。と考えると自然と感謝の気持ちが沸いてきますね。



続いては室生龍穴神社。神社の背後にある岩窟に龍王が棲む「龍穴」があります。





今年は辰年であり龍神様が動く年だそうです。実際に元旦に能登半島で大きな地震が発生しました。まさに象徴的な自然現象でした。

スピリチュアル界では、日本人は金龍の子孫だと言われています。金龍は全ての龍族のボスであり、引っ張っていく使命があるそうです。



元々大地の化身である龍・・・自然を司る神様だとすると、自然から切り離された生活を送る現代人に憑く龍神は戸惑っているかもしれませんね。

祈ることを忘れてしまった忙しい現代人に、龍の存在を知らしめようとしているのでしょうか。



吉祥龍穴へ

その龍王が棲む龍穴を望める吉祥龍穴へ。



少し急な階段を数分下ると見えてきます。

平癒祈願のためこの龍穴で祈祷(きとう)が行われたと言われています。
恐らく超パワースポット!



こちらは吉祥龍穴までの道のりの途中にある天岩戸。



二つに割ったような巨石が祀られています。



初代天皇を祀る橿原神宮

次の目的地は初代天皇である、神武天皇が御祭神の橿原神宮
9時前に到着しましたが雲一つなくすでに灼熱状態(笑



境内も広大で歩いているだけで汗だくなります。

神武天皇が即位したことで日本建国が成立。以降現在まで2684年間途切れずに続く皇室は日本のアイデンティティとも言えそうです。





朝から歩きどおしで体力がゼロになったのでここで終了・・・早めにホテルにチェックインして休むことにしました。

なんとなく引き出しを開けたら古事記が入っていたので読みながら1日を終えました。



翌日

伊勢神宮へ

昨日の流れで神武天皇から連綿と続く皇室の皇祖神が祀られる伊勢神宮へ。
日本の総氏神様でもあるアマテラス様にご挨拶。

その前に、まずは伊勢神宮外宮を参拝します。



外宮には天照大御神の食事を司る神様、豊受大神が祀られています。

日本の歴史に興味が無かった以前は内宮のみ参拝していましたが、今回は違います(笑

ところで伊勢神宮はなぜ外宮と内宮に分かれているのでしょうか。

諸説ある日本神話ですが、伊勢神宮の外宮は土着系、内宮は渡来系の神様が祀られており、もともと別々の神社であったという説。これらがうまく融合することで現在の形になったという説があります。

故に内宮に祀られる天照大御神、つまり皇室は渡来系である。という説が独り歩きすることで拒絶する人がいます。

しかしながら日本は古来から緩やかに大陸と混ざり合ってできた(文化も人も)ことは、現代の日本人も、外来のものを上手く取り入れて日本流に変えてしまう能力に長けていることからも伺い知ることができます。



例えば6世紀に渡来した仏教は、元々あった神道と混ざり合うように日本の独特の信仰へと至った神仏習合。

クリスマスと正月をほぼ同時に祝うのも日本独特ですよね。(ほかの国だったら宗教が違うので戦争になるはず)

身近な例だと、うどんにカレーをかけたり・・・ラーメンがいつの間にか日本の国民食になってたり・・・

このように日本は外来のものを取り入れる能力に長けているようですね。

いずれにしても現在の皇室と繋がる日本の総氏神様である天照大御神、それを支える豊受大神、伊勢神宮が天皇陛下が日本の安寧と国民の健康を祈られる場所だと考えると、僕たち日本国民は外宮、内宮双方に感謝の気持ちを伝えるのは自然の流れだと思い、外宮も参拝することにしたのです。





続いて内宮へ。





参道の脇に目を向けると直径1mは優に超える巨木がたくさんあって、太古の原生林を彷彿とさせます。



ちなみに天照大御神には毎日2回食事が上げられるそうですが、過去1500年間、1日も途絶えたことが無いそうです。
すごいとしか形容できないです(笑

内宮の御正宮に到着しました。



こちらでは自然への感謝と天皇陛下のご健康、皇室の継続を祈りました。

御正宮の正面にあるのは食事を用意する場所だそうです。



特別な日はここで食事を用意して御正宮へと運ぶそうです。その為目隠しの壁が設けられています。

その際、外宮の豊受大神がここに来られて食事の最終確認を行うそう。

この時、食事を準備する神職は、前に天照大御神、後ろに豊受大神というサンドイッチ状態となりますが、この時だけ例外的に神様に背を向けることが許されるそうです。(面白いですよね)

荒御魂が祀られる別宮では、自分が取り組んでいること、これからどうありたいかとお伝えしてきました。
人との良い縁が繋がると良いなと思います。





伊勢神宮を後にして次に訪れたのが車で15分ほどの場所にある天の岩戸神社





天照大御神が弟・須佐之男命の悪事を戒めるために隠れたという伝説がある洞窟があり、岩穴から湧き出る清水は「名水百選」に認定されています。



ちょっと面白い仮説がこちら↓

縄文人がシルクロードを渡り、各地で子孫を残しながらエジプトまで到着した。メソポタミア地域にある最古の文明シュメールを作ったのは縄文人である説。

その縄文人の子孫がUターンする形で、各地で醸成した文化や思想を日本に持ち『帰った』。
だから日本は外来を受け入れる許容性を持ち、全てをごった煮にできる文化がある。と。

いわゆる『日ユ同祖論』って言っちゃうから問題になるんですけど、

外宮が土着『スサノオ』で内宮が渡来『アマテラス』だとすると、もしかするとスサノオとアマテラスは一万年くらいの時間差を伴って同一神なのかもしれませんね。

神話ではスサノオは初国を大海原にしろしめした。この意味を大陸へ渡ったことだと仮定すると、やっぱり縄文系です。スサノオ信仰はエジプトまでいってUターンする過程で色々な文化や信仰に分岐していき、最終的に隣の中国の秦氏として日本へ舞い戻った。そのタイミングで名前がアマテラスに入れ替わった。のでしょうか。

この二柱が神話上、兄弟なのはそういうことなのかも。って思ったり・・・

事実、元々外宮はスサノオ信仰だったそうです。(石碑に刻まれているらしい)

神話と仮説、実際に神社や遺物として残る事実と照らし合わせていくと、面白いですし、神話がただの空想の話とは思えなくなってきますね。



ここから300mほど歩いたところに洞穴があるので向かいます。

一人分の整備されていない山道をしばらく歩きます。この道であってるのか不安になってきますが、無事到着しました。





洞穴をのぞき込んでみると、冷たい風が吹き出てきて気持ちいいです。

18度設定の冷房を強で浴びてる感じ。まさにフリーエネルギーの天然エアコンです。

自然が作り出すシステムには驚かされます。というか人工物が基本的に自然が作るシステムの模倣なんですよね。



以上、自然への畏敬を感じる旅となりました。

追記

今回のドライブ旅の翌日、すごい景色を見ることになりました。

仕事の帰り道、ふと空を見上げると・・・龍の顔にしか見えない雲が!

これも龍神様の聖地を巡ったおかげでしょうか?

Posted at 2024/07/08 22:36:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ | 日記

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「【日本神話超訳ドライブ】瀬織津姫とニギハヤヒの謎-国譲りと大化の改新 http://cvw.jp/b/467216/48356184/
何シテル?   04/06 22:39
ムーヴ→フェアレディZ→アクセラスポーツ→シロッコ→シビックハッチバック(現在) 中古ですが自分のお金で買ったクルマです。 末長く大切に乗って行きたいで...

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