川越西郵便局
あの頃の未来に、僕らは立っているのかな
2011年06月25日

川越市の郊外、市街地をバイパスする環状道路に面した場所に1993年開設された郵便局。
川越市には川越城址に程近い旧市街にある「川越郵便局」があるが、こちらは敷地も手狭、周辺道路も狭く川越市および周辺市町の郵便物を捌くにはキャパシティが不足していた。
新郵便局建設後も川越郵便局が存続しているため、位置関係から「西」が付加されているが、郵便番号35X/36Xがアサインされた地域の集配を統括する支店となっており実質的にはこちらが川越市の中心的な郵便局である。
「小江戸」とも称される街の郵便局ゆえ、敷地境界の塀が、瓦を戴く漆喰塗り風になっていることが特徴的な程度の郵便局だが、一時期とても重要なミッションを任されていた。
1985年に開催された「つくば万博」で実施されたサービスの一つで「ポストカプセル」というものがあった。来場者が投函した、21世紀に生きる自分・家族・友人に宛てた郵便物を、21世紀の幕開けである2001年1月1日に配達する、というものである。
万博会場に程近い筑波学園郵便局で2000年まで保管されていた郵便物328万通余りは、発送の実務を担当する川越西郵便局に移送され、21世紀最初の年賀状と一緒に配達された。
郵便を受け取った人の中には、つくば万博開催当時の中曽根首相から「未来の総理大臣」宛ての郵便を届けられた森喜朗首相もいた。
多くの人は、送ったことすら忘れていたにしても、16年前の自分や家族からの手紙を受け取って驚き、文面の稚拙さに少し恥らいながらも喜んだに違いない。
だが、率直に喜んだ人ばかりではない。
不幸にして、21世紀を迎えることなく身罷った子や家族から、突然手紙が届いた遺族の気持ちは如何ばかりだったか。
いわゆる「桶川ストーカー殺人事件」で娘を無残に刺殺された両親も、万博当時幼かった亡き娘からの手紙を受け取ったという。
どんな受け止められ方をしたにしろ、届けられた郵便はまだ幸せだったかもしれない。
16年の間に、転居してしまい宛先不明となった「ポストカプセル」の郵便24万通。郵政省(2001年1月5日まで)および郵政事業庁(1月6日から)は、問い合わせ窓口を設置するなどして、受取人に配達できるよう手を尽くしたが、結局23万通が届けられなかった。
ほとんどは投函したこと自体を憶えていなかったか、憶えていたとしても届かなかった場合の問合せ窓口の存在を知らなかったといった事情で不達となったものと想像するが、中には一家が離散してしまったり、事故等で全員死亡して届けられなかった手紙もあったことだろう。
電子メールの時代、メールが届くか否かは直ぐに判明するし、届かなかったところで「あぁ行かなかったか」程度にしか思わない。
それが同じ内容であっても、葉書一通、便箋一葉に記されたものとなると届かなかった際、何か無念を感じてしまうのは私が古い人間だからか。
届けられなかった郵便は、その後規定により処分されたものと思われる。
川越西郵便局を出ること叶わなかった多量の郵便と、同数の差出人・受取人の無念は、一体どこへ行ったのか。どう晴らしてあげればよかったものか。
私は万博には出掛けたが、残念ながら手紙は投函していない。
ただ川越西郵便局の近くを通りかかる度に、万博のポストカプセルのエピソードを思い起こし、考えてしまう。
万博が見せてくれた、あの当時の未来に到達できているのだろうか。
自分自身、あの頃思い描いた理想の将来に、どこまで近づけたのだろうか。
住所: 埼玉県川越市小室22-1
電話 : 049-241-7000
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