まつだい駅
「凶悪なヤマ」を掘り抜いて到達した鉄道
2011年12月05日

上越線六日町(特急列車や一部の普通列車は上越線・上越新幹線の越後湯沢駅まで直通)と、信越本線犀潟駅を短絡する第三セクター・ほくほく線の中ほどにある駅。
鉄道の駅であるだけでなく、「道の駅」も併設されている。鉄道駅と道の駅が同居もしくは隣接しているのは全国的にも珍しく、25箇所(道の駅全体の2.5%ほど)しかない。
私が十日町を訪れたのは、「越後妻有アートトリエンナーレ2009」の折。
妻の仕事に関連してお付き合いのある作家さんの作品を鑑賞し、その後遅めの昼食を食べに道の駅「まつだいふるさと会館」に立ち寄った。
この日の家族の用事は概ねここまで。
しかし私の目的、大切な用事が残っている。というか、まつだい駅に寄ったのは半分以上その目的・用事のためだった。
まつだい駅には「ほくほく線発祥の地」の大きな石碑が建っている。
交換可能な規模の大きな駅とは言え、「発祥の地」とまで言われるのは大きな理由がある。
着工前、旧松代町を通り六日町へ向かう「北越北線ルートと、旧松之山町を経由して越後湯沢へ向かう「北越南線」のルートが壮絶な誘致合戦を繰りひろげ、「南北戦争」と形容されるまでに至っていた。結局、「南線」ルートは地滑り地帯が多いのに加え温泉もあり、多量の熱水を蓄えた地下にトンネルを穿つのは困難と予想されたことから、沿線人口の面で有利な「北線」=現在の「ほくほく線」に一本化された。
鉄道誘致を勝ち取り、建設の陣頭指揮を執る鉄道建設公団(現・鉄道建設運輸施設整備支援機構)松代建設事務所が設置された旧松代町からすれば、高らかに「発祥の地」と宣言したくなる気持ちは解らないでもない。
しかし本当の意味で「発祥の地」となった、いや、ならざるを得なかったエピソードがもう一つある。
まつだい駅の西側で口を開ける「鍋立山(なべたちやま)トンネル」。総延長9116.5mを誇り、基本的に単線トンネルながら途中には信号所が設けられ、列車交換可能となっている。
「鍋立山トンネル」は1973年の着工以来、国鉄改革に伴う3年半の工事中断を含め竣工~鉄道開通まで23年以上も費やした。第三セクターによる運営が決まり工事が再開された後も、事故や掘削困難で工事が難航。一時は「ほくほく線」事業そのものの完成が危ぶまれたほどだった。
途中の工事中断は着工から9年後の1982年のこと。この時点で、まつだい駅側の東工区(大林組)、ほくほく大島駅側の西工区(熊谷組)は竣工。間の中工区(西松建設)も、トンネル直上から掘り下げた斜坑から工事を進め、トンネル全体の1割に満たない645mを残すのみの状態だった。
第三セクター「北越急行」の発足を待って工事が再開された1985年。工事は東側から開始された。
西側も竣工済みの西工区と貫通していたが、この区間はメタンガスと原油の滲出に苦しみ、僅か81mの掘削に2年以上の時間をかけ多数の工法を試しながらやっとのことで掘り抜いた状況だった。故に、再開準備に時間を要したのだろう。
1988年になって西側からも掘削開始。工事の遅れを取り戻すべく、3500tもの推力を有するトンネルボーリングマシーン(TBM)で一気に残り区間を掘削する作戦を採ったが、60mほど掘り進んだところでTBMが前に進めなくなってしまった。
原油・天然ガス混じりの脆い粘土状の地盤には、ところどころ地下水中の炭酸カルシウムが沈着・固結した「ノジュール」と呼ばれる非常に硬い塊があり、TBMの刃がこれを噛んで立ち往生したのだ。
一旦TBMを戻そうと後退を始めたところ、地山が押し戻す圧力(地圧)にTBMの推力が負け操作不能に。ズルズルTBMは圧し戻され掘削開始地点に到達してもなお地圧は衰えず、更にせっかく掘った区間を40mも埋め尽くしながら、都合100mも後退した地点でようやくストップした。
トンネルを掘っていたはずが、圧し返されたばかりか掘削済み区間まで埋め戻されるという屈辱的な敗北を喫した瞬間だった。
世紀の大事業にして難工事だった長大海底トンネル・青函トンネル工事を経験した技術者や作業員が、発注者である鉄道建設公団にも、受注者である西松建設にも居たので、経験や技術が不足していたわけではない。実際、青函トンネルでも切羽(きりは→トンネル先端の掘削面)の圧し戻しや、毎分85トンという異常な出水を経験している。
世界一と評価していい「トンネル屋集団」を以ってしても敗れ去った原因は、「膨張性地山」。
日本列島の地質構造が大きく変化する「フォッサマグナ」が走るこの地帯では、複雑に地質が入りくんでいる。断層も多く、それだけでもトンネル掘削に多大な苦難を強いられるのに加え、油田地帯でもあることから原油の滲出・天然ガスの突出があり、実際に鍋立山トンネルの現場でも爆発燃焼事故が発生している。
また油田地帯に特有の高い地圧で原油・天然ガス交じりの泥が圧縮され、通常の砕石であれば1m3当たり1.6トン程度のところ、地下では20トン以上も詰め込まれた状態になっている。
そこにトンネルを穿とうものなら、シャッフルしたシャンパンの栓を抜いたが如く膨張した泥が噴出するのは当然である。
結局最新鋭のTBMを導入したにも関わらず、鍋立山トンネルには使えないものと見切って放棄。代わりにトンネル断面積の9倍もの範囲に水ガラス(ケイ酸ナトリウム水溶液)を注入して地盤を固結させるとともに地圧を軽減させ、主に手掘りで掘削を進めていった。
原始的とも言える人力中心の作業では、月進僅かに3~5m。しかし着実に掘り進んで行き、工事再開から7年余りでトンネル中心部の先進導坑が貫通。引き続き先進導坑を拡張していき、全断面の掘削も10年後に完了した。
鍋立山トンネルの竣工を待ちわびて1997年、北越急行ほくほく線は開業。富山・石川両県と関東を結ぶ動脈として機能し始めたが、鍋立山トンネルの戦いは終わっていない。
トンネル内へのメタンガスの漏出が続いているため、ガス濃度が上昇すると爆発や中毒などの事故が起きかねない。
中工区建設時に用いた斜坑とは別に、換気用の立坑が更に2本穿たれ、列車の風圧を利用した換気が常に行われている。
危機的かつ絶望的な状況を乗り越え、鍋立山トンネル工事を完遂したからこそ、現在の「ほくほく線」が在り、「まつだい駅」が在ることを記念して、まつだい駅舎には特にスペースを設け「ほくほく線資料室」を公開している。
工事中のトンネル坑内の写真パネル(圧し戻されてきたTBM・破壊された支保など)や年譜がさりげなく飾られており、気づく人も少ないが、そのどれもが「凶悪なヤマ」との壮絶な戦いを演じた経過を雄弁に物語る証拠である。
私が目指したこの展示があってこそ、この駅は「発祥の地」を名乗ることの正当性を保持しているのだと、私は思っている。
住所: 新潟県十日町市松代3816 道の駅まつだいふるさと会館
電話 : 025-597-3442
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