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旧荒川大橋トラス

敗戦前日の空爆
2011年12月08日
カテゴリ : 埼玉県 > 観光 > 建物・史跡
 埼玉県の北部、関東平野を流れる一級河川「利根川」と「荒川」に挟まれ、中仙道の宿場として発展した熊谷市。
 現在でも国道4本・新幹線・JR・私鉄が接続し、交通・産業の要衝となっている。
 全国的には「日本一暑い街」として知名度が高い。



 やはり暑かった1945年の夏。熊谷市は終戦前日の晩、八月十四日に大空襲に遭い、多くの人が焼け出された。
 あと一日終戦が早ければ、亡くならずに済んだ人の無念は想像するに余りあるが、その記憶を留めている遺物は、あまり残されていない。
 別項でご紹介した旧東武熊谷線の線路敷の他は、大正末期に架けられた荒川大橋の鉄橋の一部が保存されているくらいだ。


 恐慌・そして戦争の嵐に巻き込まれる前、まだ豊かだった時代の製作ゆえ、無骨なトラス橋ながらふんだんに装飾が施されている。
 当然この頃には鋼材の国産化が完遂しており、この鉄橋の部材にも「yawata」の刻印(当時はまだ商工省管理下の「官営八幡製鉄所」)が見られる。 
 日本の土木史上、また産業史上も重要な遺産と断言していい。 



 B-29は、この鉄橋の上を通過し群馬県太田市、栃木県宇都宮市を爆撃して、鹿島灘に抜ける、というのがお決まりのルートだったようだ。よって、大戦末期は毎日のように爆撃機が通りすぎるのを見つめていたことだろう。そして終戦の前日、とうとう怪鳥達は熊谷市民に襲いかかってきた。



 熊谷の空襲が、戦略上意味があったなどと思う人は誰一人としていない。度重なる空爆で各地を破壊しつくした結果もはや爆弾を落とすところがなく、燃料を節約するために重たい荷物を捨てていっただけなのかもしれない。

 もっとも、戦略上の意味があろうとなかろうと、亡くなるのは銃後にあっては一般の市民であり、前線にあっても市民から徴用された一兵卒であることに変わりはない。


住所: 埼玉県熊谷市村岡 新荒川大橋南詰

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