『FEATURE-Motor racing-After 'Rush', F1 safety hits the screens』
秘蔵映像
「X-メン」や「イングロリアス・バスターズ」などのスターで、ドイツ系アイルランド人の俳優マイケル・ファスベンダーがナレーションを務め、ポール・クラウダーが監督した「1」は、1950年代の無頓着さから、大きなクラッシュをしてもドライバーが歩いて立ち去れるような近代までのF1の進歩を描いている。
ジャッキ・スチュワート、スターリング・モス、マリオ・アンドレッティ、ジャッキー・イクス、ニキ・ラウダ、ナイジェル・マンセル、さらにはルイス・ハミルトン、セバスチャン・ベッテル、ミハエル・シューマッハなどのインタビューも含まれている。
F1の商業的最高権威である83歳のバーニー・エクレストン、FIAの元会長マックス・モズレーも、安全性向上の戦いの中心的人物として、そして友人を失ってきた人間として意見を述べている。
若い観客は歴史に詳しくないかもしれないが、熱心なF1ファンには秘蔵映像が魅力である。
スコットランドの田舎にある自宅でくつろぐジム・クラークや、1968年ホッケンハイムの小さいスピーカーで彼の死が発表され、旗が下げられとき、グランドスタンドの観客のショックを受けた混乱した顔を見ることができる。
有名な神経外科医でF1ドクターだったシド・ワトキンス(2012年逝去)が、セナとの最後の会話を思い出すと、彼の頬を涙が伝った。
ただひとり死後にワールドチャンピオンになったオーストリア人のヨッヘン・リントは、1970年モンツァで亡くなる少し前、妻にほしいものは何かと尋ねた。
彼女は「あたながレーシングを辞めることよ」と答えた。
そしてフランソワ・セベール。カメラは、自分のマシンに乗ったドライバーがすでに何人も死んでいるロータスのチーム代表コリン・チャップマンを追いかける。チャップマンは10月6日の事故に関する情報を求めて、心配そうにピットレーンを歩き回っている。
「セベール? 何と言うことだ」 彼はため息をつく。
スチュワートは翌日出走せず、F1に二度と参戦しなかった。彼はすでにチャンピオンとして引退することを決めていた。その計画はセベールに伝えられていなかったが、セベールがティレルのナンバー1を引き継ぐはずだった。
セベールを弟のように思っていたスチュワートは、自伝「Winning is not enough」のなかで「彼の母親が亡くなるまで、彼の命日には毎年、彼女と彼の墓に花を贈るように手配した」と書いている。
3度のチャンピオンはそれ以来、花を贈り続けている。
宙を跳ぶクラッシュ
他にも多くのドライバーが追悼されている。有望な若き英国人ロジャー・ウィリアムソンは、1973年オランダのザントフォールトのクラッシュで火に包まれて死亡した。
上下さかさまになって炎に包まれたマシンにドライバーが閉じ込められ、レースが続く中デイヴィッド・パーレイが彼を助けようとして無駄に終わる映像は、40年後の今でも胸を苦しくさせる。観客には何も隠されていない。
1994年のセナの死以来、安全性がいかに大きく変わったかは、1996年メルボルンで、マーティン・ブランドルの乗るジョーダンが宙を跳んで真っ二つになったあと、彼がピットレーンを走って来るオープニング映像で強調されている。
彼は傷ひとつ負わず、スペアのマシンに乗ってリスタートした。
新世代のドライバーが育ち、レーストラックでドライバーが死ぬことがなくなり、「今年は誰の葬式に出なければならないのだろう」と考えながらシーズンを始めることもなくなった。
しかし、今でも自己満足することはできない。2014年は、最後に死亡したドライバー(アイルトン・セナ)の20回忌となる。ジム・クラークが命を落としたのと同じF2に出走していたマックス・モズレーが静かに言うように「人は常に過去につきまとわれている」のだ。
F1の安全に関するドキュメンタリー映画に関する記事を見て不謹慎ながら、安全性が高まったせいでペイドライバーが増えたのでは?と思ったりもしやしたねぇ
Posted at 2014/01/12 20:44:00 | |
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