ちひろ美術館・東京(旧いわさきちひろ絵本美術館)
淡く優しき子どもたちの眼差し
2012年01月14日
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淡い色使いの水彩画で知られる絵本画家「いわさきちひろ」。
黒目がちでかわいらしい子どもを描いた絵の数々が、一般的には代表作だろう。
作品のタッチとは裏腹に、いわさきちひろの来し方は波乱と戦いに彩られている。
戦前、親の勧めで嫌々ながら最初の結婚をし満州に渡るが、夫の自殺で帰国。
その後再び単身渡満するも、1年経たず帰国。都内の家が空襲で被災し、疎開した長野県で終戦。
戦後は反戦の立場から日本共産党に入党し、同党員だった画家・丸木俊(代表作「原爆の図」)に師事。また活動を通じて知り合った8歳年下の東大法学部の学生・松本善明と再婚。
松本は後に、ちひろの支援と協力のお陰で司法試験に合格。弁護士となり、また共産党公認候補として衆議院議員総選挙に立候補。1度は落選するものの1967年に初当選。その後11期連続で務めている(2003年に議員引退)。ちひろは「議員の妻」として、松本の政治活動を支え続けた。
芸術の面でも、それまで「添え物」扱いで知的財産権が認められてこなかった絵本挿絵画家の地位・権利向上を目指して活動。
ちひろ自身、それまで一般的だった「文章ありき」の絵本ではなく、絵を中心に展開する絵本を創作し世に送り出している。
夫婦で共産党員としての活動してきたことや、松本が世に言う「松川事件」の被告弁護団に属していたことから、公安関係者と見られる者の尾行、関与が疑われる家宅侵入・私信の盗難などに度々遭ってきた。
1954年、松本・ちひろ宅に住み込み家事を手伝っていた若い女性が拉致監禁され、夫妻の交友関係を暴くよう強要される事件が発生。女性は監禁犯の隙をみて逃げ出し帰宅、事件が発覚するが、その後の捜査で監禁犯の検挙はもちろん監禁されていた場所の特定もできなかった。被害に遭った女性自身もその後大阪府内の病院で変死。事件は実に不可解な経緯を辿る。
数々の名作が生み出された一方で、ちひろの作風と相反する薄汚い影の昭和史の舞台ともなってしまった練馬区下石神井のアトリエ跡に、ちひろの死後1977年に建てられたのが「ちひろ美術館」(開館当時は「いわさきちひろ絵本美術館」)。
すぐ北側に新青梅街道が通っているが、少々奥まったところにあるため喧騒は響かず、緑に囲まれた閑静な住宅街の中に佇む。
初代の館長は、劇作家でリベラルな立場から共産党機関紙や党行事の後援者として名前を連ねていた故・飯沢匡。
2代目の現館長にはその飯沢匡に師事し、自らの幼少時代を綴ったベストセラー「窓際のトットちゃん」でいわさきちひろ作品を挿絵とした黒柳徹子が就任している。
なお、絵本挿絵画家の地位向上に尽力したいわさきちひろの遺志を引き継ぎ、ちひろ作品に限らず、散逸の危機に晒されている世界各国の絵本原画の収蔵を進めた結果、本館だけでは手狭になってきたため長野県安曇野にも「ちひろ美術館・安曇野」を開設。そちらは松本・ちひろの長男、猛が館長に就いている。
世代や性別を問わず、また思想的背景や立場を超えて愛されるちひろ作品を鑑賞するのみならず、館内のカフェでお茶やお菓子を味わったり、ちひろ自身が愛情込めて手を入れた庭に出て、度々作品にも描かれた草花を愉しんだりすることができる。
僅かだが用意されている敷地内駐車場も、建築と一体で整備されたため、自動車雑誌のグラビアにも使えそうな「絵になる」画像を残せる。
お車でお出掛けの場合は、敷地内に駐車スペースが3台分しかない(他に身障者用1台分あり)ため、開館時間より前に出向くか、比較的空いている平日の来館をお勧めしたい。
住所: 東京都練馬区下石神井4丁目7-2
電話 : 03-3995-0612
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