
父の大動脈弁を人工弁に置き換える手術が1999年の春にありました。経過は順調で身体障害者1級となってからも車であちこちと出かける日々が続き、2000年のお盆にお墓参りをした後、たまたま寄ったペットショップのゲージの中で、小ちゃなトラが愛くるしい目で我々を見つめて、戯れたり、元気に跳ねたりして・・。とても可愛かったので、父は1日考えてから翌日またペットショップに・・・。
「まだペットショップにいたら買うぞ」と意気込んで入ったら、いたんです。トラが可愛い笑顔?で我々を迎えてくれました。確か10万円のところを9万円で購入したと思います。小さな段ボールの箱に入れられて、トラは我が家の家族になりました。76歳で体力の落ちた父の相棒としてはかなりヤンチャで手に余るようなこともあったと思いますが、いじめる人が誰もいないこともあり、とても人懐っこくて、遊び好きな猫でした。
ところが、2004年の春に手術後も順調だった父の心臓の状態が悪化して4月に入院し、5月中旬に他界しました。
ほんとに突然でした。私は当時は300kmも離れたところに住んでいて、父が亡くなった後の、認知症になって、食事も自分で作れなくなっていた母と心の病で自宅療養している弟、そして、トラの世話をどうしたらいいのか、途方に暮れておりました。
介護保険のことは知っていたので、父の葬儀や関係書類の提出などで市役所に通っていたら、介護サービスを行っている事業所の一覧があり、一番実家に近い事業所にすぐ連絡をとって自宅に来てもらい、お世話になる手続きをしました。トラは弟に世話をするように説得して、必要な道具などを買いそろえました。
そのころ、トラは部屋のあちこちでマーキングするようになっていたため、父の部屋の周辺はとても臭かった。
それで、動物病院で去勢手術をしてもらいました。すると、トラはマーキングもしなくなり、とてもおとなしくなりました。なので、夜はゲージに入れておりましたが、その日の夜から解放してあげました。すると、こんどは母の布団の上で寝るようになり、母の良き相棒として、また、トラは母の良き話相手になってくれました。
2005年春から、私は運良く実家から職場に通えるようになり、家族は母と弟、トラ、私の4人の生活が始まりました。
縁があって、今の妻と2005年の冬に出会い、2006年の秋には結婚、2007年4月には娘が誕生し、2008年10月に息子が誕生と慌ただしい毎日が続きました。その娘は4歳となり幼稚園に通っており、息子は2歳の割には小柄ですがとてもワンパクでワガママ放題の日々を過ごしております。
私は子供達と外出することが多くなり、トラと遊んであげることもほとんどなくて、毛の抜ける季節にはブラシをしたり、爪を切ったりするくらいの世話しかしておらず、2011年、11歳になり、歩みもかなり遅くなり、腎臓が肥大して苦しんでいるトラに気づいてあげられなかった。トラ、ごめんね。
でも、妻と二人でトラの最期を看取りました。少し苦しんでいるトラを見て、「もう、無理しなくていいんだよ。」という妻の言葉に諭されたようにトラは静かに息を引き取りました。
翌日の土曜日は、仕事もあったし、夕方にはフィットシャトルの納車を予定していたので、仏間にトラの亡がらを安置して、氷などで体を冷やしつつ、日曜日にトラのお葬式をすることとし、ペット霊園に予約をいれました。
このような経過でトラは、猫としてはとても立派なお葬式をしてあげることができました。火葬する際に、トラの周りをお花でいっぱいにしてあげました。皆で写真もとってもらいました。夏までには合祀する記念塔が建つそうなので、お盆には、ペット霊園に家族で行こうと思っております。
トラよ、いままでありがとうね。安らかに眠ってくださいね・・・。
Posted at 2011/06/29 01:48:01 | |
トラックバック(0) |
ペット | 日記