『被災地に医薬品を 米軍動かした女性医師』
以下、記事転載
東日本大震災では米軍による支援活動「トモダチ作戦」に助けられたが、その先駆けは被災地への医薬品の輸送だった。東京・本駒込の日本医師会に医薬品が集まるめどが立ったのに、輸送手段が見つからない。厳しい局面で機転を利かし、米軍に直接交渉したのは、米ハーバード大学の人道支援組織の一員として派遣された医師、有井麻矢(ありい・まや)さん(31)だった。
■「トモダチ作戦」先駆け
震災発生から1週間もたたない昨年3月16日。被災地から「医薬品が足りない」との声が日本医師会に相次いでいた。製薬各社の協力で確保できたが、問題は膨大な量をどう迅速に運ぶかだった。期待した航空自衛隊から色よい回答を得られず、落胆が広がった。
「米軍に協力要請できるかもしれません」。声を上げたのは、たまたま居合わせた有井さんだった。
有井さんは神奈川県出身。慶応大医学部を卒業後、慶応大病院などに勤務。国際救急が専門だ。当時、米エール大学に所属していた有井さんは、人道支援組織「ハーバード・ヒュマニタリアン・イニシアチブ」のメンバーとして15日に一時帰国したばかりだった。
初対面の有井さんの提案を、日本医師会幹部は即座に受け入れた。有井さんは「絶対に成功させよう」と腹をくくった。
米国を発つ前にエール、ハーバード両大学の同僚らから紹介された人脈を頼った。18日未明、米国大使館から返事が来た。有井さんと横田基地との交渉の始まりだった。米軍機による輸送は19日と決まった。
■逆に「アリガトウ」
「アリガトウ」。連絡を取り合っていた米軍担当者からの言葉に有井さんは戸惑った。自分たちが依頼しているのに、なぜ反対に感謝されるのか。医薬品輸送は横田基地からの支援としては初めての大型作戦だった。米軍も支援の場を求めていたのだと感じた。
アクシデントが襲ったのは輸送前日だった。横田基地からのメールには「USAID(米国際開発局)が最終的に承認しなければ、われわれは動けない」とあった。輸送要請の申請書を記入してほしいという。寝耳に水だ。急ぐしかない。申請後、1時間でゴーサインが出た。
出発当日の朝、米軍と最終連絡を取っていた有井さんに母親から電話が入った。祖母が亡くなった知らせだった。輸送機には英語が堪能な有井さんが1人同乗することになっている。「しっかりしなければ」。5分ほど一人トイレで泣いた。
集まった医薬品8.5トンは、横田基地までパトカーが先導した。横田基地でも特別扱いだった。ゲートはノーチェック。荷降ろし、梱包(こんぽう)、輸送機に積み込む作業にはさまざまな部署から何十人もが駆け付けた。
「私たちはバラク・オバマ大統領に日本の人道支援のためにと集められたチーム。人命を助ける作戦に参加できてよかったです」と口々に語った。米軍兵士の表情は誇りに満ちていた。
■自衛隊と連携
輸送機は岩手県の花巻空港に無事降り立った。しかし、次に向かった仙台空港は闇に包まれ着陸できない。管制塔とのやりとりが緊迫感を増す中、誘導の明かりがともった。自衛隊だった。自衛隊は降ろされた医薬品を被災地に陸送する任務も引き受けた。日米の見事な連携だった。
数日後、有井さんの姿は宮城県気仙沼市の被災地にあった。そこには医薬品だけでなく、食料や水、トイレが足りず、プライバシーが確保できていない避難所が広がっていた。
「災害医療では、医療や薬だけでなく、公衆衛生を含めて現地ニーズを迅速に把握し、対応できる協力体制が必要。知識とトレーニング、そして行政との連携が重要です」
現在はハーバード大救急科に所属する有井さん。その目は次を見据えていた。
『命かけた防災無線』等と共に、多くの人の命を救った出来事を忘れてはならないですよね
Posted at 2012/03/18 04:56:11 | |
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