こんばんは。
すでにご存知の方もいらっしゃると思われますが、
先週19日に片山豊 氏が心不全の為、
都内の病院にて亡くなられました。
=Yahooニュースより=
日産自動車で米現地法人初代社長を務め、人気スポーツ車フェアレディZの生みの親として知られる片山豊(かたやま・ゆたか)氏が19日午前、心不全のため東京都内の病院で死去した。
日産好きや車に詳しい人なら
「片山 豊」と言うよりも
「Mr.K」や
「フェアレディZの父」と言ったほうが馴染みがあると思われます。
片山豊さん
は
1909年9月15日
静岡県周智郡気多村に出生
(現:浜松市天竜区春野町気田)
湘南高等学校を卒業後、慶應義塾大学を経て
1935年に
日産自動車 入社しました。
入社当時は、こんな感じでしたらしいですよ。
第1章「クルマ会社をはじめる?そりゃ、おもしろい!」
同氏が日産に入社した頃の日産車のラインナップといえば・・・
●ダットサン 17型セダン
●ダットサン 17T型トラック
●ダットサン 17型ロードスター
この頃は日産も創立してから2年目、そして戦時中。
片山さんも入社してからは国内で宣伝を担当した後に、満州国に赴任します。
1945年に終戦を迎えると日本に戻ってき再び宣伝を担当されました。
1954年 国内の自動車メーカーが一同に集まり、最新の技術やデザインについての情報を紹介する日本の見本市を開催しようと企画する。
そして始まったのが
「全日本自動車ショウ」(現:東京モーターショー)
を作り上げたのも片山さんでした。
第2章「日本初のモーターショーを立ち上げよう」

1960年 当時50歳だった片山さんにアメリカ勤務を命じられます。
片山さんは、中古車販売店を一軒ずつ巡り、小型車ダットサンを置いてもらうことからスタート。これに対し日産本社の反対勢力は、米国での拠点をニューヨークに置く計画を進め、圧力をかけますが、北米の自動車事情に精通する片山さんの前に失敗に終わります。
おかげで片山さんは米国日産の初代社長となり、日本車の機能性と、日本人の特性を生かした細やかなサービスで、日産車を米国に浸透させました。
この時から社員に「Mr.K」と呼ばれはじめ、慕われてました。
そんな北米日産時代に誕生したのが・・・
●ブルーバード (DATSUN 510)
●ダットサントラック (DATSUN TRUCK)
●フェアレディ2000 (DATSUN 2000)
●フェアレディZ (DATSUN 240Z)
日産を語る上で欠かせない名車が誕生したのも
片山さんのあってのおかげです!
そして現在も
●シルフィ (セントラ)これを基軸にアルティマ・マキシマも!
●タイタン
●370Zニスモ ロードスター
名車たちのDNAは確実に引き継がれております!
と言ったところで簡素ながらも同氏のエピソードを紹介しました。
他にもまだまだエピソードはありますが今回は縮小します。
最後にこう言うのもおかしいと思いますが、

私にフェアレディZをはじめとする「夢の日産車」をあたえてくださり
ありがとう Mr.K !
謹んでお悔やみ申し上げます。
第3章「片山氏の考える“人とクルマの素敵な関係”」
では、おやすみ!
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ワンマンショー(独り言) | 日記
Posted at
2015/02/23 02:23:44