日産M10プレーリー2000 4WD JW-L「ノルディカ・バージョン」
投稿日 : 2013年05月02日
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マツダ製になってしまったラフェスタの先祖であるプレーリーは昭和57年8月に登場し当時のライバルは半年遅い昭和58年2月に発売された三菱シャリオのみでした。
今となっては日産M10プレーリーは、三菱シャリオと並んで日本的ミニバンの先駆者的なクルマだと思います。
特に初代のM10プレーリーはBピラーレスで両側スライドドアを採用した画期的なクルマでした。ただ、時期尚早だったのかボディの剛性不足やエンジンのパワー不足もあって販売面では苦戦していたようです。
北米でも「スタンザ・ワゴン」名で販売されていました。
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後期モデルには、こんな限定車もありました。
スキーメーカー「ノルディカ」とのコラボ・モデル、
日産プレーリー2000 4WD JW-L「ノルディカ・バージョン」がそれです。なんて長い車名なんでしょう!(笑
昭和62年9月に全国限定300台で発売されました。
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当時のプレーリー4WDは上級のJW-Gと普及版のJW-Lの2グレードでCA20Sエンジンに5速MTと4速AT車が用意されていました。
「ノルディカ・バージョン」は
普及版JW-Lをベースに、ブラック&グレーの専用2トーンカラーにストライプ&ステッカー、大型ルーフキャリア、イエローバルブヘッドライト、14インチアルミホイール、シビエ製フォグランプ、専用シートに2列シートにはヘッドレストが装着されていました。
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カタログコピーの
「不必要なヒトは買わないで下さい。
7人乗れて4WD、しかも、ノルディカ」は裏を返すと、7人も乗れる4WD車でノルディカ仕様車なら買わない理由がないでしょう。という日産の自信の表れでだったのでしょうね。
はたして、全国限定300台が多かったのか少なかったのか?ユーザーの反響が気になります。
ちなみに、このプレーリーの4WDはパートタイム式で2WD⇒4WDの切り替えはプッシュボタンで行うのですが、MT車はシフトノブ先端、AT車はシフトノブの通常だとOD切り替えのスイッチが4WD切り替えになっていて、OD切り替えスイッチは別だてで設置されていました。
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