第13回 西会津ふるさとなつかしcarショー 2016 9.25 その5
投稿日 : 2016年10月02日
1
三菱・コルトギャランAⅡ
従来のコルト1200/1500とは全く異なるコンセプトの新しい4ドアセダンとしてデビューしたクルマで、昭和46年にサザンクロスラリーに出場し、総合3、4位という成績を上げ、翌年にはサザンクロスラリーを総合優勝するという快挙を成し遂げています!
このクルマは、三菱を「ラリーの三菱」といわれる礎を築いたクルマといえるのかもしれません!
2
三菱・コルトギャラン・FTOクーペ
ギャランGTOの弟分にあたるクルマで、成り立ちの多くをギャランシリーズと共用しており、エンジンフード(ボンネット)はコルトギャランと、ドアはコルトギャランハードトップ、ギャランGTO、2代目ギャランハードトップとの共通部品で、足回りやパワートレーンなどのメカニズムもコルトギャランからの流用でした。
昭和50年に生産を終了し、3年強と短命に終わりました。平成6年に再びFTOの名が復活するまでに19年の歳月がかかりました!
ちなみにFTOとは、イタリア語で「Fresco Turismo Omologate(フレスコ ツーリズモ オモロガート)」 日本語に訳すと「公認された新鮮なフィーリングを持つ車」です!
3
三菱・ギャランΛ 2000GSR
昭和51年にギャランGTOの後継車としてギャラン店で発売されいました。姉妹車にカープラザ店から発売されたエテルナΛがあり、違いはバッジやグリル、灯火類のデザイン違いな程度でした。
ギャランΛの由来は、ギャランがフランス語で「勇ましい、華麗な」、Λ(ラムダ)は英語のLに相当し、、「ラグジュアリーカー」としての意味合いを持っていました。
4
三菱・ランサー 1600GSR
初代ランサーは昭和48年2月に発売が開始され、当初は4ドアセダンと2ドアセダンの2種類のみでした。
写真のGSRは、同年9月に追加されたホットモデルで、三国ソレックス製ツインキャブを用いた1600cc(SOHC・サターン・4G32)エンジンを搭載し、軽量ボディと相成って侮れない性能を見せつけました!
中でもラリーでの活躍が目覚ましく、昭和48年のデビュー戦「第8回サザンクロスラリー」で1~4位の驚異的な戦績を挙げ、早々にラリーの世界で成功し、昭和51年までの4年間で6回の総合優勝を挙げ、昭和55年のサファリラリーのクラス優勝を含めば、国際ラリーで通算7回の優勝を飾り、のちのランサー・エボリューションへと繋がるのでした!
5
三菱・ランサーEX・ターボ
歴代最後のFRランサーとしてデビューし、セリカやスカイラインと互角に渡り合えるセダンとして、人気を博しました!
昭和57年8月、せかラリー選手権(WRC)1000湖ラリーにて、、ランサーEX2000ターボラリーカーがペンティ・アイリッカラのドライブにより3位入賞、ランサーEX2000ターボラリーカーは電子制御燃料噴射装置を初めてWRCに持ち込んだ車でしたが、アウディ・クワトロの4WDの威力を痛感し、FRでのラリー参戦はこのランサーが最後となっています。
6
三菱・ランサー・セレステ
昭和50年にギャランFTOの後継として登場しましたが、車名からも分かるようにランサーのクーペヴァージョンという位置付けでした。
「セレステ」の名称で進められていたが、第一次オイルショックの影響で所轄官庁が「新型車」の追加を快く思わず、苦肉の策としてランサーの一バージョンという位置づけの車名にしたという説もあるそうです。
車名の「CELESTE」はラテン語で「青い空」という意味で、「機能と美を調和させた車」という意味を込めて命名されました。
7
三菱・デボネア
昭和39年に生産を開始してから、昭和61年のフルモデルチェンジまでの22年間、基本設計・デザインの変更無しに生産され続けたことから、製造期間の後期以降は古色蒼然とした現行モデルであることを形容した「走るシーラカンス」というあだ名で呼ばれていました。
写真のデボネアは、昭和45年に大幅なマイナーチェンジが行われた際に登場したA31型で、当初の直列6気筒のKE64型1,991ccOHVから、新開発の6G34直列6気筒1,994ccSOHC(サターン6エンジン)に変更されています。
8
三菱・ミニカ360
昭和36年に登場した三菱・360をベースに、ほぼ共通のドライブトレーンやプレスを用い、車体後部構造とグリルのデザインを変えることで、4人乗り軽乗用車に仕立てられたものでした。
堅実で信頼性は高いが安易で凡庸な成り立ちであり、デザインも武骨なものでありました。
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