『<東日本大震災>食物アレルギー対応に遅れ…66自治体調査』
東日本大震災の被災地で、食物アレルギーに対応した食料の備蓄や受け入れ態勢が整備されていないため、子どもを含む患者らが
命の危険にさらされるケースが相次いでいる
岩手県陸前高田市で母親(45)と2人で暮らす女子高校生(17)は小麦と貝類にアレルギーがあり、「これしか食べるものがない」と無理にパンを食べたところ、全身に皮膚炎の症状が出た。医師に薬をもらったが、かゆくて寝られず、シーツは血だらけに。別の避難所の親戚に回ってきたおにぎりを分けてもらうなどして食いつないだ
ようやく状況が好転したのは先月下旬。避難所に「アレルギーの人、いませんか」という声が響いた。患者団体「盛岡アレルギーっ子サークル・ミルク」(盛岡市、藤田美枝代表)のメンバーが食品を届けに来たのだ。現在は仮設住宅に移り、症状も安定した。母親は「避難所では『これは食べられない』と言える雰囲気ではなかった。わがままととられるのも怖かった。
行政にもアレルギー対応食品への認識があれば助かるのに」と嘆いた
同県釜石市の女性は、ダウン症の長女(7)と自閉症の長男(5)がおり、長男は小麦と卵にアレルギーがある
2人の子を抱えて疲労が極限に達したころ、知人から同団体の活動を聞き、対応食の援助を受けた。女性は
「行政はあてにならない」とあきらめの表情だった
食物アレルギーは、発疹やぜんそく発作などの症状が表れ、
重篤な場合は死に至ることもある
にも関わらず・・・
『<東日本大震災>食物アレルギーの子、被災地からSOS』
「盛岡アレルギーっ子サークル・ミルク」(盛岡市)の藤田美枝代表(27)は、各地の患者会から集まった支援物資を岩手県の窓口に届けたり、県の窓口あてに送ってもらったりしたが、10日後に県の物資集積所を訪ねると、支援物資は積まれたままだった。
「ニーズがない」との理由で配送されていなかったのだ。藤田さんが「食物アレルギーの患者は一定の割合でいる」と説明すると、県の担当者は「把握するだけの余裕がない」と答えたという
アレルギー患者への支援活動を行う「エコ・ライス新潟」(新潟県長岡市)の豊永有マネジャーは
「アレルギー対応食の備蓄があった名古屋市から仙台市に送られたアレルギー対応食が、一般の支援物資に紛れて行方不明になった」と指摘する
確かに混乱の中、体制も不十分かもしれませんが、こういう事には行政も目を向けて欲しいですよね
Posted at 2011/04/25 06:09:06 | |
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